172 ひよりと可容1

 俺たちはその後、バスに乗って高寺家の別荘へと向かった。


 昼すぎという中途半端な時間帯だったことも影響してか、バスに乗っている人は俺と可容ちゃんのみ。運転手さんを除けば、完全にふたりきりの空間だ。


 可容ちゃんを先に席に座らせると、俺は迷った末、その前の座席に腰をおろした。この空いたバスで隣り合って座るのは、なんだか物凄く密着しているような気がしたのだ。


 俺が前の座席に座ったことに、可容ちゃんはとくに不自然さを感じていないよう。


「バスで行くんだね」


 そして、そんなことを言いながら、前のめりになってもたれかかってくる。結果的に、横に座った場合よりも距離が近い気がする。


「だいたい15分くらい」

「近いんだね。私、別荘とか初めてだから楽しみ」


 可容ちゃんは穏やかな笑顔を浮かべる。


 彼女が今日着ているのは、薄い紫色の膝丈ワンピだった。肘に届くか届かないかという感じの丈感の袖には白いレースがついており、また胸から上が白いレースに切り替わっているデザインである。

 

 くしゃっとした白い襟には、ワンピ本体より2段ほど濃い紫色のリボンが、タイのようについており、それが上品さを演出していた。胸元にはアンティークのペンダントネックレスが見えるが、これはたしか3年前にもつけていたもののはず……お気に入りなんだろうか?


 今はシートに遮られて見えていないが、足下はレースの靴下でこれもまた甘い感じ。そこに黒のサンダルが合わさることで程よく引き締められ、全体の統一感が出ていた。なお、会ったときに羽織っていたパーカーは自分の隣に置いている。


「けどさ。まさかそうちゃんがいるとは思わなかったな」

「それこっちのセリフ」

「高寺ちゃんたちとはどうやって知り合ったの? 鷺ノ宮さんとも仲良しなんだよね?」


 そんなことを、俺の座るシートに顎を載せながら尋ねてくる。覗き込むようにしてこちらを見ているが、時々前方を向くため、自然と整った横顔が確認できる。


「えっと。どこから話せばいいのか、どこまで話せばいいのか自分でも難しいんだけど」


 高寺との関係性も聞いてくるということは、俺たちの細かい関係性は聞いていないということだろう。


「逆に聞くんだけど、高寺と中野の関係性って聞かされてる?」

「関係性?」

「そう、関係性……あ、そっか。可容ちゃん的には鷺ノ宮かな?」

「……あ、あーうん、そうだね、鷺ノ宮さんだね。そっか、本名は中野さんなんだね。でもまあ、家族に迷惑かかることもあるもんね。芸名じゃなくてもわりとバレがちだけど」

「はは。でも、そうかも」


 声優あるあるなのか、ウンウンうなずいて同意していた可容ちゃんに対し、琴葉のことを思い出しながら、俺は返答する。


「えっと話を戻すと、学校が一緒ってのだけは聞いたことがある感じかな?」

「そこは聞いてるんだ。じゃあ話は早い。俺がもともと中野と同じクラスで、で、そこに高寺が転校してきたんだ」

「へえ、そういう感じなんだ。不思議な関係~」


 可容ちゃんは目を見開いて驚く。


「どういうきっかけで高寺ちゃんは転校? したの?」

「んー、それは話せば長くなるんだけど、俺と中野が買い物してたら、偶然そこに通りかかって、色々あって」

「その色々が聞きたいんだけど、まあ長くなるみたいだし今はいいや」


 そんなふうに言いながら、可容ちゃんは声を出して笑う……のだが、俺としてはそんなことよりずっと気になることがあった。


 『ももたそ』の正体が可容ちゃんだと判明したときからずっと気になっていたこと。それは……


『アニメ監督を目指していたはずの彼女が、なぜ声優になっているのか?』


 ということだ。


 マックで話したあの日、彼女はアニメ監督が小さな頃からの夢だと述べた。それは深い造詣をいろんなジャンルに持つと同時に、ただ楽しむだけではなく作品を俯瞰的に、分析的に見ることができる知性を持った彼女には、とても合った夢だと思った。


 思った、はずなのに……。


「……そうちゃん」


 すると、可容ちゃんが話しかけてくる。


「あ、ごめんなに?」

「わかるよ……今、そうちゃんがなに考えてるのか。アニメ監督になりたいって言ってたのに、なんで声優? ってことでしょ?」

「……」


 黙るという俺の反応で、図星だったことを可容ちゃんは悟ったのだろう。満足げに微笑むと、すぐに申し訳なさそうな、それでいて悲しげな表情でこう告げる。


「理由はあるんだ。まだ誰にも話してない理由が」

「……でもそれを今、可容ちゃんから切り出すってことは、今はまだ聞かないでほしいってこと?」

「聞かないでってワケじゃないけど聞いてほしくないって言うか、聞かれてもうまく答えられないかな、なんて」


 そんなふうに彼女は言う。


 頭のいい彼女のことだ。こうやって自分から聞かれる前に話を振って、予防線を作ってるのだろう。きっと、こんなふうに言われると俺が追求できない性格なのも、わかってやっているはずだ。


 実際、可容ちゃんの行動で、俺のなかから聞く気持ちはなくなった。もちろん、不思議に思う気持ちはなくなっていないけど、待とうと思ったのだ。彼女の心の準備ができて、伝えてくれる日を。


「わかった。じゃあ聞かないでおくよ」

「ありがとう……そうちゃんってやっぱり優しいね。私が見込んだだけのことはあるや」


 そう言って、可容ちゃんはふふっと笑う。


 例の吐息が漏れるかのような清楚な笑い声も、こうやって真横20センチくらいの距離感で聞くと、思わずゾクッとしてしまいそうな破壊力を持っていた。


「ね、話変わるんだけどさ。鷺ノ宮さんってどんな人? 私、会ったことなくて」


 そして、彼女は宣言しつつ話を変える。


「んー、ちょっと、というか結構変わってるけど、普通に常識的だと思う。人付き合いがいいほうではないと思うけど親しくなったら冗談も言うし、気遣いもできるし、勉強もわりと真面目にやってるし……案外普通の子かな?」

「なにそれ。どんな人か全然わかんないんだけど」

「まー会うのがはやいよ。悪い子じゃないのは間違いないから」


 そんなふうに俺がまとめると、可容ちゃんは最初口をとがらせていたが、すぐに小さく息を吐いて、納得したようにうなずく。


「でも、そういうもんだよね。すごい人って実際に会ってみたら、だいたい意外と普通の人だもんね」

「そうなんだ」

「うん。声優もアニメ監督も脚本家さんも。でもまあ、成功してもなお普通でいられるってことが普通じゃないと言えばそうなんだけど」

「天狗になりそうだもんな」

「でもそういう人は遅かれ早かれ消えるんだよ。有名な人ほどまともで人間力あるよなって、先輩とか監督さんとか見てると思う」

「同じようなこと中野も言ってた」

「あ、そうなんだ?」


 可容ちゃんが食いついてくる。


「うん。正確には尊敬してる先輩が『良い役者になるには良い人間になりなさい』って言ってた、みたいな話だけど」

「そういうことね。でもわかるな」

「わかるんだ」

「わかるわかる。声優は結局オファーがないと意味ない仕事だし、ファンに好かれる前に現場の人に好かれないといけないんだね。でもただニコニコしてればいいかと言うとそんなことはなくて。だってみんなニコニコしてるからね?」

「それ聞くだけで俺、声優は無理だなって思う。まず自然に笑えないもん」

「そう? 笑ってみて」

「……どう?」


 可容ちゃんが愛想笑いを浮かべた。 


「あー、うん……ちょっと怖いかも……」

「怖いって。笑って怖いって言われたのさすがに初めて……」

「でもずっと売れてる人ってそこで人と違うことするんだよね。特別なこと、って言うのかな。たとえば私なら、1回だけ作品ご一緒した大御所の声優さんに、誕生日にお手紙いただいたことあるよ」

「え、わざわざ手紙?」

「うん。ある日、事務所に行ったら届いてて。私みたいな新人声優に手紙書いてもメリットなんかないはずなのに」


 少し前の俺なら、そういう行動は偽善だと思っていたかもしれない。


 でも、この何ヶ月かを通じて、中野のプロ意識や、仕事に真っ直ぐ向き合う高寺の努力、哲学堂先生の人間性に触れた今の俺には、その話はとても身に染みた。きっとその大御所声優さんは、損得勘定とかそういうのは関係なく、ただ可容ちゃんに喜んでほしいからそんな行動を取ったのだろう。


 だからこそ、自然にこう伝えることができた。


「素敵な話だね。そんでもって、素敵な先輩だ」

「そうだね」


 そう相槌を打ったのち、可容ちゃんは俺の目をじーっと見る。


「そうちゃん今、すっごく自然に笑ってるよ」

「え……」

「あ、笑顔消えちゃった。写真撮っておいたら良かったな」

「おいおい」


 そうツッコむと、可容ちゃんは冗談だよと笑いながら返答。


 そして、ふっと微笑みながら、


「……楽しみだな、中野さんに会うの」


 そんなふうにつぶやいて、窓の外に広がっている海を眺め始めた。


 あんまりにも自然な言葉だったので、彼女が最初、俺の中野呼びをすんなり受け入れていたことに、そしてその不自然さに、このときは気付かなかったのだった。

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