69 ハムロテと高寺円1
俺としてはもはや常識的な事柄を言ったつもりだったが、よく考えなくともこの単語は自分以外の人に言っていないものだった。
ゆえに、高寺がわかりやすくキョトンとした表情になる。
「ハムロテ?」
「べつにたいしたことじゃないんだが、中野って昼飯必ずサンドイッチだろ?」
「あー、だね」
「勉強しながら食事できるようにってことなんだろうけど、食べてるとき、モグモグするのと教科書に集中して停止する、っての繰り返してんだよ」
「ほう……」
高寺が中野のほうを見る。
その視線に気付かない中野は、ハムスターと見まがうばかりに頬をサンドイッチでいっぱいにし、モグモグするのと、停止して教科書に意識を奪われるのを繰り返していた。
普段はクールな印象の中野だが、ひまわりの種を口に含んだハムスターのように頬が丸くなると、自然とその冷たさも和らぐ。
そして十数秒ほどじっくり見たのち、高寺が鼻息を荒くしてこっちを見ていた。
「なにあれ、かわいすぎない?」
「まあ、かわいいと言うか……」
「ハムロテ! まさにあれハムロテ!」
「いや、改まって言われるとなんかあれなネーミングだよな」
「そんなことない! 兄ちゃんイイ仕事やっ!」
「そ、そっか……」
そんなふうに称賛されてしまうと、余計に恥ずかしい。
が、照れてる俺よりモグってる中野のほうが高寺の興味の対象なのは言うまでもなく、今度は嫉妬を感じさせる声が耳に届く。
「若ちゃん、あれずっと独り占めしてたの?」
「べつに独り占めなんかしてねえよ」
「くーっ、永久保存してぇ……撮っちゃダメかな?」
「なにを撮るつもりなの?」
「ひょわあっ!!!」
さすがに(高寺が)騒ぎすぎたらしい。
深い集中の海から浮かび上がってきた中野が、冷ややかな視線を俺たちに向けていた。
「やー、ちょっとね! き、キレイな空だなーツイッターにポエムと一緒に載せちゃおっかなーって」
「そんなファンが困る投稿やめたほうがいいと思うけど。どうせなら仲良しの子とディズニーに行って写真撮ってくればいいじゃない。オタクがいっぱい釣れるわよ」
「やめてその実在の声優さんにも被害及びそうなセリフ! みんなそんな下心じゃなく普通にディズニー好きだから行ってると思うよ! てかそんな話じゃなくてっ!!」
ひととおりツッコミを入れたのち、高寺が本題に移る。
「ねえねえりんりん、わたしたち、遠足同じ班だよね? そうだよね?」
しかし、中野は高寺の視線から逃れるかのように姿勢を正す。
そして、いつもの通りの低いトーンで続けた。
「私は行かない……って言ったらどうする?」
「えーっ、なんでっ!?」
「遠足に行かないことが、そんなにおかしいことかしら」
「えーだって遠足だよ楽しいじゃん。みんなで学校の外に行っていつもと違う経験して」
「人それぞれよ」
「ん?」
「楽しいかどうかは、人それぞれよ」
しかし、理解できないのか、高寺はなおもキョトンとした表情だ。
「高寺さん、あなたはどうもみんなが遠足を好きって思ってるようだけどそれは違うわ」
「そうなの?」
「世の中にはね、2種類の人間がいるの。周りが楽しそうにしてると自分も楽しくなる人と、周りが楽しそうにしていると楽しくなくなる人。残念ながらね、私は後者なのよ」
「そ、それは残念だ……」
一瞬心のなかで中野に同意しかけるが、高寺がそう言うので俺は内心勝手に傷つく。
しかし、中野は気にもとめていない様子だ。
「生まれつきなのよね。だから、もう治らない」
「あの、あたしこっちの病院とかまだ詳しくないけど」
「病院は勧めてくれなくていいわ。べつに心を病んでいるワケではないし、そうだとしても人格とか人間性は治療できないから」
申し訳なさそうに切り出す高寺に対し、中野はこめかみに手を当てながら低いトーンで返した。自分のことのように悲しげな表情になっている高寺と対照的で、他人行儀な感じすら感じられる。
「そして、私はそういう自分のことを残念とは思っていないわ」
「……ほへ?」
「聞き方を変えましょう。高寺さん、小学生のときに『バナナはおやつに入りますか?』って先生に聞いている生徒っていなかった?」
「いたいた! 男子の、目立ってる子が言ってたっけ」
「それを聞いて、高寺さんは笑っていた側でしょ?」
高寺がコクリとうなずく。
「私は違う。周りが爆笑してるなかで、『は? なにが面白いの?』『明るいだけなのに、自分のことを面白いと勘違いしてるなんて愚か』『バナナの皮踏んで頭打って死ねばいいのに』って思ってたの」
「そ、そこまで思わなくても……」
「いやさすがに言い過ぎだろ」
高寺とほぼ同時に、俺もそう反応してしまう。性格が明るいとは言えない俺だが、陽キャたちに恨みを持ってるワケではないので、中野の発言は少々過激に思えたのだ。
だが、中野は俺を睨みつける。
「そうね、小学生相手には言い過ぎかもね。でも、そこから大した進化もなく、中学生になっても同じようなことを言ってクラスを湧かせてたあいつらに関しては言い過ぎとは言えないかしら」
「りんりん目の色変わってる……」
「中学時代のトラウマが爆発してんな……」
個人的な怨念を爆発させる中野に、少々引いてしまう高寺と俺だが、それだけ辛い時期だったのだろうと思うしかない。
「まあ私のそういう話はさておき。世の中にはね、そういうひねた感受性の人もいるってことよ」
「なるほろ……」
「みんながみんな、高寺さんのように人好きなワケじゃないの」
「だったら、なおさら遠足とかで人と一緒に過ごす練習をすればいいのに。そしたら協調性のない子でもグループ行動にも慣れるし、さみしくなくなるんじゃないかな」
だが、高寺はなおも主張を曲げない。
でも実際問題、バナナはおやつに入るかどうか問題で笑えるってのは、協調性という点では大事な性質だろう。俺や中野のようにこだわりの強い人間は、そういうシチュエーションに直面するとすぐに「自分の感性が試されてる」とか「簡単に認めたら自分のセンスが陳腐ってのを証明することになる」とか思ってしまうのだが、じつのところ、試されてるのはセンスの有無ではなく協調性なのだ。
……とはいえ、である。
中野に対して上のような感想を抱いた俺だが、人付き合いに関して一家言あるのは同じだ。性質的にも、高寺より明らかに中野寄りの人間だしな。
というワケで高寺のほうを向くと、中野の発言を受け継ぐようにして口を開く。
「高寺は俺たちみたいな人間のことを全然わかってない。みんなでいるより、ひとりでいたほうがよっぽどさみしくないんだよ」
「どういうこと?」
「たとえばなんだけど、中学のときに友達とスポッチャとか行ったことある?」
「あるある! 田舎で娯楽なかったし、運動部だったからよく行ったよね。バスケとかするんだけど、ソフトの筋肉とは違うのか筋肉痛なったりして。懐かしかったなぁ」
「俺さ、中学のときにひとりでスポッチャに行ったら、たまたまクラスの奴らに遭遇したことがあって」
「……ひとりでスポッチャ行くってなに?」
高寺には想像できない休日の過ごし方らしいが、俺にとってはそれが普通だったのだ。夏休みなんかは暇すぎて、というか家の中で絵里子と一緒にいるとさすがに気がめいってきて、週に一回は必ず行ってたし、むしろ当時は「俺の縄張りにクラスメートが入ってきた」くらいの気分だった。
「たぶんスルーするのは悪いと思ったんだろうな。その子ら、俺に『良かったら一緒に遊ばない?』って言ってくれて。そうすることになったんだけど」
「へえ、優しいじゃん」
「正直全然楽しめないわけよ」
「……そうなんだ」
「みんなは普通に楽しんでるのに明らかに俺だけ溶け込めてなくて、途中から俺のことを気にしてくれる人もいなくなって、でも悟られないように無理に笑って、表面的な会話して……帰りの電車で、すっげえ切なくなったんだよな」
「あー」
「で、翌日は筋肉痛。と言っても顔のな」
「笑顔で筋肉痛ってなんて悲しいの……」
高寺はもはや泣きそうな表情だったが、俺の中学時代はそんな感じだったのだ。絵里子の世話をしてたせいで精神的に半分病んでたのもあるし、話しかけ見知りな性格もある。
あとは、例の中2のときのあの出来事。あの日以降、ショックのあまり、話しかけられても反応できないこともあったもんな……。
そういうワケで、正直なところ、俺も遠足にはいい思い出がない。だからこそ、中野が遠足を嫌う気持ちも理解できた。
「だからこそ、ひとりのときに感じる孤独より、大勢でいるときに感じる孤独のほうがキツいんだ。遠足が辛く感じる人がいるのも当然なんだよ」
「なるほど……」
さすがに少しは感じるところがあったのか、高寺が神妙な面持ちでうなずく。べつに高寺の価値観を否定したワケではなかったけど、ちょっと言い過ぎてしまっただろうか。高寺は明らかにシュンとしていた。
すると、黙って俺と高寺の会話を見守っていた中野が、静かに口を開く。
「高寺さん、私は集団行動が好きではないし、屋外より屋内のほうが好きなの。それに私、学校の外でまで学校の人と会いたくないし」
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