58 一触即発3
「中野聞こえるか! ヤバいぞピンチだ!」
ドアを叩きながら叫ぶと、中から落ち着いた、それでいて冷ややかな声が聞こえる。
「……どなたかしら」
「俺だ、若宮だ! 中野、聞こえるか?」
「……若宮くん、前にロフトで高寺さんと会ったときのこと覚えているかしら」
「えっ」
「あのとき、彼女、私を探すために女子トイレの個室をノックして回ったんでしょう? 後で若宮くんからそれを聞いて、正直内心ドン引きしたのだけど……あなたも同じようにデリカシーのない人間だったとはね」
「いや、今回は事情が違って」
「でも、もしかしてその出来事が原因となって、あなたの中にカストロ? だっけ、そういう特殊な性癖が生まれたのだとしたら……あなたも被害者なのかもだけど」
「そっちは議長だ! んで、それを言うならのほうは、知る必要ないから教えない……って、今は俺のことはいいから、とにかく話を聞いてくれ!」
「……はあ。仕方ないかしら」
すると水の流れる音が聞こえ、数秒後、ドアが開く。
そこから出てきたのは……
「あれ、高寺?」
「よっす! 若ちゃん!」
ハンカチで手をふきふきしながら、満面の笑みで高寺が明るい声をふりまく。
「え、今俺……」
「どう? あたしのりんりんのモノマネ! 結構、似てたでしょ~?」
「えっ、お前だったのか……どうりでカストロ議長とかシモ系の話を…カストロ議長はシモじゃないか」
そんなふうにセルフツッコミをしつつも、俺が心の底からびっくりしているのが伝わったのか、高寺が満足げに鼻の下をさすってふっふーんという顔になる。
「最近、色んなアニメとか吹き替えみて、それを真似て演技の練習してんだよね。で、りんりんも出演作見て真似してたら、なんかちょっと上手くなっちゃって」
「なるほど……たしかに真似するにはいいサンプルかもな」
「そうそういつでも観察できるでしょ?」
すると、高寺はわざとらしく、かけていない伊達眼鏡をくいっと上げるマネ。
「……まあでも、こうやって対面しながら話すと、声の高さが違うところとか、私のほうが少し鼻にかかった声だとか、わかってしまうかもしれないけれど」
口調だけでなく、仕草も研究していたらしい。
たしかに、面と向かってやられると高寺だとわかるが、しかしなかなか特徴を捉えていた。実際、壁越しに聞いたらわかんなかったワケだしな……。
「いや、普通に似てるな??」
「でしょ? あたし、中学のときずっと部活メンバーとか顧問の先生のモノマネしてて」
「うわーすげー想像できる……」
「だからできるかなって思ったら意外にイケるかもって。ま、声優さんってモノマネ上手な人多いから、まだ人前でやる勇気はないんだけどさ……」
「そうだな。さっきの議長のくだりとか、公共の電波でやったら中野に殺されてもおかしくないから注意したほうがいいかな」
そんなふうに注意を入れつつも、俺は高寺に関心していた。この子のこと、最初はとにかく脳天気で明るいだけの女の子かと思っていたけど、なるほどこうやって見ると声優なんだなと感じさせられる……って俺、一体なんの話をしてたんだっけ??
そしてようやく、俺は我に返る。
「って、今はそんなこと言ってる場合じゃなくて! 中野はどこだ?」
「りんりんならもう席に戻ったんじゃないかな。あたしが入ってたのは、男女兼用のトイレだし」
そう言われ改めてみると、先ほどまで女子用の個室だと思っていたほうは男女兼用であり、奥にもうひとつ女子用の個室があることに気付く。そして、そこはすでに空いている。 ということは……。
「高寺、静かにいくぞ」
「えっ、どういうこと?」
「いいから」
俺は事態をよく理解していない様子の高寺をそっと手招きし、曲がり角から顔を少し出して、席のほうを見た。そして、そこには……
「えっ、若ちゃん、あれどういうこと?」
「マズいことになったな……」
俺たちの席に座っている中野。動揺したように、通路を見上げている。
そして、その横には、さらに事態を理解できていない感じで目を思いっきり細くしている石神井と、「面白いことが起きた」というふうに、好奇心で目を爛々とさせている本天沼さんの姿があった。
○○○
俺、高寺、中野。
本来なら2人がけの席に、肩がくっつきそうなほどぎゅっと詰めて3人で座っているのは、目の前に石神井と本天沼さんがいるからだ。
石神井と本天沼さんを前に固まっていた中野の姿を見て、俺と高寺が観念して3人のところに戻ってから約5分。
沈黙を貫いている中野、半泣きになりながら「あたしがモノマネなんかやってなければ……」と俺にしか伝わらない後悔を小声で言ってる高寺。いつものひょうひょうとした雰囲気はどこへやら、なぜか中野のことをぎろっと睨みつけている石神井、そしてなにも言葉が出てこない俺……。
そんな地獄のような、気まずい沈黙に耐えかねて、本天沼さんが柔和な笑顔で口を開く。
「えっと、ちょっと全然理解が追いつかないんだけど……とりあえず整理するね」
そう言って本天沼さんは中野を見るが、視線を逸らしたままで目は合わず。次に高寺を見るとびくっと下に目を逸らし、最後に俺を見る。
首を縦にも横にも振らない俺を見て、さすがの本天沼さんも一瞬逡巡したようだったが、好奇心に勝てなかったのか、言葉を絞り出す。
「まず……中野さん、高寺さん、若宮くんは一緒に勉強をしていた」
一旦言葉を区切るが、誰も反応しない。なので、本天沼さんは話を続ける。
「そして、少なくとも私は中野さんが高寺さん、若宮くんと話している姿を見たことがない。中野さんは、誰とも話さず、誰とも付きあわないことで有名。実際、私も話しかけて無視されたことがある。しかも、高寺さんは転校してきてからまだ一週間……これ、どういうことなの?」
おっとりした本天沼さんの声が、不自然に自分たちの近くだけ静かな空気のなか響く。
そして、最後に名前をあげられ、質問を受けた高寺は泣きそうな顔で中野を見て、そして俺のほうを見る。仕方なく、俺は話し始めるが……
「ごめん、本天沼さん……」
「待って若宮くん」
本天沼さんは俺の言葉を遮ると、その場をおさめようとしているのか、いつも以上に優しい笑顔で顔で俺たちを見渡す。
「いや、今の感じだと尋問してるようだから、訂正。人間関係の話だし、べつに私たちがとやかく言うことじゃないよね……3人にどんな事情や秘密があるのかとか、そういうのわかんないし、自分から教えてくれるとも思わないし……」
そう言いつつ、本天沼さんの言葉から、抑えきれない好奇心の存在を感じてしまう。気を遣っている素振りを見せているが、本当に気を遣っているなら「事情」や「人間関係」「秘密」といったワードは声にしないはずだからだ。
彼女はこの場をおさめようとしているワケではない。手中におさめようとしているのだ。
そして、本天沼さんは捨てられた子犬を想像させるようなさみしそうな顔になって、わざとらしく俺を上目遣いで見る。
「なにかあるのかもだけど、べつに私たち、噂話流したりするタイプじゃないし」
「……若宮くんは悪くないわ。彼は私のわがままに付きあってくれていただけなの」
すると、それまで沈黙を貫いていた中野が反応した。さすがに黙っていられないと判断したのか、それとも噂話という言葉に、トラウマを抱えた中学時代を思い出したのか。
「わがまま……?」
いきなり話し始めた中野に少し驚いた顔をしながらも、本天沼さんは尋ねる。
「それをあなたに言うことはできないし、言う義理もないと思うから言わないけど。でも、確実なのは若宮くんは巻き込まれただけということ」
「いや、全然わかんないというか……」
距離を作るような言い方に本天沼さんが苦笑いすると、その横からテーブルをバン! と叩く音がする。
びくっとして見上げると、石神井がわなわなと肩を震わせていた。
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