171 ももたその正体3

「あの日のこと、ずっと後悔してたの」


 可容ちゃんの言葉が、何度も何度も頭のなかで繰り返し鳴る。不思議な揺らぎが、頭の中から、いや心の中から俺を強く揺さぶってくる。


「後悔……」


 反射的につぶやくと、可容ちゃんがコクンとうなずいた。


「正直、今でも、そうちゃんの言ったことは良くないことだったって思ってるんだけど」

「そこは変わらないんだ」

「そりゃね。作家が一生懸命書いたものを、なんとなくのイメージで『パクり』とか『盗作』って言うのって、アンリスペクトの極みだと思うから」


 そこだけは悪びれないという感じで、可容ちゃんが述べる。


 その姿は3年前と一切変わっておらず、知性と人としての芯を感じさせられ、懐かしいだけでなく嬉しいという感情が俺のなかに生まれる。


「でも伝え方がさ良くなかったなって。あんな言い方をして、気分いいワケがないもん」

「それは……まあそうかもだけど。でも土下座なんて」

「でもそうちゃん、あのときは中2だったワケだし、そんな子にああいうのはダメだったなって」

「でも可容ちゃんも中3だったでしょ」

「私はその……なんていうか特例というか」

「特例?」

「い、今は私の話は良くて!」


 どこか勢いで押し切るような言い方だった。頭のいい彼女には珍しい反応だが、話はそこで止まらない。


「とにかく、ずっと謝りたかったの。私がアニメとかマンガが好きなのって、べつにマウンティングしたいからじゃなくて、ただ純粋に好きなだけで、子供の頃からそういうのが周りにある環境で、だから自然とそうなっただけで」

「うん、わかるよ」

「でも、あのときの私は、自分の持ってる知識をダメな方向で使っちゃったなって。アンリスペクトもダメだけど、知識で人を痛めつけるのもダメでしょ? 喜びを他の誰かとわかり合う、それだけがこの世の中を熱くする、でしょ?」

「急な引用、でもまあそうだろうね」

「……でも、そうちゃんと連絡取れなくなってから、3年間ずっと」

「ごめん。じつはあの後、スマホ壊れちゃったんだ。ツイッターにログインして幹事さん経由で連絡しようとも思ったんだけど、パスワードわかんなくなって、連絡したくてもできなくて」

「そうなんだ……私、てっきり、嫌われたのかと」

「そんなことない。全然ない。むしろ俺も、悪いことしちゃったなって思ってたから……可容ちゃんみたいに話の合う人、初めてだったのに」


 可容ちゃんがストレートに感情を伝えてくるせいだろうか。


 俺も、普段からは考えられないほど、感情をそのまま彼女に届けていく。普段の俺ならなかなか言わないような、恥ずかしいセリフも含めて。


 夏の暑さでおかしくなっているのもあっただろうし、薄暗い部屋のなか、同じベッドのうえで話しているというシチュエーションもあっただろうし……でも、それ以上にお互いに、3年間積み重ねた想いがあったからこそ、発言できている感じだった。


「なら良かった……心の中にあった罪悪感、一個消えたよ」


 そんな言葉を述べながら、可容ちゃんの美しい瞳から涙の粒がこぼれる。それは頬を伝っていき、彼女の白い太もものうえに落ちた。彼女は今、いわゆる女の子座りをしており、もともと膝下丈くらいのワンピースは部分的にめくれあがり、そうでないところも内股になっているせいでクシャッとした背徳的なシワを作っている。


「でも、俺も悪かったから……」


 自然と俺の口も勝手に動く。言葉を伝える器官であると同時に、言葉をせき止める器官でもあるはずのこの口腔は、今はもう、ダレ漏れになる感情をただ運ぶだけの通路と化していた。


「じつはあれ、あの直前にネットで見かけた意見だったんだ……それをあんまり深く考えずに言っちゃっただけで、自分の考えじゃなかったし、あでも自分の考えっぽく言ったのは自分だし、そういう自分も薄っぺらくて今振り返るとすごく恥ずかしいし情けないし、頭打って死にたいくらい黒歴史なんだけど……」

「うん。そんなことだろうなと思った」


 可容ちゃんはあっさりとそう言った。


 拍子抜けしそうになる、というか実際に拍子抜けする返事だった。


「え……もしかして、バレてたの?」

「もしかしなくても。ネットで見たことある意見だったから。私、ネットも大好きだから。ツイッターもニコ動もYouTubeも全部結構見るの」

「そうなんだ……恥ずかしいな……」


 照れながら頭をくしゃくしゃ搔くと、可容ちゃんは……


「ふふっ」


 楽しそうに笑う。3年前となんら変わらない、吐息の混じった清楚な笑い方だった。


 気付けば微笑を取り戻しており、だんだん俺との会話に余裕が出てきていることがうかがえる。


 そして、それは俺も同じだった。


「そうちゃん……」

「可容ちゃん……」


 気付けば俺たちは薄暗い部屋のなか、ひとつのベッドのうえで見つめ合っていた。


 3年という時を経て。


 駅で彼女の姿を見たとき、そしてこの薄暗い休憩室で目が覚めたとき。


 正直、最初は話が合うかすら不安だった。


 でも、可容ちゃんは可容ちゃんのままで、かわいく、ユーモアがあり、ふんわりとしているのにどこかかすれた甘い声をしていて、でも、精神的には大人になっていた。


 そして。


 自分では気がつかなかったけど、俺自身も、あの日に比べれば大人になっていた……のだと思う。


 だからこそ、前よりも、可容ちゃんと素直に話せるようになっている気がする。気付けば3年前に戻っていたといより、3年前より何歩も前に進んでいるような気すらした。


「……」

「……」


 ふたりの世界から、言葉が消失する。明らかに普通ではない空気感で、自分の鼓動はもちろんのこと、可容ちゃんの鼓動まで空気を震わせ、伝わってくる気がする。彼女は今、白い頬を紅潮させ、ぼんやりと俺を見上げていた。恐ろしさを覚えるほど整った瞳が、俺だけを見つめていて、俺は思わず……


「大丈夫ですか? 目覚めました?」


 ドアが勢いよく開く音がした2秒後、休憩室に入ってきたのは駅員さんだった。見えないと判断したのか、電気をつけ、部屋のなかが一気に明るくなる。可容ちゃんは瞬時に立ち上がると、駅員さんに向き合う。


「あー、もう大丈夫そうですね。タクシーを呼ぶこともできるんですけどバス待ちますか……ってあれ、今度は女性のほうが熱中症ですか??」

「いえ、違います! ちょっと暑かっただけで……ふふっ」

「そうですか。ならお大事に」


 さほど興味なさげに言うと、駅員さんはふたたび部屋を出て行った。


「ははは……」

「ふふっ……」


 明るくなった休憩室に取り残された俺たちは、耐えきれずに吹き出した。


 そして、ひとしきり笑ったあと、涙を拭いながら可容ちゃんはこう言った。


「久しぶり、そうちゃん……ずっと会いたかったよ」


 それに対し、俺もこう伝えたのだった。


「久しぶり、可容ちゃん……ずっと会いたかったよ、俺も」

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