152 女児と修羅場1

 その翌朝。


(ん……なんか腰のあたりが変だぞ……)


 俺は下半身に不自然な重みを感じて、眠りの世界から戻ってきた。


(寝てるときに変に寝違えたのかな。中学生のとき、起き抜けによくこむら返りを起こしていたし……)

 

 そんなことを頭のなかで考えながら、俺は目を擦ってベッドを降りる……いや、降りようとしたがなにかに腕をつかまれ、降りられなかった。おまけに痺れていたのでわからなかったが、脚になにかが乗っかっている……視線をそちらに向けると、俺の脚を枕にして琴葉が寝ており、絵里子が俺の腕にしがみついていた。


「え、なんでふたりとも俺の部屋にいる……?」


 俺は昨晩のことを思い出す。


 高寺と別れたあと、俺は自宅に戻った。機を見るに敏と判断したのか、琴葉と絵里子はまたしても「Nintendo Swich」をしており、俺はけしかけるようにしてふたりの部屋に追い込んだのだ。


 部屋というのは絵里子は絵里子の部屋、琴葉はオヤジの部屋である。単身赴任中の父親の例に漏れず、彼の部屋は物置と化しているワケだが、琴葉ひとり眠るくらいのスペースはある。それと、俺の部屋で一緒に寝るのは外聞的によろしくない……というのも理由のひとつだった。 


 ゆえに、当然ながら部屋の掃除も済ませてキレイな状態にしてあったし、布団も来客用の良いものを敷き、琴葉が俺たちに気兼ねなく眠れるようにしたおいた。


 はずなのに……。


「っておい! なんだその格好はっ!!」


 唖然としたのはそれだけじゃなかった。琴葉は寝相が悪いのか、ズボンがずり落ちてお尻の部分が見えていたのだ。幸い、パンツまでは脱いでいなかったが(すでに幸いじゃない気もするが)、色白な太ももはすっかりあらわになっていた。


 また、寝てる最中にとれたのか、シャツのボタンもすべて外れており、ほとんど膨らんでいない胸元も……見てはいけないものを見ないため、俺はばっと目を逸らす。


 しかし、絵里子同様、琴葉も朝が弱いのか、俺が大きな声を出しても「んーっ」と眠そうに呻き、目の焦点が合ってない。


 なんとかふたりの拘束を解くと、俺は床に「Nintendo Switch」が転がっていることに気づく。どうやら深夜までふたりで遊んで、どういう流れか俺の部屋にやって来たらしい。


「おい、琴葉! なんでここで寝てるんだよ」

「んんっ~、若宮……おはよぅ~」


 そう言うと、琴葉はふにゃああっと笑顔になって、俺に勢いよく抱きついてきた。初めて見る甘えた表情に俺が内心驚いたのは言うまでもない。耳元でむにゃむにゃ音が聞こえ、まだ寝ぼけていることがわかる。


 琴葉の格好が格好なだけに悠長に驚いていられない感じだが、抱きつかれたことであらわになった白い肌が見えなくなったので、そこはちょっと安心だった。 


「おい、なんで抱きつく」

「朝の習慣~」

「朝の習慣?」

「ひよ姉かぁ~、とも姉かにぃ~、ギュッッしてもらぅ~」

「ギュッと……いや今はそれよりパジャマのボタン」

「眠ぃから、若宮つけて~」


 いつものローローンさとは打って変わって、スキップしているかのような上機嫌な声色、舌足らずな口調……戸惑わないほうが難しいだろう。俺は見ないようにしつつ、指先の感覚だけを頼りにパジャマのボタンを閉めつていく。時々指先に訪れる柔らかい感触に、背徳的な気持ちになってしまう。


「てかさっきの朝の習慣って一体なんだ」

「体温低いから、温めるぅ~」

「なるほどそういうあれか」

「若宮もギュッッして」

「えっ俺が?」


 焦って聞き返すが、琴葉の眉間にシワが寄り、不満げに俺をなじる。


「はやくぅ」

「こ、こうか……」


 言われるがまま、俺は琴葉の体をそっと抱きしめる。


「んー、いい感じ……ふにゃあ♡」


 満足げな笑みを浮かべると、琴葉は程なくして静かになった。そして……


「……すぅーすぅー……」

「おい、寝るな」


 寝息を立てたので、すかさず白いおでこにでこぴん。「うぐっ」と琴葉は小さなうめき声を漏らすが、それでも目を覚ますには刺激が全然足りない様子だ。


「私、朝弱くて……」


 むにゃむにゃ言いながら目をコスコスこする琴葉は、本当に眠そうだ。いつもの感情の起伏はどこへやら、甘々なテンションで俺に密着を続けてくる。胸のところに顔を押しつけ、手を必死に伸ばして腰を抱き締めているのは、抱き枕的な気分なのだろうか。


(なるほどな。中野が言ってたのはこれのことか……)


 心のなかでそんなことを思う。


 たしかに、甘えてくる琴葉は超かわいかった。いつものツンツンっぷりとは違って、いや違うからこそ、妹感が炸裂しているのだ。中野からはLINEで予告されていたけど、あのあと高寺と会ったこともあって、正直すっかり油断していたぜ……。


 そして、俺の首にまわした腕にグッと力を込め、琴葉が耳元に顔を近づけてくる。


「若宮、いいニオイするぅ……」

「に、ニオイかぐなって」

「でもひよ姉のがいいニオイ」

「冷静になんなくていいから」

「でも若宮もいいニオイ……」

「そ、そうか」

「あ、でもこの辺はちょっと汗臭い」

「だから冷静になんなくていいから」


 内心ちょっと嬉しくなった自分が恥ずかしい。きっと、この寝ぼけ状態なら、琴葉も今のようなやり取りを覚えていないだろう。いや、覚えてないでいてほしい。顔を赤らめながら、俺は強くそう感じた。


 すると、琴葉が俺から体を離し、パジャマの胸元をぎゅんと引っ張って中を覗く。結果、せっかくさっきとじたボタンが部分的に外れ、白い下着がチラッと見えてしまった。


「私も汗かいちゃった……」

「着替えればいいだろ」

「眠いから着替えとかむりぃ……」

「まったくお前ってやつは」

「お前じゃないっ! 琴葉ぁっ!!」

「琴葉って。いや琴葉だけど、琴葉って呼んだら怒ってただろ……」

「らーめっ! 琴葉って呼んでほしいのっ!!」


 ここまでくると、もはや二重人格なのかもしれない。医学的にあり得るのかはわからないけど、そう聞いたほうが納得なぐらいだ。


「琴葉、いつもはどうやって起きてるんだ?」

「このままお風呂場まで運んでもらって、朝風呂」


 そして、中野が言ってたことの意味がここでまたわかる。どうやら琴葉は朝が猛烈に弱く、朝に風呂に入ることでなんとか起きているようなのだ。


 そうなると、たしかに夜に風呂入るより効率的かもな。不登校で家にいることが多ければ、汗もそこまでかかないだろうし。


「風呂は落としちゃったから、シャワーでいいか?」

「んー、わかんない」

「起きれるか自信ないか」

「うん」


 むにゃむにゃ声で、琴葉がそう言った。まあでも、ひとまずやってみるしかない。シャワーでダメだったら、風呂に入れよう。


 そう判断した俺は彼女をお姫様抱っこのまま風呂場まで連れて行く。壁や家具に琴葉の手や足がぶつからないよう、注意を払いながら風呂場に到着する頃には、俺の腕には結構乳酸がたまっていた。ひよ姉ととも姉は毎朝こんなことをやってるのか……と思うと、正直ちょっと尊敬だ。


「おい、風呂場ついたぞ」

「うー、ねむぃ……」


 しかし、壁に背中を預けたままの琴葉は、いまもなお夢うつつなまま。酒をたらふく飲んだサラリーマンのように、前後に10センチずつ規則的に揺れている。


「ほんとに朝弱いんだな……」

「私が朝弱いんじゃなくてぇ……朝が、強ぃ……」

「なに屁理屈言ってんだ。いいかシャワー浴びて目を覚ますんだぞ?」

「うー」


 そう言うと、琴葉は目をつむったままパジャマを脱ぎ始めた。


「ちょ、脱ぐのはやいって」


 俺がそう言うと、


「はやい……??」


 なにを勘違いしたのか、上半身が下着姿になった琴葉が、スローモーションでパジャマのズボンを脱ぎ始める。動作がゆっくりなせいで、片足立ちになった細い足がぷるぷると揺れていた。


「いや、コントか」



   ○○○



「タオルは持ってきて置いておくから。なんかあったら呼べよ」


 パジャマのズボンをズリ下ろし、上下ともに下着姿になった状態で、寝ぼけまなこの琴葉がコクンとうなずく。もちろんそれを目でとらえることはせず、雰囲気で確認を終え、俺はドアを閉じた。


 数十秒後、風呂場からシャワーの音が聞こえ始める。俺も絵里子も朝風呂、朝シャワーはしないので、我が家に他の人が来ているんだなと再確認させる音だ。


 そして、その1分後。


 琴葉が持ってきたリュックを前に、俺は葛藤と戦っていた。


 このなかには琴葉の着替えやらが入っている。せっかくシャワーを浴びたのだから、下着も服も着替えるはず。実際、汗かいたって言ってたし。


 でもリュックを開けると、どうしてもそれをこの目で見てしまうことになるワケで……。「これは仕方ないこれは仕方ない見たいわけじゃない見たいわけじゃない……よしっ」


 そう自分に言い聞かせ、俺は琴葉のリュックを開ける。


 幸い、中はキレイに整頓されており、ジップロックに下着が3セット、部屋着用のTシャツが2枚、ジャージのズボンが1着、外着用のTシャツが1枚、デニムの短パンが1枚、新しいワンピースが2着入っていた。2泊3日にしては数が多いが、中野が予備分も入れておいたのだろう。


 他にも着終わった下着、靴下などを入れるためのビニール袋や、ポケットティッシュの束、さらには俺が琴葉を万が一追い出したとき用と思わしき、ビジネスホテルのポイントカード数枚が一万円札3枚とともにがま口財布の中に入っており……もう、なんというか完璧だ。


「さすがに出張慣れしすぎだろ、中野ひよりさんよ……」


 下着はなるべく見ないようにして、必要な着替えを俺は取り出し、それらをひとつにまとめる。こうしておけば、あの寝ぼけ状態でもさすがに認識できるだろう。


 と、そんなことをしていると、である。


『ピンポーン』


 来客を告げるチャイムが鳴り響いた。


 時計を確認すると、ちょうど朝10時。こんな時間に来客などあるはずがないが、アマゾンもべつに頼んでいないはず……。


「誰だろ。宗教の勧誘かな?」


 玄関に向かい、ドアスコープを覗くと、そこには栗色の髪をした、大人びた表情の美少女があった。

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