65 勝負の行方は…

 結果だけ言えば、ふたりの勝負は中野の勝利に終わった。


 いや、正確には不戦勝というべきか。勉強しすぎた石神井が1徹2徹3徹……と徹夜を重ねるうちに「驚異の7徹!」に達してしまい、その結果、極度の疲労から最終日最後の科目の直前に過労で倒れてしまったのだ。聞いた話によると、病院に運ばれたときには40度を超える熱が出ていたそうで、「もう1徹していれば命の保証はできなかった」と医師は言ったそうだ。


 こういう理由により、実質1教科受けられなかった石神井を、総合得点で中野がかろうじて数点だけ上回ることに。平均点では石神井のほうが上なのだが、それでも勝ちは勝ちである。


「俺の若宮への愛が強すぎたせいで、負けという結果を招いてしまったというのは、皮肉な話だよな」


 真っ白い枕に頭を置きながら、石神井は目を伏せ、ひときわ長い睫毛を見せてつぶやく。涙をぬぐうように、両目のうえでその手をゴシゴシ動かせるのだが、ぬぐうようにと書いているとおり、ぬぐっているだけであり、涙は一滴も流れていないのがポイント。


「また意味不明なこと言って。まあ、熱は下がったみたいだな」

「おかげさまで。若宮が見舞いに来てくれたおかげで、たぶん5度は下がった」

「それは下がりすぎた」


 今日は週明けの月曜日。


 石神井はまだ病院に入院していたので、俺と本天沼さんは一緒に見舞いに来ることになった。野方先生から、石神井の成績表を届ける役目も仰せつかったというのもあった。


「でも、こうやって若宮が看病してくれるんだから、頑張った甲斐もあるということよ」


 満足げに語る石神井に、俺はすかさず訂正を入れる。


「いや俺、べつに看病してないけどな。見舞いに来ただけで」

「手とか握ってくれたし、冷えピタ貼ってくれたし、これもう俺の中ではもう四捨五入で看病だよ」

「いや、握ってないし、俺来たときには冷えピタ貼ってあったけどな……」


 すると、本天沼さんがため息をつき、ふっと笑う。


「石神井くん、どうやら熱あるみたいね……幻覚? 記憶の改ざん? 起きてるし」

「熱……そうかもな。少し寝るよ」


 そこまで言うと、石神井は首の角度を変え、目をつむる。その無駄に整った顔が、呼吸のたびに静かに動く。


「……寝た?」

「たぶん」

「はやっ」


 どうやら本当に眠ったようだった。気丈に振る舞っていたが、実際は相当疲れているのだろう。


 本天沼さんは呆れたような、それでいて嬉しそうな顔になり、俺に笑いかける。


「若宮くん、色々とお疲れさま……」

「ありがとう」


 その笑顔にそう返すが、本天沼さんは優しい微笑みを崩さないまま、不敵にこう言い添える。


「でも、安心しちゃダメだからね……? 石神井くんの次は……私の番だから」



   ○○○



 その後、俺は駅で本天沼さんと別れてから、高寺の家に向かった。玄関で部屋番号を押し、オートロックを解除してもらって中に入り、最上階にのぼる。そのうちの一部屋のインターホンを押すと、笑顔の高寺が俺を迎えた。


「やっほー!」


 足下に2つスニーカー……中野が履いていたらしきローファーと、高寺のコンバースのスニーカーが並んでいるのを見て、俺はすでに先客がいることを理解する。


「中野もう来てるんだな」

「うん。あ、でももう行っちゃったけど」

「行った? 帰ったの?」

「や、そうじゃなくてね」


 高寺の言ってる意味がわからないままリビングに入ると、ソファーのうえに丸まって眠っている人がいるのに気付く。


「来てるけど、まあもう夢の中に行っちゃった、みたいな」

「なるほどな」


 苦笑して頭をかきながら、高寺はブランケットを中野にかける。すると中野は寝返りを打ち、こちらに顔を向ける。寝息のたびに、整った顔が、わずかに動く。テスト直前、目の下にできていたクマはいつの間にか消え、いつも通りの透き通った澄んだ肌をしていた。起こさないように、俺は静かに腰をおろす。


「石神井くんとの対決、勝てて良かったね」


 キッチンでお茶を入れながら、高寺がしみじみとした口調で言う。


「石神井らしい、茶番な結末だったけどな」

「でも、実際ふたりとも成績上がったわけだし」


 そうなのだ。


 かなり勉強した甲斐あって、もともと250位だった中野は最終的に150位にまで浮上。まだまだ好成績とは言えないものの学年上半分ではあるし、この順位を維持すればいずれは二桁台も視野に入ってくる。


「正直、仕事しながらあそこまで成績あがるとは思ってなかったよ。予想外すぎて」


 コップに入れたお茶をお盆からテーブルに置きながら高寺が言う。


 だが、俺としてはひとつ主張、というか抗議しておきたいことがあった。


「いや、そういう話なら高寺」

「ん? なに?」

「高寺のほうがよっぽど驚きだぞ」


 そしてテーブルの上に置かれた紙を見せつける。


「学年成績10位ってなんだよ!!! 普通に優等生じゃねーか!!!」

「やー、バレちった?」


 おどけながらぺろっと下を出す高寺に、俺は苦言を続ける。


「しかも英語88点、数学92点、国語に至っては94点って普通に超高得点だろ!」

「やー、なぜか昔から勉強は結構得意でさ」

「まさか高寺からそんな言葉聞くとは思わなかったわ……これもう、普通に頑張れば早慶狙えるレベルだろ」

「へへ、面と向かって褒められると恥ずかし……」

「勉強できるのに、なんでそんなバカなんだよ……」

「ほ、褒めてないしっ!」


 そう言いながら、高寺はお盆を床にがしゃーんと落とす。その音のせいで、ソファーの上の中野が「ん……」と小さく声を漏らした。


「……あぶない、起こしちゃうところだった」

「そういうとこだぞ、まったく」

「まーでも勉強できるかどうかと、人間として? の頭の良さは別ってかさ」


 お盆を拾いながら、高寺が弁解する。


「それ自分で言うことか? むしろ、高学歴なのに犯罪おかした人とかを揶揄するときとかに使われる表現というか」

「そうなのっ!? あ、あたし逮捕されちゃうのかな…っ!」

「いや知らんけど」


 なにを想像しているのか、高寺は若干泣きそうな表情になっている。もし彼女がマンガのキャラなら、横に「がびーん」って文字を加えたくなるほど、「がびーん」という表情をしていた。


 ……でももし逮捕されるなら、きっと痴漢だろうな。女性声優を体を触ったり揉んだりして。それだけはなんか自信がある。



   ○○○



 30分経っても中野は目を覚まさず、その間、高寺はずっと頭を優しく撫でていた。


 どこかで見た光景に似てる……と思ったが、遊園地に行ったときだとすぐに気付く。そこまで昔の話じゃないからな。


「もしかして、これを機にあのふたりとも友達になるのかな」

「やー」


 高寺の言葉に、俺は思わず首をかしげる。


「それはどうだろう。石神井はさておき」

「舞ちゃん、だっけ? あの子はなぜか、りんりんに好戦的な感じだったしね」


 石神井くんの次は、私のターンだからね。笑顔でそう言い放った本天沼さんに、俺は胸の奥がひゅんとなる。


「それに、もしあたしたち以外とも話すようになると、なし崩し的に他の人とも話すことになるかもしれないし、そしたら秘密、隠せなくなりそうというか」


 高寺は、心配そうな声でそう語った。そして俺は、それをもっともな指摘だと思う。


「まー、でもそこはりんりんが判断することだしね」


 どこか保護者のような視線を、高寺は中野に向けて言う。


 いくら成績が良いとか、その表向きの脳天気さとは裏腹に声優として才能を持っていそうなこととかを知ったうえでも、保護者のような目を中野に向ける高寺にはやっぱり違和感を覚えざるを得なかったし、静かに寝息を立てる中野の姿にも、不思議さを感じざるを得なかったのだった。

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