155 女児たちと水族館2
「ところで絵里子さんは惣太郎さんとお出かけすることってあるんですか?」
香澄が尋ねると、絵里子はニコッとうなずく。
「あるよ! パン屋さんとかよく一緒に行くし、本屋さんとか、あとは最近はないけど映画館さんとか」
「映画館のさん付けはちょっと不思議、ってのはさておき、仲良しなんですね」
「うん♡ 私、そうちゃんのこと大好きだから」
そんなことを言いつつ、絵里子は俺の腕にギュッとしがみついてくる。暑いし恥ずかしいしでマジでやめてほしいところ。
しかし、香澄はと言うと、そんな俺たちの様子を失笑したりせず、むしろどこか羨ましげに見る。
「でも、わかります。惣太郎さんってうちのお兄ちゃんに比べたら常識人って言うか」
「そうかな? そんなことないと思うけど……」
「絵里子が言うなよ」
「優しいし、気配りもできるし、落ち着いていて年上って感じだし……さっきも泣いてる私のこと優しくしてくれて……」
「あ、もしかして香澄ちゃん、そうちゃんのこと気になってんの?」
「え、惣太郎さんですか?」
と、絵里子のまさかのパスに、香澄は目をぱちくり。
しかし、探偵のように顎に手を当てると、んーと考え始める。その様子は意外にも真剣だった。
「そうですねえ……惣太郎さんがお兄ちゃんだったら良かったなって思ってたんですけど、でもカレシも意外と悪くないかもですね」
「いやなんでだよ。香澄まだ小6だよな?」
「イマドキの女子小学生はカレシくらい結構普通にいますよ?」
「それってあれだろ、周りの2~3人をみんなって言う系の統計だろ」
「さあどうでしょう?」
香澄がとぼけると、絵里子が上機嫌で続ける。
「でも私が言うのもあれだけど、そうちゃんオススメだよー? 料理上手だし、性格ちょっとこじらせてるけど優しいし、料理上手だし!!」
「そこしかないのかよ長所」
「でも料理上手はポイント高いですよね。私、将来バリバリなキャリアウーマンになる予定なので家のこと一緒にやってくれたら助かります。ゆくゆくは育児とかも……」
「小6が育児って、え、なに冗談だよね?」
「いえ、私はいたって本気です。大学卒業して広告代理店に入って25歳でずっとお付き合いしていた男性と結婚して27歳で妊娠、出産、そのあとは共働きで旦那さんと子供をふたり育てる……っていうライフラインがあるのです」
「それを言うならライフプランな。ライフラインって水道とかのことだから」
「っていうライフプランがあるのです。あるのです」
「さすがに私も驚くけど……でもそこまで考えられてるんだったら、もうこの際、そうちゃんはあなたに譲ろう。お婿さんにしていいよ!」
「いや勝手に決めるなし」
流れ的に絵里子にツッコミを入れたが、よく考えなくても香澄にも10回くらいツッコミを入れないといけないと思ったし、そもそも40過ぎの母親と小6の女児が俺をめぐって恋バナしているという、その世界観がおかしいのだ。
しかし、形はさておき、俺という共通の話題を通じて、意外にも絵里子と香澄は楽しげに会話を繰り広げていた。
最初、絵里子が女子小学生ふたりと、ちゃんとコミュニケーション取れるかどうか、俺はかなり心配していたが、どうやら杞憂だったらしい。精神年齢のレベルが同じくらいだから、話もかみ合ったんだろうか。
俺が友達を連れてきた結果、絵里子が自室にこもるという事件が起こってから約10年。長い年月を経て、絵里子も子供慣れしたのかもしれない。
と、そんなことを思っている一方で。
俺はもうひとりの女子小学生が、さっきからなにも喋っていないことに気づく。俺の前のほうに立っている彼女に目をやると、手元を見ていた。ぽちぽちとなにやら操作をしており、しかもそこからイヤホンが耳へと伸びている。
つまり、スマホで音楽を聴いていたのだった。
「琴葉、なにしてんの?」
しかし、琴葉は俺の声に気づかず、水槽の中の魚を眺めている。仕方ないので顔の前に手を出し、上下に振ってみる。
「おーい、聞こえてるか見えてるか」
「うわっ」
少し驚いたように目をパチパチさせると、琴葉は俺のほうを見る。なので、イヤホンと、手にギュッと握られたスマホを指さしてみせる。
「琴葉、それ」
「ん?」
「それ。それなんだそれ」
「なにって。スマホとイヤホン」
「そんなことわかってるよ。そうじゃなくて、何をしてるんだって意味だ」
「なにって……音楽聴いてる」
その言葉に、俺はあえて落胆を隠さずに、しかしなるだけ温和に伝える。
「なあ琴葉。たしかに俺たち、さっき口喧嘩したよ? だから強制するつもりはないけどさ、そうやってイヤホンで音楽聴いてたらどう思うと思う? シャットアウトしてるのかなって思うだろ?」
「……」
「俺だって琴葉の姉ちゃんといるときとか、本読んだりしてるよ。でも、それは向こうもサンドイッチ片手に勉強してるからであって、互いの了解ってのかな。があるんだ。でも今の琴葉は違うだろ?」
「……」
「ハナからコミュニケーションを拒絶するってどうなんだ? みんなで来てるんだから、一緒に楽しまないか? なあ」
「……っさいなあ」
とてもとても面倒くさそうな表情を浮かべながら、イヤホンを耳から外して琴葉が言う。そんな表情をされてしまうと連れてきた人間として、というか年上として、こちらも引けなくなってしまう。
「電車乗ってるときとかならわかるけどさなんで今なんだ?」
「うるさい若宮」
「そうじゃないって信じてるけどさ、言い合いしたあとだとこっちも『嫌みかな?』って思っちゃうだろ」
「ほっといてよ家族でもないくせに……」
「家族だったとしても文句言いそうだけどな琴葉なら」
「は? 若宮が家族? いや、どういう妄想」
「違うよ。ひよ姉、とも姉が注意しても文句言いそうって意味」
「ああ、そっちか。ややこしいなほんと……てか、ひよ姉とも姉言うな」
わかるだろ、とツッコミを入れたくなるが、いちいちそうしているとキリがないので俺は我慢。ふたりの口論が激しくなるのを見て、後ろで絵里子と香澄が動揺しているのがわかったが、肝心の琴葉には響いていないようで、これだけ口を酸っぱく言ったにも関わらず、耳にイヤホンをつけた。
「おい、琴葉っ!!」
「まあまあ、そうちゃん。落ち着いて、ね?」
琴葉にバッと手を伸ばそうとしたところ、後ろから絵里子に肩を掴まれる。香澄も俺のTシャツを引っ張っており、かなり困った表情を浮かべていた。
「いいじゃない、離ればなれにならなければ」
「いやでも」
「琴葉ちゃん、たぶんじっくりお魚見たいんだよ。音楽はきっと、そのカモフラージュというかさ」
絵里子がそう訴えると、香澄がこうバトンを受け継ぐ。
「そうですよ! きっと、エンヤとか聞きながらお魚見たいんだと思います」
「まあ、たしかに楽しみ方は人それぞれだけどさ……」
「それに、私としては惣太郎さんとたくさんお話できちゃいますし……」
「いや、なんかちょっと意味深じゃないそれ? 絵里子に変なこと吹き込まれた?」
「ふふっ」
「意味深な笑いだ……」
香澄の急なアピールはさておき、そんなふうにふたりに言われてしまうと実際、反論が難しいのもまた事実だった。
実際問題、俺は琴葉のマナーが年上として、中野から預かった立場として気になっただけで、根本的にはうるさく言いたくなんかないし、なにより彼女には楽しんでほしいと思ってるからだ。
「まあ、そうだな。はぐれなければ、いっかそれで」
俺がそう言うと、音は聞こえなくとも雰囲気で察したのだろう。琴葉は「ふっ」と鼻で軽く笑うと、ゆっくりとした足取りで先に歩いて行く。
「なんてクソガキなんだ……」
そんなふうにいろんな問題、すれ違いを抱えながら、琴葉とはぐれてしまわないよう、俺たちはほの暗い水の世界をたゆたうように後ろからついて行ったのだった。
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