159 女児たちと水族館6
「私が不登校になったのは、ひよ姉が原因なの」
幻想的なBGMが鳴り響き、光が揺らめく、この水族館という空間。琴葉の言葉はぶらんと宙に浮いているように思え、俺にはどこか非現実的なように聞こえた。
「パパとママが死んじゃって、ひよ姉が仕事いっぱいするようになってってのは知ってるでしょ?」
「ああ」
「昔はひよ姉、外画とかの仕事が多くて今ほど学校休むことも多くなかったし、周りの人にも言ってなかったから影響も少なかったけど、アニメに出るようになって顔も売れて、そしたら私もいろんなこと言われるようになった。兄弟がひよ姉の通ってた中学と同じって子がたまたまいて、そいつが私たちに親がいないことを広めたのもあるかな」
怒りを覚えざるを得ない内容だが、俺はなるだけ静かに聞く。
「今はネットもあるからさ。小学生もスマホ使うから、そこで読んだことでからかってくるの」
「でも、そんなのウソばっかだろ」
「ウソばっかだよ。でも、本当かどうかより面白いかどうかインパクトあるかどうかのが大事じゃん」
「それは、まぁ……」
「『お前の姉ちゃん性格悪いって書いてたぞ』とか、『実力ないのにコネで仕事もらってるんだろ』とか、『姉ちゃん声優なのに、なんでお前そんなに声小さいんだよ』とか、『姉ちゃん、じつはDカップの隠れ巨乳なんだろ』とか言われて……」
「そんな酷いこと言われてたのか……ってなんか一個だけ変なの混ざってないか?」
「ま、最後のはジョーク……って言いたいとこだけどマジで書かれてて、クラスのませた男子から言われた」
「マジか……」
ソースとしても酷いと思うし、それを年頃にさしかかりつつある女の子に言うというのも腹が立つ。子供だからと言って許せることではない。
「ひどいな、なんでそんなことが言えるんだ」
「ホントだよね。Bカップに隠れ巨乳って言うとか失礼すぎるよね」
「いやそういう意味じゃなくて」
「しかもJCのとき、ひよ姉Aカップだったから余計ひどい」
しかし、琴葉には俺の怒りポイントが通じなかったようだ。
まあでも彼女もまだ小学生だから、仕方ないのかもしれないし、
「そういうこと言われるのが、ほんと耐えられなくて」
なにより、怒りポイントはどうあれ、琴葉が明確に腹を立てているので今は流すことにした。琴葉はその小さな肩をふるわせながら言葉を絞り出そうとしている。
「琴葉って気が弱いワケじゃないだろ」
「気は強いよ、私」
「だったら、そんなの言い返せばいいのに」
「そりゃ最初は言い返したよ」
「言い返したのか」
「ひよ姉とも姉の悪口言うやつなんか、許せるワケないもん」
「よく言ったな。偉いぞ」
内心、俺は少し安堵した。すると、琴葉が自慢げな口調でこう述べる。
「だから男子にも女子にも言い返してさ。『親が死んだのがなに? あんたの親も明日死ぬかもしんないんじゃん』とか、『子供が働いてて何が悪いの? うちのひよ姉はお前の家の親父より稼いでるかもしんないんだよ。14歳に負けて悔しくないの?』って」
「……よく言ったな。え、え、偉いぞ」
「あれおかしいな。同じ反応なのに、意味が全然違く聞こえる」
「だって口悪すぎんだもん。一体何倍返しだよ」
あまりの言い返しっぷりに、俺は思わずふっと笑ってしまう。
そんな俺を見て、琴葉も少し安心したように笑みを漏らすが、すぎにため息交じりに戻った。
「でも、それがダメだった。クラスで、無視されるようになったんだ。私が何をしても無視。声小さくて聞こえないから無視なんだって。存在は目に見えてるはずなのに。それで、まあそこからまた色々あって、私は不登校になった」
「……そっか」
直接悪口を言ってこなくなったということは、琴葉の毒舌は一定の効果を持っていたということだろう。
しかし、それが「無視」という状況を招いてしまった。直接的でない分、余計に陰湿だ。 友達が少ない人生を送ってきた俺だが、無視された経験はない。なので、正直困りながらかける言葉を探す。
「……この言葉が正しいかわかなんないけど」
「正しいのかわかんないとか、そういう保身はいいから」
「欲しいのは保身じゃない、本音だと」
「ダジャレも欲しくないけど」
「……じゃあこの際、ストレートに聞くけど」
「この際、ストレートに聞かれてあげる」
「もし琴葉がその子たちに言い返していなかったら、今どんな状況になってたと思う?」 琴葉は苦い顔になる。その反応で、返事がなくとも答えがわかった。
そして数秒後、琴葉が口を開く。
「『負けるが勝ち』になってたかはわかんない。抵抗してなかったら、無視とか陰口じゃなく、もっと直接的なイジメになってたかもしんないもん」
「まあ、それはそうだな」
「でも、『勝つのが負け』だったってことは、間違いなかったと思う」
過去を噛みしめるようにして、琴葉が述べる。
「勝ったから負けたの。試合に勝って勝負に負けるって言葉があるけど、私の場合はケンカに勝ってイジメに負けた、なんだよ」
「ケンカに勝ってイジメに負けた、か」
そうつぶやく琴葉の声色は、妙に現実的なものだった。
子供らしいあどけなさはそこにはなく、自分が置かれた現実をしっかり直視した結果、いろんなものを諦めたという感じだ。
「だからね、私は必死で勉強してるんだ」
「学校での無視と勉強が、どう結びつくんだ」
「いい高校に行きたいの。他の奴らじゃ絶対に入れないようなとこに」
琴葉の目には、強い意志が宿っている。
「うちの経済状況じゃ、私立の中学に行くことはできない」
「そうなんだな」
「地元の公立中学に進めば、今の学校の人も自動的に進学する。だから、高校受験が大事なの」
たしかに、受験はそれまでの人間関係を清算するチャンスだ。レベルの高い高校に進めば、地元出身の人は必然的に少なくなる。勉強は得意なものの、人間関係の構築に失敗した少なくない学生が一度は考えることだろう。
だが、琴葉は肝心なことをまだ知らない様子だった。気は進まないが真剣に先を見据えている以上、また琴葉の想いを聞いた以上、俺に「話さない」という選択肢は浮かばなかった。
「琴葉、たぶんお前は大事なことを知らない」
「なに?」
「高校受験には、内申点というシステムがある」
「内申点……?」
「平たく言えば、学校での態度と教師からの好かれ度だ」
「え、なにそれ……」
やはり、琴葉は内申の存在を知らなかったらしい。もともと大きな目を、さらに大きく見開き、驚きをあらわにする。
「出席率とか、宿題の提出率とか、委員会への参加率とか、そういう色んな要素が絡んでくるんだ。だから、もし琴葉が仮に成績優秀だったとしても……その、今のまま不登校だと、希望する高校には行けない可能性が高い」
俺の言葉を聞いて、琴葉は愕然としてように口をぽかんと開ける。そして、まばたきするのを忘れたように開いた目の端に、涙がたまり、すっとこぼれ落ちる。
「そんな……私、行きたい高校に行けないの?」
「いや、それはまだわかんないけど」
「見返すこともできないの? イジメてきた奴らのほうが、内申の成績もいいの?」
「でも、不登校が大きなネックになるのは間違いない。もちろん、中学に入ったら学校にまた通う、とかなら話は別だが……」
すると、琴葉の目から流れ落ちる涙が大粒に変わって滝のようになる。その光景はぱっと見ではとても美しいのだが、それと同じくらいとても悲しかった。美しい少女と涙の相性のいいらしい。だからみんな、意地悪するのだろうか。
「私、あいつらのいるとこに行かないといけないんだ……無視されるってわかってんのに、3年間も、学校に行かないといけないんだ」
そんな彼女に対し、俺はかける言葉が見つからなかった。
繰り返すが、俺はべつにイジメを受けたことはない。
だが、琴葉は違う。美しい容姿や、気が強く口の悪い性格、姉が声優という背景、そして両親を亡くしている過去……望まなくとも、子供たちのなかで自然と目立ってしまったに違いない。
なにか言葉をかけるにしても、俺と琴葉はあまりに違いすぎる……そんなふうに、俺が自分の無力さを痛感していると、
「……あの、いいですか?」
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