154 女児たちと水族館1
それから俺たちは外出の準備をし、電車に乗って、水族館へと向かった。行くのはもちろん、江ノ島水族館だ。
神奈川県民にとってはお馴染みの場所だが、江ノ島は横浜や川崎などとはまた別の場所にあるので、俺たちが澄んでいる地域からは結構遠い。電車で片道1時間以上かかる道程を、座れる席を探しながら、乗り換えつつ江ノ島へと向かう。
「琴葉は江ノ島行ったことあるのか?」
「……うん」
「そうなんだー。ちなみにいつぶりかな?」
「……覚えてない」
昨日は俺、琴葉、絵里子の3人でそこそこいい空気感でやれていたが、同い年の香澄が入ったことが影響したのか、琴葉はどこかぎこちない態度だった。俺や絵里子が話しかけてもこんな感じで、なかなか会話らしい会話にならない。
「琴葉ちゃんって、昨日から惣太郎さんの家にいたんだよね?」
「うん」
「昨日はなにをしていたの?」
「勉強」
「へ、へー。そうなんだ……」
琴葉の反応が薄いからと言って、ずっと話しかけないでいるのに意味がないことを、香澄は俺や絵里子と同じように知っているのだろう。ゆえに熱心に話しかけてくれるのだが、いかんせん肝心の琴葉が薄い反応だった。顔を動かさず、時々目線だけをチラッと動かしつつ、興味を一切感じさせない低いテンションで答え続けている。
(なんてそっけない返事なんだよ……初対面の相手にぎこちなくなっちゃうのはまあわかるけど、にしても冷たいだろ……)
心のなかでヒヤヒヤしながら見守る俺だったが、大人な性格の香澄はめげずに、根気よく話そうと試みる。
「どんな勉強していたの?」
「学校の勉強」
「それはわかってるけど。内容とか」
「学習指導要領」
「それはみんなそうだと思うけど……じゃ、じゃあ勉強以外は何してた?」
「息」
「そ、そりゃ息はしてただろうけど」
「質問まだあるの?」
だが、琴葉の対応は塩対応の極みだった。というか香澄の質問を拒絶した。
当然、香澄はショックを受けたようで、みるみるうちに笑顔がしぼんでいく。琴葉から顔が見えないように背もたれに背筋をつけると、少し高い位置で悲しさを顔に解放させた。つまり、涙をぽろぽろこぼした。
そんなやり取りを見ていて、俺は我慢ができなくなった。自分がそうされてもべつに怒ったりしないけど、香澄の涙を見てじっとしていられるほど大人ではない。涙の数だけ強くなれるとかは一切思っていないひねくれな性格の俺だが、かわいい女児の涙の数だけ強くなれる性質は他の大多数の男性と同じく持ち合わせていたようだ。
なので、琴葉に抗議することにする。
「おい琴葉、ちょっとその態度はないんじゃないか」
「なにが?」
「なにがじゃねえよ。香澄がせっかく気を遣って色々質問を振ってくれてるんだぞ。もうちょっと、真面目に返したらどうなんだ?」
「でも私、質問してほしいなんて言ってないし」
「それはそうだけど」
「むしろ、放っておいてほしい」
しかし、琴葉は一切謝る素振りを見せない。それどころか、被害者面をしているようにも感じられた。俺が会話に参戦したことでやっとあげた顔も、すぐに下げてしまったし……昨日までわりと機嫌良かったのに、なんでこんなに無愛想になるんだよこの子……。
そして、琴葉にだけ聞こえるような小さな声で話してみる。
「琴葉、お願いだから仲良くしてくれよ。香澄は同い年だろ」
「は、同い年だからって仲良くなれるワケじゃないでしょ。若宮も同い年ってだけで誰とでも仲良くなれる?」
「……なれるワケねえな。ってなに納得させてるんだ琴葉」
「てかむしろそこがイヤなの。同い年ってだけで、なんか学校思い出すっていうか……」
その言葉に俺は思い出す。琴葉が不登校であることを。理由は聞けていないが十中八九、人間関係が問題だろう。
でも、涙を間近で見ている分、俺はどうしても香澄側に寄ってしまい……
「なあ琴葉」
「……」
「学校でなにがあったのかはわかんないけど、でも香澄は関係ないだろ?」
「それはそうだけど……」
「じゃあもうちょっと優しく接してあげないか? 琴葉だって無視されたらイヤだろ?」
「無視って、無視なんかしてないじゃん……」
そして、その言葉を機に琴葉がわなわなと震えだし、すっと席を立ち上がる。
「帰る」
「えっ」
「私、帰る」
「いやいや、駅もうすぐだし!」
「帰るったら帰るっ!!!」
そう叫んだ琴葉は躊躇なく俺を睨みつけており、苛立ちを少しでも発散させるかのように、電車の床をバタバタと踏みつけた。
その様子は、わがままな子供が駄々をこねるものでしかなかったが、周囲の視線を集めるには十分であり、俺たちはまたしても困ることになった。
「琴葉、悪かった。ちょっと言い過ぎた」
「ちょっとじゃないっ!」
一気に冷静になって慌てて謝罪するが、そんな俺の行動がさらに琴葉の怒りに火をつけてしまう。
「めっちゃ言い過ぎた。ムキになった俺が悪かった」
「謝って許されるなら警察も裁判所も留置所も拘置所も刑務所もいらないっ!!」
「ちょっと待て! 逮捕するつもりなのか!!」
「ちょっと、そうちゃんも琴葉ちゃんも!!」
そんなふうに電車のなかで揉めること数分。
絵里子の説得もあり、琴葉が電車を降りることはなく、なんとかそのまま水族館へと向かうことになった。だが当然の結果として、到着前から俺たちは最悪の空気に包まれることになったのだった。
○○○
夏休み、そして日曜日ということもあり、水族館は大変な賑わいだった。家族連れ、カップル、中学生高校生の集まり、地域の子供会、お年寄りの集団など、さまざまバラバラなグループで埋め尽くされている。
フロアにはゆったりとした人の流れがあり、それ自体は非常にゆっくりなのだが、常に動いているせいで、足を止めるのが難しいくらいだった。こうなってくると水槽のなかの魚たちと自分、どちらが身動きとれないでいるのかわからない感じである。
「すごい混んでますねえ」
「だな」
「なんというか、イワシの気分です」
そんなことを、イワシの水槽を指さしながら香澄が言う。今、俺たちの目の前には、イワシの群れが泳ぐ水槽があった。
「えーっと、群れで泳ぐのとかけてるのね?」
絵里子が補足をいれると、香澄は満足げにコクンとうなずく。
「こうやって群れで泳ぐ魚を見るたびに思うんです。きっとこの中の1匹くらいは『窮屈だなあ』『本当は1人で泳ぎたいなあ』って思ってるんじゃないかって」
「ほほう、イワシにそんな思春期みたいな感情があったとは……」
「イワシだからと決めつけちゃいけません。『俺の実力はこんなもんじゃない。違う世界に行けば隠された才能が開花するんだ』的なこと思ってる可能性だってあるんですから」
「イワシにそんな中二病みたいな感情があったとは……」
そんなふうに一通り合わせたのち、絵里子が琴葉に微笑む。
「香澄ちゃん、君、面白いこと言うねえ」
香澄とまだそんなに話したことがなかった絵里子は、冗談を言っている姿に少し驚いた様子だった……まあ、朝起きたら裸の女児と一緒にいる息子を責めていたんだから、冗談を言う姿を想像できないのも無理はない。が、普段の香澄にとってこんなのは平常運転にも満たず、いわば減速運転なのだ。
「当然です。私は大人ですし、立派な大人はウィットに富んでいるものですから」
「立派な大人。君まだ小学生だよね?」
「人間にとって大事なのは実年齢ではなくどう生きてきたかですよ?」
「なるほど……た、たしかに……」
いろんな事情を知らない香澄としては、とくに意識することなく放った言葉だったのだろうが、10年以上を無為に過ごしてきた自負がある絵里子は受け止めすぎていた。
「ところで絵里子さんは惣太郎さんとお出かけすることってあるんですか?」
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