63 月明かりに照らされて1

 その日以降、俺たちは高寺の家に集まって勉強することになった。


 理由は2つ。ファミレスで集まることの危険性を改めて認識したことと、単純に勉強に適した広い家があったからだ。


 本格的なテスト勉強を始めた日、俺は中野と高寺に宣言する。


「俺が指導係になったからには、一秒たりとも手を休めることは許さない」


 いつもならとりあえず不満を述べたり奇声を上げたりする高寺も、俺の真剣な顔つきを見てか、今回ばかりは黙ってうなずいた。


 集まる時間は日によって異なり、収録のない日は放課後に直行することもあれば、中野の仕事に合わせて、夜の21時に集まることもあった。


 2週間前から1週間前。


 音読をしたり、裏紙に何度も書いて、教科書を徹底的に暗記。この期間は徹底的に例題や基本問題を暗記していく。


 1週間前から3日前。


 暗記がある程度進むと、今度は参考書を繰り返し解く。この時点で暗記が完了している必要はなく、むしろ例題を解くことで、別角度から問題をとらえ、公式の理解や基本問題の暗記を進めることができる。


 3日前から前日。


 俺が作った特製ノートで、弱点を重点的に復習。石神井のときもそうしたが、弱点というのはなにも難しい問題というわけではない。簡単な問題でもその人にとって難しければ最重要復習事項となり、テスト直前まで何度も繰り替えし触れる必要がある。



   ○○○


 中野は仕事の合間にも、自習を続けていた。


 なぜ知っているかと言うと、昼休みに、数学の問題をビデオ通話で教えたからである。屋上で、数学の参考書を広げながら、横に置いたノートにリアルタイムで解き方を記述していく……という、なんだか東進衛星教室のような授業だった。大学生になったら塾講師のバイトできそうな気がする。中野はそれを、スタジオの廊下や移動中の電車のなかで観ていた。


 今まで高校のWi-Fiを休み時間に使ったことはなかった俺だが、今回ばかりはありがたく思えた。


 そんなふうに、仕事とテスト勉強を中野は続けていた。


   ○○○


 そんな、ある日のことである。


 休み時間、中野の勉強用ノートを作っていたところ、右側からふんわりとした声が俺の名を呼んできた。


「若宮くん」


 姿を確認するまでもなく本天沼さんだとわかったが、おそるおそる見るとやはり彼女だった。今日も今日とて、柔和な笑顔を浮かべている。


 今日は、中野がアニメの収録で休み。高寺は朝から学校に来ていたが、ぐるっと周囲に視線を向けるも教室のなかにはない。おそらく、本天沼さんはこのタイミングをはかって話しかけてきたのだろう。


「若宮くんと中野さんのことで……聞きたいことがあるんだけど」


 本天沼さんは持ち前の柔和な表情で、俺にだけ聞こえる音量で尋ねる。表情が柔らかいだけに、話す内容の遠慮のなさが際立っている感じだ。


 俺はノートを閉じながら、立ち上がる。


「廊下でいい?」

「うん。教室じゃないとダメな理由はないよ」

「あ、うん」


 俺たちは連れだって廊下へと向かう。途中、石神井の隣を通過したが、真剣な表情で勉強していたので話しかけられなかった。寝不足なのだろう、目の周りにクマができているが、マイナスには作用しておらず、イケメンさに憂いが加わっているようにすら見えるのが恐ろしい。


 しかし、もっと恐ろしいのは、石神井が小さな声で「若宮……若宮……」とつぶやいていたことだったのだが。


「中野には絶対勝ってもらわないと……貞操の不安が……」

「若宮くん? 今なんか言った?」


 廊下に出ると、本天沼さんがすかさず聞いてきた。


「いやなんにも」

「そう? 小声で、よく聞こえなかったんだけど」

「石神井、すごい勉強してんだなって言っただけ」

「ふーん……ならべつにいいんだけど」


 テキトーにごまかしたが、本天沼さんは本当に聞こえていなかったようで、素直に納得してくれる。


「石神井くん、今めちゃめちゃ勉強してるよ。毎日10時間の猛勉強。高校受験のときよりも、真面目にやってるって」

「怖いなマジで……」

「それで、話なんだけど」


 近くに人がいないのを確認しつつ、本天沼さんは話を戻す。


「何かな?」

「なにって、わかるよね……?」

「あー、うん……まあ」

「若宮くん、補講のときに中野さんに話しかけて無視されて、凹んでたじゃん? なのに、なんでファミレスで一緒に勉強してたのかなって」


 中野から聞くのはまだ時間がかかりそう、石神井には期待できない……ということで俺に聞こうとしたらしい。


 しかし、中野が声優をしてることに気づいて、マネージャーとその協力者である担任に拉致され、挙げ句の果てには勉強を教えるという依頼を受けた……なんて言えるはずがないので、俺は言葉を濁すほかなかった。


「まあそのいろいろね」


 すると、本天沼さんはイタズラっぽく笑う。薄曇りの空のような色の髪が、ふんわりと蠱惑的に揺れる。


「そっか。言えないような、関係、なんだ……」

「言えないような関係ってちょっとその言い方は……」

「私、一度気になったら突き止めないと気が済まない性格なんだよね」


 優しい声色でそんなことを言うので、背筋が凍るような感覚に襲われる。


 が、いずれにせよ俺から秘密を話すワケにはいかないのだ。


「ごめん、俺からは言えない。どうしてもって言うなら、中野に教えてもらえるように、頑張るしかないと思う」


 何度言われようとも、俺から言うワケにはいかない。それが俺の結論だった。


 すると、本天沼さんは満足そうな顔で、コクリとうなずく。


「わかった……私もお友達って思ってもらえるよう、努力してみるね」


 お友達が俺を指すのか、それとも中野を指すのか、両方なのか。俺はわからず、聞くこともできず、顔を少し引きつらせて笑って流すしかなかった。



   ○○○



 そんな一悶着が密かにありつつ。


 勉強会を本格的に始めて以来、中野を家まで送り届けるのが、なんとなく俺の役割になっていた。


 高寺の家から、中野の家までは徒歩で20分ほど。だとは言え、駅を挟んで反対側の位置関係であり、そのうえ中野家は坂をかなり登ったところなので結構距離があるのだ。その道中、基本的に普段は皮肉・非難・誹謗中傷の応酬を繰り広げている俺たちだが、この日は空気が重かった。中間テストを前に行なわれる予行演習的なテストで、中野が酷い点を取ってしまったのだ。


 ただ悪い点数を取っただけなら良かったが、この日はすでに、中間テスト初日の前日になっていた。 


 つまり、そこそこ勉強したにも関わらず、結果が出なかったということだ。


「……」

「……」


 昨日まであった会話が重ねられないまま、俺たちは急な坂道を並んでのぼっていく。街灯は多くないものの、月明かりに照らされた道は、角度によっては眩くすら見えた……いや、目を細めて変に気むずかしい表情をしてしまうのは、俺がこの気まずさを打開できていないからだろう。


「はぁ……」


 話題を切り出せないままでいると、中野が小さくため息をつく。


「さすがの中野も、疲れたか?」

「いいえ。べつに」


 そんな言葉で、中野は一旦俺の問いかけを否定。そして、すぐに本音を漏らす。


「ただ、少し元気が出ないだけ。仕事でうまくいかないことがあってね」

「ああ、そういうことか」

「でも心配しないで。元気があればなんでもできるって言うけど、プロは元気がないときでも、一度引き受けた仕事はちゃんとこなすから」

「それはスゴいけど……疲れそうだな」


 思わず、自然と労るような口調になった。すると、中野が駄々をこねたあとの幼子のように、ゆっくりとコクンとうなずく。


「若宮くん」

「なんだ?」

「勉強ってどうすればできるようになるのかしら」

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