70 ハムロテと高寺円2

「えっ……りんりん」


 つい出た本音か、それとも喋り方の癖のせいか、またはその両方か。子供が泣く前兆のように顔をゆがめ、ひくひく頬を震わせ始めた高寺を見て、中野は「しまった……」とでも言いたげな表情に変わる。


「高寺さん、ごめんなさい今のは」

「りんりんはあたしと学校の外では会いたくないって言うの?」

「違うわ。今言った学校の人ってもののなかにあなたは入ってないから」

「……ほんとに?」

「ええ、本当よ。もともと、高寺さんは事務所の人だからね。だからどうしても今もそうなってるというか」


 中野がそう言うと、高寺はぐずるのを止め、しかし厳しい目はそのままに、バッと両腕を広げる。


「ハグ」

「ん?」

「謝罪のしるしにハグ」

「……仕方ないわね」


 諦めたように言うと、中野は高寺に歩み寄り、すっと優しくハグをした。数秒後、離れると、高寺はすっかりにんまりニヤニヤ幸せそうな笑顔に変わっていた。


「それに高寺さん。さっき私は『行かない』とは言ってないのよ。『行かないって言ったらどうする?』って聞いたってだけで」

「え、ってことは!?」

「行くわ。じつは野方先生から今回は休めないって言われてて。出席日数の関係でね、行事系を休むと進級が危うくなるかもしれなくて」

「やったー! りんりんと遠足っ!!」


 高寺は歓声をあげて抱きつこうとするが、中野はひらりと身をひるがえして回避。高寺は勢いあまったその場に倒れ込み、おでこをゴチンとぶつけた。


「い、いでぇ~」


 おでこをさすりながら涙を流す高寺。中野が遠足に来る喜びなのか、それとも頭をぶつけた痛みなのか。きっと両方だろう。


 そして、涙を拭いつつ、中野に尋ねてくる。


「じゃ、じゃあメンバーはどうする? 若ちゃんは当然一緒だよねっ!?}


 高寺は中野や俺と違い、クラスにもう他の友達も何人もいる。だから俺たちと一緒のグループにならない選択肢もあるわけで、ゆえに中野が遠足に行くか行かないかで、俺がどうなるかは変わりそうだった。


 だからこそ今までずっとそこについては触れないでいたワケなのだが、いよいよ「話題、俺」である。万を期しての登場に、俺は格好つけて……


『高寺がそう言ってくれるのは嬉しいけど、問題は中野の気持ちだろ。もし俺が一緒に行動することで中野の秘密が少しでもバレそうになるなら、俺は身を引くぜ』


 ……とでも言おうと思ったのだが、


「そうね、若宮くんは入ってほしいわね」


 中野はあっさり俺の加入を認めた。そんな彼女に対し、俺はわざとらしく大げさに反応してみせる。


「マジか、入れてくれるのか」

「知らない余り者より知ってる余り者のほうがまだマシだと判断したまでよ」

「なんだ中野、今日は優しいな。今まで散々俺のこと無視してきたのに、一応知人扱いなんだな」

「友達認定じゃなく知人認定でそれだけ喜べるって、友達が少ないことの弊害は予想以上に多いのね」

「それを言うなら中野も同じだろ? 高寺に誘われたとき、内心すげー嬉しかったんじゃないのか?」

「……若宮くん、私は友達が少ないんじゃなく、人間関係を取捨選択してるだけで」


 鼻でふっと笑われたので言い返したら、中野が今度はムッとしていた。効果的に攻められたらしい。自分を褒めたいところだ。


 と、そんなふうにいつもの感じでやり合っていると、高寺が「まあまあまあ」と仲裁に入ってくる。


「一緒に行くんだし、仲良くね? それで、他の2人はどうしようか?」

「誰でもいいわ。どうせ私は一言も喋らないし。ふたりで好きに選んで」


 あっさりそう言い切る中野に、高寺は頬を膨らませる。


「えー、遠足なんだしさすがに無理でしょ。それにせっかく一緒に行くんだから、あたしはりんりんと色々話したいもん」

「話すのは遠足じゃなくてもできるでしょう?」

「そりゃそうだけどー」


 いくら中野の秘密を守るためとわかっていても、高寺は残念なようだ。


 とそんなとき、屋上のドアが開いて、誰かが入ってきた。



   ○○○



「石神井に本天沼さん……?」


 思わず、俺が驚きの声をあげる……いや、正直に言うとこのふたりなら、いつかこういう展開になると心のどこかで気付いていた気もする。


「やあ。もうお昼食べちゃった?」


 石神井は陽気にそう言うが、すぐに隣にいる本天沼さんのほうをチラッと見る。予想通り、石神井は付き添いで、本天沼さんがお客のようだ。


「いつもここでお昼食べてるんだね」


 いつも通りの柔和な表情かつおっとりした喋り方だが、好戦的な雰囲気が節々から透けて見える。


「中野さんが昼休みになると教室からいなくなるのは1年生のときから知ってたけど、たしかに若宮くんも最近はいつも教室から消えてたもんね……高寺さんは転校生だし、食堂でも行ってるのかなあって思ってたけど……なるほど私の予想もまだまだだ。本来開放されてないはずの屋上に集まってたとは」

「いきなり現れたと思えば、あなたはなにが言いたいのかしら」


 中野が静かな口調で尋ねる。すると、本天沼さんは満足げな笑みを浮かべ、こう返す。


「提案なんだけど……遠足、私たちと一緒のグループにならない?」


 本天沼さんは石神井を見上げながら言う。それに対し、石神井は不敵な笑みを浮かべてみせる。仲の良い俺にはわかる。これは完全に面白がって悪ノリしているときの顔だ。そして石神井がこういう表情をしているときは、大抵いい結果にはつながらない。


「今、クラスで3人の関係性を知ってるのは私たちだけでしょ? だから、一緒になるのがいいんじゃないかって」

「なるほど、たしかにその通りね」


 中野が本天沼さんの主張に同意する。


「それに私たちと一緒なら、中野さんも遠足中に話せるでしょう? 他の人なら、体育の時間みたいに……まどちゃんが延々と独り言を言う感じになると思うし」

「えっ、あたしそんなふうに見られてるのっ!?」


 自分の話が急に出てきて、高寺は驚いたようだ。


 しかし、本天沼さんはサクッとうなずいてこう続ける。


「うん。ずっと無視してる中野さんも酷いけど……無視されてるのに話しかけ続けるまどちゃんもおかしいって」

「それじゃあたしが頭おかしい人みたいじゃんっ!!!」


 高寺はそう叫ぶが、そもそも自覚がないのが俺にとって驚きである。初対面から明らかに頭おかしい人だったからなこの子……そんな高寺のことはスルーしつつ、本天沼さんが交渉を続ける。


「ちょうど3人と2人みたいだし、どうかなって」

「なるほど、言いたいことはわかるわ」

「名案でしょ?」

「でも、もし同じ班になれば私のことを色々と根掘り葉掘り聞いてくるんでしょう?」

「……」

「高寺さんに色々聞いてるらしいじゃない。確認はしていないけれど、きっと若宮くんにも聞こうとしてることでしょうね」


 中野は俺のほうをチラッと見る。なんて答えれば正解なのかわからず俺は黙ったまま視線を逸らすが、中野的にはそれがすでに答えだったようだ。


「あなたに尋問されるとわかってて、一緒の班になりたいとは思えないかしら」


 そこまで言うと、中野は一瞬黙り、そしてこう述べる。


「でも、あなたはなんとなく、それで素直に食い下がりそうには思えないわね」

「中野さんのこと、他の人に言いふらすことはしないよ……でも。たしかにひとり言が他の人に聞こえて、ふたり言とか三人言になっちゃうとかならあるかも……?」

「……つまり、私に選択肢はないということね」


 中野が観念したようにそう言うと、本天沼さんはにっこりと笑う。笑顔で物事を押し切る感じが、もう全然笑えない。


 俺が秘密を知ったとき、迷わず拉致し、現金をちらつかせ買収しようとしてきた中野だ。良くも悪くも人を安易に信用せず、合理的かつ理性的に物事を判断する傾向がある。


 だからこそ、ここで本天沼さんと争っても仕方ないと判断したようだ。


「じゃあ決まりね。この5人で遠足に行きましょう」

「……それでここからが提案なんだけど」

「ここからが? さっきまでは何だったの」


 中野は眉をひそめてそう述べるが、本天沼さんは予想済みと言った表情だ。


「中野さんの性格的に、私が他の人にバラす可能性をちらつかせれば、一緒の班になるのは間違いないと思ってたからね」

「なるほど、だから提案はここからと……」


 聞きましょう、という表情で中野が見る。その目は、先程よりも数段真剣で、どんな提案をされるのか、不安になっているのがうかがえる。


 すると、本天沼さんは、こう口を開いた。


「なんでもいいから、私と勝負してほしい。それで私が勝ち越せば、あなたたちの関係性を教えて!」

「勝負? また?」


 石神井とのテスト対決の件があっただけに、俺は思わず反応。そして石神井を見ると、なにも言わずやつはにやっと笑った。なるほど、ここも織り込み済みらしい。


 「勝負って? 楽しそうっ!!」とひとりはやくも盛り上がっている高寺を除き、俺と中野は、言外のコミュニケーションを通じて本天沼さんがここまで話の筋を描いていたことに気づく。


 そして、俺たちがそう気づいたことを踏まえたかのような、確信に満ちた表情で、本天沼さんはこう言い放った。


「もちろんこれは提案だから……中野さんが私に負けると思って、少しでも怖いと思ったり日和ったのなら……無理に受けなくてもいいから」

「……」


 そう言われて、すごすごと引き下がれるほど、中野は負けるの好きではない。むしろ、その真逆の負けず嫌いなのだ。


 こうして、遠足は中野と本天沼さんによる、3番勝負の対決になったのだった。


 ……なんだこの、2話連続な感じの展開は。

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