61 家まで送ろうか1

「やー、危機一髪だったねえ」

「どこが危機一髪なんだよ。俺、めちゃめちゃ巻き込まれてるじゃねーか」

「あー、若ちゃんはそうだよねー。りんりんの秘密はなんとかバレないで済んだけど」

「そうね、危機一髪だったわ。若宮くんが身を呈して守ってくれて助かった」

「そのつもりはなかったけどな」


 ファミレスからの帰り道、俺たちは並んで歩いていた。


 ヒリヒリした現場で過ごしたので正直疲れていたが、女子ふたりの前なのでそれを出すこともできない。


 そして身の危険という意味では、俺と中野は現在進行形であやうい状態が続いていると言える。中野の口調がいつもに増して嗜虐的なのも、それが影響しているのかもしれない。


「結果的に若宮くんは今、人生で一番身の危険を感じているんじゃないかしら」

「やめろ、その俺が襲われるかもしれないみたいな話」

「『男男の揉め事』って厄介そうだし、あるかもしれないわ」

「ないない」


 中野の発言を食い気味に否定すると、俺はその根拠を並べる。


「石神井はなんていうか、不毛なことに全力をかけるタイプなんだよ。誰も求めてないことをやって、期待を裏切ってひとり心の中でほくそ笑む。だからべつに俺のことが異性として……いや同性として? まあとにかく深い意味で好きとかそんなことはないし、昔彼女いた話も聞いたことあるし、全部俺らの勘違いでしかない……はず」

「若ちゃん、最後の『はず』だけで説得力全部ゼロだよ」

「じゃあ言い換えよう。あいつは俺のことが好きなんじゃない。俺の彼女ヅラをするのが好きなんだ……ごめん今の言い換え取り下げていいか?」


 俺としてはなんにも間違ったことは言ってないつもりだが、石神井の行為自体が間違っているということを忘れてしまっていたらしい。中野は俺から数歩分スッと遠ざかり、白い目で見ていた。


「なんで石神井くんは若ちゃんの恋人ヅラするのが好きなの?」

「そんなの俺にわかるワケないだろ……まあ意味なんかないと思うけど」

「へー。なんか男子って感じだね」


 呆れたような、少し楽しそうな声で言う高寺。俺や中野よりもおちゃらけ成分を含んでいる分、石神井の気持ちがわかる部分もあるのだろうか。


「でも、仮に石神井くんが若宮くんのことをそういうふうに見ていなかったとしても、大事な友人を取られたって思ってるのは間違いないと思うけど」


 ふたたび近づいてきた中野がそんなことを言ってくる。


「そういう意味で、やはり今回のことが『男男の揉め事』なのは間違いないのよ」

「その『男男の揉め事』って言い方、若干気に入ってるだろ?」

「そうね。だんだん好きになってきたわ、男男だけに」


 そこまで話すと、3人、誰ともなく歩みを止める。横にあるのは、高寺が住んでいる高級マンションだ。


「今日はありがとう」


 高寺は振り向くと、気持ちを伺うように、不安そうな上目遣いをこちらに向ける。


「……そんで、ごめんね。あたしが勉強会しようなんて言い出したから」


 そう言うと、叱られた後の子供のようにうなだれて肩を落とした。中野はその肩をぽんぽんと優しく叩く。


「高寺さん、謝らないでいいわ。今回に限っては私のリサーチ不足にも責任があるし、そもそもあなたの提案を受け入れたのも私だからね」

「りんりん……」

「ひとまず今日は休んで。今後どうするかはまた話しましょう」


 穏やかに告げる中野の顔を見て安堵したのか、高寺はくしゃっとした笑顔に変わり、大きく首を縦に振った。


「うん!」


 そして、手を振りながら、名残惜しそうにマンションの中に消えていった。


 中野のほうを見ると、自然と目が合う。すると中野は、少し声を震わせながら、なにかを切り出そうとする。


「若宮くん、その、今日はなんていうか……」


 そこまで言うと、中野は押し黙る。高飛車で、なにかと上から目線な彼女だが、じつは俺に対して責任を感じていたらしい。


 言葉を探している様子の中野に助け船を出そうと、俺は話を変える。


「中野って、家、ここから徒歩圏内だよな?」

「そうだけど……」

「どこ? もう暗いし、送るわ」



   ○○○



 東急田園都市線溝の口駅は、中央口の改札を出て左手に少し進むと、すぐに街の中心部が見える。夕方には学生が多く集まり、また夜遅くになっても人の数もそこそこ多く、賑わっている居酒屋も多い。


 一方、それとは反対に位置する南口は、雰囲気が大きく異なる。丘陵地がすぐそこに迫っている関係で平地が少ないため、店らしい店があまりなく、中央口に比べるととても静かなのだ。バスのロータリーはあるが、人はそこまで多くなく、ドラッグストアと牛丼屋と、横断歩道を渡った先にモスバーガーがぽつんと一軒あるくらい。


 そんな駅近くから少し歩いたところにあるスーパーマーケットの横から続く坂道を、俺たちは一緒にのぼっていた。


 丘陵地と言いつつ、実際はなかなか勾配で、普通の自転車であがるのはかなりしんどそうな感じ。しかも、それが200メートルとか300メートルとか続くのだ。


 そんな静かな、それでいて凶暴な坂を俺は、はあはあという吐息を漏らしながら進んでいた。隣を歩いている中野は、今も涼しい顔だ。


「しんどくないのか?」

「ええ。もう何年も毎日通ってる道だから」

「ふむ」

「それに、この道は緩やかなほうよ。溝の口駅……まあ駅から家に行くには主に3つの道があるのだけど、今日はあなたに合わせて選んだはずなんだけどね……」

「なんか、すいません」


 中野が言い直したことに一瞬違和感を覚えながらも、脳に行き渡る酸素量が不足しているせいか頭が回らないので、息も絶え絶えになりながらなんとか会話を続ける。


「一番急なところも、慣れるとどうってことないわよ? 繰り返すけど最大傾斜26度くらいだし」

「それ、せいぜいとは言えないぞ?」

「たしかに、それだけぜいぜい言っていれば、せいぜいではないかもね」

「韻踏んでる余裕あるとか、普通にすげーわ」

「足踏みするので精一杯な今のあなたからすれば、たしかにすごいかもね」

「……」


 この子、清純派声優とか自称しつつ、密かにヒップホップとか聞いてんじゃね……ご存じじゃないと思うが、川崎ってのはラッパーの多い街で、一説によるとラゾーナ川崎で石を投げたら3分の1くらいの確率でラッパーに当たるらしいしな。


 と、そんなふうにのぼることさらに十数秒。


 のぼるのに必死で気付かなかったが、横にいる中野がどこか緊張した面持ちに変わっていることに俺は気付いた。


「どうかしたか?」

「えっ?」 

 不意を突かれたのか、中野が驚いたようにこちらを見る。

「いや、なんか表情が硬かったから……もしかして勝負、不安なのか?」

「そ、そんなワケないじゃない」

「だよな」


 しかし俺が肯定すると、中野は突っ張った顔を緩め、暗がりの中でじんわりと不安の色をその顔に宿す。


「でも、私は仕事もあるから」

「忙しいのか、しばらく?」

「……まあね」


 そう漏らすと、中野は顔を下に向ける。


 気づけば坂はほとんどのぼり切っていて、右手にはゴルフの打ちっ放し場があった。クラブで球を打つ音が、BGMになっていてなんだか心地よい。


「収録もあるし、土日はイベントが入ってしまっているのよ」

「休んだりできるイベントではない感じ?」

「そうね。一日拘束だけど出演料20万で、そこ押さえておかないと二ヶ月後の手取りが……」

「そういう意味で休めないのか聞いたんじゃないぞ」


 具体的な手取り金額を言われても困るので、食い気味なツッコミを入れる。


「清純派声優を自称するなら、手取り金額なんか言っちゃいけません」

「冗談よ。お金どうこうじゃなく、一度出演するって言ったイベントは、病気とかじゃないと休めないし休まないわ」

「だろうな」


 プロ意識の高い中野のことだ。ファンや関係者の人のことを思うと、サボり休みはしないだろう。


「もちろん控え室では勉強をするつもりだけど、環境によってはそうもいかないわけだし……」


 そして、また緩やかな坂道が始まる。肉体的にではなく、気持ち的に疲れたのか、姿勢の良い中野には珍しく、若干うなだれているように見えた。そんな彼女の横顔に、俺はなるだけ優しい声で話しかける。

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