60 一触即発4
石神井がテーブルをバンと叩いたせいで、コップから水がこぼれている。が、今それを拭く者はいない。
テーブルに顔が向けられているため、その表情はうかがい知れないが、手がぷるぷると震えていることから、少なくともポジティブな気持ちでないのは間違いない。
そして、テーブルに向けられた顔から、その肩や手以上に震えた声が聞こえてくる。
「若宮……お前、なんでそんなことできんだよ……」
「なんでって……」
苦い気持ちが、ぶわっと体の奥底から押し寄せ、胸の中に広がる。
「なんでも話せる関係だと思ってたのに、ウソなんてひどいよ。あんまりだよ……」
「石神井……」
「仲良くなって1年。俺たちって、そんな安っぽい関係だったのかよ」
「ごめん……」
俺が謝ると、石神井はこぶしを握りしめながら、顔を上げた。
そして、唇の端をきゅっとかみしめながら、叫ぶようにこう言った。
「俺が一緒に勉強しようって言ったのに、他の人と勉強するなんて……さみしいじゃねえかよおおおおっっっ!」
○○○
何秒くらい経っただろうか。
みたいな書き方をするとものすごく長い時間が経ったっぽく聞こえるけど、実際はたぶん3秒くらいだったと思う。が、俺たちからすれば、それはとても長い時間に思えた。
石神井の言葉に全員が固まり、口々に「……え?」という声が漏れる。
しかし、困惑しているのを傾聴してもらえていると勘違いしたのか、石神井は言葉を続けてしまう。
「ファミレスで勉強会って言えば、高校生的には超大事なイベントなのに、なのにその初めてを俺以外が奪っていくなんて……」
そして、一番最初に我に返ったのは本天沼さんだった。
「って、えっと、石神井くん……?」
「ん?」
「気になるのそこなのっ?!」
「え、なにが?」
「え、逆、質問?」
「ん?」
石神井は意味がわからないという顔で本天沼さんを見返す。会話が全然かみ合ってない。
「いや……なんで若宮くんが誰とも話さない中野さんと一緒にいるのかとか……転校生の高寺さんも一緒にいるのかとか、気になんないの?」
すると、石神井は本天沼さんのまっとうな質問に対し、チベットスナギツネのように目を細めながら、短く返す。
「うん」
「えっ、ほんとに?」
「うん、全然。えっ、逆に気になる?」
「いや、気になるというか……」
「俺が気になるのは、若宮を俺以外の人が奪ったということだ!!!」
迷いのない言葉、視線につい言葉を失った本天沼さんだったが、肝心の石神井は俺たちにそう宣言した。高々と宣言した。
無論、この宣言に、他の全員がまたしても言葉を失ったのは言うまでもない。
常識人とは言いがたい高寺にとっても常識外れに思えたのか、目を細めて状況を飲み込めない様子。普段冷静な中野でさえ、呆然と口を開いたままだった。本天沼さんは、容量オーバーになったのか、憔悴しきった顔に手を添え、窓の外を眺めている。
「べつに中野さんが普段無口だろうが、今普通に喋れてることとか、そこに転校生の高寺さんがいることとか、そんなことはどうだっていい。問題は、若宮が俺との勉強会を断ったにも関わらず、今、こうして、他の人とやってたことだ」
真面目な顔でそう力説する石神井に、俺はさっきとはべつの意味で苦い気持ちになりながら告げる。
「いや、それはなんというか先着順というか。すでに2時間以上勉強してたのは本当だし。なあ、高寺」
「うん、それはマジ! ホントに!」
俺の呼びかけに、高寺は急に意識を取り戻したように何度もぶんぶんともうなずく。
しかし、石神井は静かに首を振ると、妙にニヒルな視線を向ける。
「若宮。言い訳は聞きたくないね」
「言い訳じゃなくてさ……」
「それが言い訳じゃなかったらなんだよ。弁解かよ釈明かよエクスキューズかよ」
「それ全部ほぼ同じ意味だよ」
そして、石神井は中野のほうを静かに向くと、鼻息荒く宣戦布告した。
「おい君。こうなったからには……俺と勝負をしろっ!!!」
「しょ、勝負ですって?」
「若宮との勉強会の『永久優先権』をかけて、俺と中間テストで勝負しろ!!」
俺との勉強会の「永久優先権」をかけて、中間テストで勝負。
あまりに意味がわからない発言だったため、脳内で読み返したが、やっぱり全然わからなかった。
そもそも、俺との勉強会なのに俺に許可を取ってないし、永久というのもスゴいし、そもそも石神井がそんなに勉強会に思い入れがあったとは。初耳。
そして、さらなる間が生まれること数秒。中野は大きく「はあ…」とため息をつくと、呆れた顔で石神井を見る。
「石神井くん、あなたなにか勘違いしているのかわからないけど、べつに私はあなたから若宮くんを奪ったわけではないのよ」
「うん、そうだ」
「でも、俺との勉強会より、君との勉強会を若宮が選んだのは事実だ」
食い気味に相槌を打ってみたが、そんな俺を受け流すように石神井が言う。
「いやだから、それは先に始めてたからでお前に前もって言われてたら……」
「若宮、もういい。これは俺と彼女の問題なんだ」
石神井のその言葉に、中野はカバンを持って立ち上がる。
「なんて馬鹿馬鹿しいのかしら……男女の揉め事だけでも散々面倒な思いを中学のときしたのに、高校に入ると男女だけじゃなく『男男の揉め事』に巻き込まれるなんてね」
「やめろその言い方。べつに揉めてないから」
不名誉な言い方に俺が憤慨していると、石神井がなぜか妙に納得した顔でコクコクとうなずく。こっちの認識も訂正しなければならないが、まずは言い出しっぺの中野に抗議だ。
「男男の揉め事とか一切ないから。訂正を求む」
「そうね。正しくは、揉めてはないけど、揉み事の邪魔を私がした、ってとこかしら」
「おい、なんか余計に卑猥になったぞ」
すると俺の隣で、男男の揉め事、揉み事……と、本天沼さんが小さな声で復唱。そして、「ハッ」と声に出し、一体なにを想像したのか、みるみるうちに顔を赤らめる。高寺とは違い、この学級委員長さんは下ネタには免疫がないのだろうか。
と、そのとき中野が静かに立ち上がり、その場から離れようとするが……
「中野さん。もしかして、中野さんは俺と成績で争うことが怖いのかい?」
そんなセリフが石神井の口から放たれた瞬間、ふいっと立ち止まる。
そして、その整った横顔がぴくっと動いたのを、俺は見逃さなかった。
「『男男の揉め事』とか言いつつ、実際はテストの成績で勝負するのが怖いんだね。俺に負けることを恐れているんだ」
すると、中野が静かな怒りを浮かべて振り返る。
「負ける……ですって? あら、あなたって結構冗談が好きなタイプなのね」
「ああ、好きだよ。でも、今のは冗談じゃないけどね」
その長身をいかし、見下ろしながら話す石神井に、中野はナイフのように鋭い視線を投げ返す。
「べつにあなたの挑発に反応したから言うわけではないけど、私は今まで、どんな困難にも打ち勝ってきた人生だったわ」
「へえ」
「ゆえに、私の辞書に『敗北』の2文字はないの」
「ふーん。じゃあ、あるのは『完全敗北』の4文字かい?」
「敗北の2文字がないのに、完全敗北なんて文字があるワケないでしょう?」
「そうだね。失礼。じゃあ、俺がその文字を刻んであげよう」
そこまで話すと、中野は俺のほうをチラッと見る。そして再び石神井を見ると、こう言い放った。
「いいわ。勝負しましょう。若宮くんとの勉強会の、永久優先権をかけて」
その言葉を聞き、石神井は不敵な笑みを浮かべ、そしてこう言った。
「俺の、若宮に対する愛を、舐めるなよ?」
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