150 円の呼び出し1

「ふーん……ってマジかそれ」

「うん。私は全然記憶ないんだけどパパママ……お父さんとお母さんがひよ姉に『受験したらどう?』って言ったらしい。たぶん、声優のお仕事やってたから私学のほうが都合がいいって思ったんだろうね。それで、ひよ姉は律儀にそれを守って私学に入ったの。中高一貫の、そこそこ名門な学校に」


 高校受験をして私学に行くというのはある意味普通だが、中学からというと、小学生のうちから受験勉強をしていたということになる。子供の教育に金をかける人が多い都市部とは言え、こちらはやはり少数派だ。


「それで、学校に入るとひよ姉は当然すごくモテ始めて。今みたいに変装してなかったから、まあ当然だよね」


 黒髪&黒縁メガネ&無言。


 この3つの防御で、中野は完全に地味な生徒を演じていたし、俺だって偶然その正体に気付く前はどこにでもいる地味なイチ生徒だと思っていたし、だからこそ素の姿を見たときはそのかわいさに大いに驚いた。


 なんの変装もしていなかった中学時代に、中野が多くの注目を集めてしまっていたのは、俺にとって想像に難くないことだった。


「中学生になると男子も色気づくでしょ? 先輩後輩同級生問わず、たくさん告白されてたみたいで」

「ほう」

「一番すごいときは7日連続とかで」

「まさか土日をまたぐとは……」

「1日のうちに3回体育館の裏に呼び出されたこともあって」

「3回も!?」

「でもひよ姉、呼び出された時間に行けないことも多かったんだよね。仕事で」

「ああ……」

「だから断った回数より告白させてあげられなかった回数のほうが多いくらいで」

「告白させてあげられなかったって、なんかすごい日本語だな?」

「だから挙げ句の果てには授業中に告白する猛者も現れて」

「えっと、どこまでモテ伝説続くのかな? なんかさすがの俺も切なくなってくるんですけど……」

「もう終わるから」


 と、そこで琴葉の表情が真剣になっていることに気付く。


「それである日ね、ある男子に告白されたんだけど、その男子はクラスのボス的な女子が好きな人で」


 そこからはよくある展開だった。


 その男子の告白を断った中野はボス女子グループのメンバーから無視されるようになり、次第に無視の輪が拡大。モテ期はあっけなく過ぎ去り、2週間も経つ頃には学年中から無視されるようになったそうだ。


「それと声優をやってることが広まっちゃってさ。もともと内緒にする予定だったんだけど、先生が漏らしたらしいんだよね」

「声優であることが、なんか影響するもんなのか?」

「いやするでしょ」


 俺が何の気無しに放った言葉に、琴葉は大きくため息。


 信じられない……という顔で、憐れみの目で見てくる。


「だって芸能人なんだよ? ミーハーな男子はそれだけでもう興味チンチ……興味津々じゃん」

「今めっちゃ下ネタ言いかけた気がするけど、まあ下心抱く男子もいたってことか」

「いやマジで。下心も上心も抱かれまくりだった」

「上心」

「ひよ姉おっぱい小さめだけど、でも揉み心地はいいから」

「上心ってそういう意味じゃねえから! 上心がもしそういう意味なら下心はどうなんのって感じだし、てか上心なんて単語はないからっ!!」


 俺が激しくツッコミを入れると、それまで無表情を貫いていた琴葉が、耐えきれなくなったようにぷすっと笑う。


 思えば俺との会話で初めて笑ったかもしれない……と変なところで感慨深くなりかけるが今、大事なのはそこではない。


「イヤな話だよね。ひよ姉、それまでもそのあとも誰に告白されても全部断ってたのに。その男子に手を出す可能性がないのだってわかるはずなのに」

「だろうな」

「ひよ姉、あの見た目で意外と押しに弱いとこあるから、それってすごいことなのに」

「じゃないかと思ってた」

「じゃないかと思ってたって、押したことあるの?」

「いやないけど」

「じゃ押し倒したことはある感じ?」

「なんで犯罪臭出してんだ」


 不名誉な冤罪に俺は苦い顔になって抗議。


 すると、さらに琴葉がくすくすと笑い声を立てる。いつの間にか、かなりリラックスしたムードで話してくれているらしい。


「わかってるよ。高寺のバカとの絡みを見てて思ったんでしょ?」

「その通りだよ」

「でも、ひよ姉はお仕事が大事だから。モテるのに彼氏作ったことないんだ」


 琴葉が言うとおり、中野が意外と押しに弱いことは高寺と一緒にいるところを見ればすぐにわかることだ。 


 そして、それと同じように彼女が仕事に対して非常に高い責任感を持っていることも、俺は知っている。人気声優という立場的に、そして一家の大黒柱という立場的に、男女交際なんてものは彼女の頭にはないはずなのだ。


 だって、彼氏バレすることによる経済的損失とか、絶対考えているに違いないから。理由はお金である。


 そして、琴葉の話は元の場所へと戻っていく。


「そういうの見てきたから私も不安になるの……ひよ姉に近づいてくる人が、危ない人だったらどうしようって」

「なるほどな。そういうことだったのか……琴葉って優しいんだな」


 俺は心からそう思った。だからこそ、包み隠さずに素直な言葉で接した。


 しかし、琴葉はむうっと口の先を尖らせると、なぜか腹立たしげに俺を睨みつける。


「優しいってなに。私、優しくなんかないもん」

「そんなことない。中野のことそんだけ思ってる人は、たぶん他にいないと思うぞ」

「若宮のくせに、また優しいこと言う……」


 そして、琴葉は俺のもとににじり寄り、両肩をグッと掴む。


「そうやって言えば、私が喜ぶと思ってるんでしょ!」

「いや、べつにそんなつもりは……」

「その通りだよっ!!」

「その通りなのかっ!!」


 ツッコミを入れつつ、俺は琴葉の手を持って自分の肩から外す。


 そして、彼女の目をまっすぐ見つめて、なるだけ優しい声でこう告げた。


「大丈夫だ、琴葉。俺はひよ姉にコクったりしないし、足を引っ張ったりもしないよ」

「……ほんとに?」

「ああ、約束する」


 すると、琴葉はなにやら急にモジモジし始めて、その場で手と手、足と足をすりあわせ始めた。急にどうしたんだろう。


「えっと、琴葉?」


 すると、琴葉は俺を見上げて。


「私ね、嫌なの……ひよ姉がこれ以上、相手してくれなくなるの……」


 小さな声を、喉の奥から絞り出すようにして、そっと俺に伝える。


 その声にはさみしさとか切なさとか、苛立ちとか、そういったものがたくさん詰まっているように感じた。


 そして、いじらしい表情でそう述べる琴葉は、甘えん坊な年相応な小学生の女の子であり、いつもの気の強さとは遠くかけ離れた印象を俺に与えた。


「お仕事しないといけないのはわかってる。でも、もっと私に構ってほしいの」

「ほんと仕事ばっかだもんな、あの子」

「だから彼氏とかは作らないでほしいんだ。ただでさえ最近は勉強も忙しいのに、もし彼氏ができたら私が入る隙間がなくなる」


 今回、ひとりでも平気と言って中野を送り出した琴葉だが、本当の気持ちを言えばそもそも仕事なんかやらず、一日中一緒にいてほしいくらいに思っているのかもしれない。


 だからこそ、俺は琴葉を安心させてやる必要があると思った。


「でも、その辺のことは心配しなくていいんじゃないか? 俺が見てる限り、中野に色恋沙汰なんてないと思うぞ?」

「どうしてそう思う?」

「簡単な話だ。頭のなかお金のことばっかだから」

「たしかに……」

「だからあるとしたら、色恋沙汰より裁判沙汰じゃないか。恋人の諭吉さんを誰かに略奪されたら、マジで浮気相手訴えるぞ」

「いや、裁判っぽく言わなくていいから」


 そう言いつつ、琴葉はほっと胸をなで下ろす。


「……それなら今まで通りのひよ姉だ。安心した」


 諭吉が恋人で安心するというのはなんだかおかしい気がしないでもないが、今は脇に置いておこう。


 そんなことを思いつつ見た琴葉の横顔は、遠くにいる恋人のことを思う少女のような、いじらしいものだった。



   ○○○



 部屋に戻ると、俺は中野に連絡することにした……のだが、LINEを開くと向こうからメッセージが一件来ていることに気付いた。


『打ち上げが終わり、ホテルに戻ってきました』


 シンプルな文字列だった。絵文字も顔文字もない、すがすがしいほどの業務連絡感だ。


『そろそろ就寝です。琴葉は結構長く風呂に入って、真っ赤になってました。晩ご飯は夏野菜カレーです。ちゃんと完食してました。あと、風呂あがりに少し話しました。あいつ、俺が中野に惚れてると思ってたらしい。勘違いスゴいよな』


 そこまで打ち込んで、俺は風呂上がり以降の部分を消した。中野について話したとか、琴葉が俺のことを勘違いしていたとか、そういうのは言う必要がないと思ったのだ。


 送信ボタンを押すと、数秒後に既読がついた。この速度は彼女がシスコンであることのなによりの証明だと思う。


 数秒後にきた返信はこうだった。


『いろいろとありがとう。琴葉、お風呂入ったのね』


 そこからLINEのレスがつながっていく。


『もしかしてシャワー派だった?』

『琴葉は朝風呂派なの』

『あ、そうなんだ』

『そのほうがいろいろ都合もいいのよね』

『都合って?』

『朝になればわかるわ』

『秘密ですかそうですか』

『寝起きの琴葉、とんでもなくかわいいから気を引き締めててね』

『かわいいのに気を引き締めるってどういうこと?』

『ごめんなさい、文字化けして読めないわ』

『常用漢字が文字化けするワケないだろ!』

『つまるところ、明日のお楽しみということね』

『事前に聞くことは叶わないんだな』

『これはあくまでひとり言なのだけど、琴葉はどうも水族館に行ってみたいと思ってるみたいよ』

『これはあくまでひとり言だけど、そういうのは家族で行くのがいいんじゃないか』

『残念ながら私に当分そんな余裕はなさそうなのよ』

『まーそうだろうな。考えとくわ』

『ありがとう』

『まだ行くって決めたワケじゃないからな』

『じゃあそろそろお休みなさい。明日もはやいの』

『おう。仕事、頑張ってな』


 メッセージのやり取りが終わり、俺はスマホをベッド脇に置く。


 中野は寝起きの琴葉のことをかわいいと言ってるけど、どんなふうにかわいいんだろうな。正直、もうすでに結構かわいいと思いつつあるだけに、楽しみなような怖いような……である。

 

(かわいいし、意外と健気なとこあるし、いっそのこと水族館連れて行ってあげようか……今の感じなら、絵里子も一緒に行けるかもしれないし……)


 そんなことを考えていると、LINEが届く。


 中野のやつ、寝るとか言ってまた琴葉のこと聞いてくるのか……と思って開くと、それは高寺からだった。


『若ちゃん、今からちょっと出てこられたりしない……?』


 そして、そのあとこんなメッセージが続いた。


『どうしても直接伝えたいことがあるんだ!!』

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