157 女児たちと水族館4

 そんなふうに雑談をしていると、ショーの開始時刻になった。どこか深海を思わせる音楽が鳴り響くと、ステージ中央に浮き輪を模した感じの衣装を身につけたパフォーマーが3人登場。ボディスーツではないので、この人たちは基本的にステージ上で踊る、ダンサー的な立ち位置なのだろう。


 すると、程なくして音楽が盛り上がり始め、パフォーマーが流れるような踊りを見せ始めた。エンヤを少し陽気にした感じの音楽で、心地よくも自然とテンションが高まってくる。会場全体が、徐々に興奮に包まれていくのがわかる。


「わー、楽しみだなあ……はやくはやく!」


 斜め前を見ると、香澄がリズムに合わせて手を叩いていた。心の声が言葉になって口から出てしまっている。とても嬉しそうな表情で、イルカが出てくるのを待ち望んでいる感じだ。


「……」


 一方、琴葉は手を膝のうえに置いたまま、黙ってショーを見ている。両の手はギュッとキツく結ばれており、まだ香澄のように心が解き放たれていないことがわかった。


 サビらしきパートに達すると、パフォーマーが大きく手をあげた。すると、待っていましたとでも言うように、イルカが勢いよく水中から真上に飛び出して空中で1回転。水しぶきを立てながら、着水した。わっと歓声があがり、俺の斜め前にいた香澄もわっと声をあげる。


「回った! 今くるって回った!」

「だな」

「はぁぁぁーっ!! なんてかわいいの……!!!」


 普段背伸びしがちな香澄だが、こういうときはまだ子供のようだ。両手をぎゅっと合わせながら、うっとり頬を赤くしている。イルカをかわいいと言う彼女だが、正直イルカより全然かわいいなと俺が思ったのも無理ないと思う。


 そんなふうに俺がぼーっとしている間に、イルカは2回目のジャンプ。今度は体を横にした状態で着水し、大きく水しぶきをあげた。


 結果、歓声に悲鳴が混じり、前のほうにいたお客さんたちが一気にびしょ濡れになるのだが、夏なのでそれも気持ち良さそうで、水面から顔を出したイルカもどこか得意げな表情をしているように見えた、もしかすると、自分の行動でお客さんが喜んでるってイルカもわかってるのかもしれないな。イルカは頭が良いって言うし。


 曲が変わると、今度は斜め上の方向に飛び始める。気づけばイルカは2匹になっており、右で左で、奥で手前で2匹が交互に飛ぶので、目で追うのがなかなか忙しい。


 また、真上に飛んでいたときとは見え方も異なっており、インパクトよりも滑らかさが際立っているように感じた。芸として飛んでいる感じがなく、ごくごく自然な動きに見えたのだ。きっと、野生のイルカはこんなふうにジャンプするんだろうな……と、彼らが舞うたびにあがる水しぶきにキラキラした虹が映し出されるのを見て、俺は思う。


 見渡せば、会場中の誰もがみな、笑顔になっていた。


「…………」


 ……いや、違う。


 ふっと前を見ると、琴葉がなんとも言えない、神妙な面持ちでイルカを見つめていた。 笑顔で頬を赤らめていた香澄とは正反対であり、間違いなくこのスタジアムで一番真顔に違いない。というか、こんなに神妙な面持ちでイルカを眺める女子小学生っているんだろうか。


「聞きたいんだけど、それ楽しんでる顔?」


 耳元でつぶやくと、琴葉が俺のほうを振り返り、ポロッとつぶやく。


「困惑してる」

「なんで困惑?」


 すると、琴葉が指を1本立てる。


「ひとつ。イルカって想像以上に魚臭い」

「魚臭いって……」


 なんとも現実的かつ、かわいげのない感想である。香澄とえらい違いである。


「だって魚臭いんだもん」

「あのな。こんなにかわいいのに、そんな口の悪いこと言うか普通?」

「こんなにかわいいって、私がかわいいのは私の責任じゃないし」

「違う、イルカの話だ。イルカがかわいいのに、魚臭いとかわざわざ言わなくていいだろってことだよ」

「なんだ、そっちか」


 さほど意外そうな素振りも見せずに琴葉が答える。


「イルカが魚臭いのは、イルカの責任じゃないだろ? イルカがかわいいのは、イルカの責任じゃないのと同じようにな」

「ちょっと、私の発言にかぶせてこないで」


 しかし、実際のところ琴葉が言うように、イルカショースタジアムはそれなりに魚のニオイがしていた。客席が埋まっていたので後方を選んだ俺たちだが、琴葉の神経質さを考える限り、正解だったらしい。水を浴びたら、もしかすると魚臭くなってシャワーを浴びに帰りたくなっていたかもしれない。


 と、こんな感じで琴葉の意見にはやくも若干呆れていた俺だったが、ひとつと言うからには他の感想もありそうなので、ツッコまないことにした。大事なのは辛抱だ。


 そして、琴葉が指をさらに1本立てる。


「ふたつ。イルカって想像以上に賢い。だって人が合図したら飛んだり、飛び方を変えたりするんだもん」


 次は普通にまっとうな感想だった。


「まあ日々トレーニング受けてるだろうしな。飛ばねえ海豚はただの海豚ってことだよ」

「海豚って書いてイルカね」

「お、漢字わかるんだな」

「当たり前じゃん。私、勉強得意だし」

「ああ、そうだったな……そうだ、今度一緒に勉強会やるか?」

「えっ?」

「香澄と勉強会するときに琴葉も来たらどうだ?」

「……いいの?」 

「いいに決まってるだろ。むしろどれくらい成績優秀なのか知りたいくらいだ」


 俺としては、純粋な好奇心からそう言っただけだった。本屋で立ち暗記するって発想は俺にはなかったし、そこまで向学心が高いというのも面白いと感じていたからだ。


「私、酷いこといろいろ言っちゃったのに……」

「ん、さすがに小声すぎて俺にも聞き取れないぞ」

「なんでもない……ただ、ひよ姉が若宮と仲良くなった理由、わかんないけどわかった気がしたって思っただけ」

「ん、それどういう意味だ?」

「……」


 しかし、琴葉はため息をつくだけでなにも堪えようとしない。


 そして、そのまま俺の質問を受け流すと、琴葉は一瞬迷ったような表情を見せたのち、指をもう1本立て、小さくつぶやいた。


「みっつ……楽しい」

「……あ、イルカショーの話な」

「うん」


 琴葉は、俺の言葉に静かにうなずく。実際、こうやって話している間も彼女の視線はイルカたちに釘付けだった。


「楽しい?」

「うん……」

「そっか。てっきり、つまんないのかと思ったぞ」

「いや、つまんなくない。むしろつまってる」

「なら良かった」

「むしろ楽しいって思う暇もないほど楽しい。嬉しいって感じる暇もないくらい嬉しい」


 琴葉は淡々とした口調でそう話す。自分の中に久しぶりに生まれた感情を、戸惑いつつも受け入れていっているようだ。


「……私、遠足で水族館行ってないんだ。うちの学校、5年生で行くことになってて」

「ってことは、去年から学校に行ってない感じか」


 琴葉がコクンとうなずく。


「それにパパママ……お父さんお母」

「パパママでいいぞ」

「パパママがいなくなってから、ここにも来てなかったし」

「ひよ姉、とも姉に頼めば来られたんじゃないか?」

「バカなこと言わないで、ってバカに言ってもムダか」

「バカなのはもう確定したことなんだな」


 ほんと、ひどい言い方である。せっかく、水族館まで連れて来てやったというのに。


「ひよ姉は仕事、とも姉は大学とバイト。私が入る暇なんか、少しもないの……」

「なるほどな」

「あと、ひよ姉、とも姉って言うな」

「はいはい」

「……ねえ、若宮」

「なんだ?」

「イルカショーって、こんなにスゴかったんだね」


 静かに、落ち着いたトーンで琴葉が述べる。香澄のように声に出したりはしないが、その茶色い瞳はイルカを真剣に写している。そのどこか俯瞰したかのような味わい方は、どこか中野を思わせる、大人びた雰囲気を持っていた。あどけない顔立ちをしているのに、俺はそう感じたのだ。


 姉妹で性格が大きく異なるとはいえ、やはり彼女たちは血の繋がった姉妹なんだな……などと、俺は思う。


「そっか。来て良かったな」

「うん」


 

   ○○○



 そして、3曲目は、カーニバルを思わせる陽気な曲だった。パフォーマーたちが客席にのぼってきて、笑顔で観客を盛り上げる。その後、ふたたび水槽近くに戻ると、水中に手をツッコんで、イルカに合図。お利口なイルカたちは指示された場所にやって来ると、ひょこんと顔を出し、観客に愛想を振りまく。


「はぁぁぁーっ!! かわいい、かわいすぎる……!!!」

「……」

「あっ、飛んだっ! あ、また飛んだっ!! かわいくて泣きそう……」

「……」


 香澄と琴葉、左右に並んでいるが、同じものを見ているのかと思うほど、反応が違っている。だがまあ、楽しみ方は人それぞれだ。


 その後も2匹のイルカは、音楽に合わせてキレイなジャンプを繰り返していく。上に飛んだり、普通に飛んだり、お腹を背に向けて飛んだり、一見同じジャンプでも、組み合わせ方で何種類もの見え方になることを俺は知った。


「……だろうね」

「ん?」


 なにか琴葉がつぶやいた。俺が顔を寄せると、彼女はふたたび静かにつぶやく。


「すごく完成度高いね」

「だな」

「きっと、イルカも人も、たくさん練習して、このショーを作り上げたんだろね」

「だな」

「プロだね」

「だな。この子たち、プロのイルカだ」


 そして、最後に2匹のイルカが斜め上に飛び、空中でキレイに回転。大きな歓声とともに、15分間に及ぶイルカパートは終了した。

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