57 一触即発2
それからさらに1時間ほど経った頃、中野がフリクションをノートの上に置き、栞にして閉じると、すっと腰をあげる。
「ちょっと私、お手洗いに行ってくるわ」
すると、それを見て、高寺が慌てたように立ち上がる。
「あっ、じゃああたしも!」
「ちょっと、べつについて来なくても……」
スタスタと歩き始める中野を高寺が追い、がしっと腕を掴む。
「ちょうど行きたかったところなの!」
「高寺さん、でもトイレ一個しかないかもしれないし」
「じゃあこっから競争する? よーいドンならぬ、にょーい……」
「高寺さん、それ以上言うとどうなるか当ててみて? 刺すわよ?」
「当てようとする前にどうなるか言った!?」
ノートに挟んでいたはずのフリクションをぐっと握って、ペン先を見せつける中野にツッコミを入れながらも、高寺はぴったり体を寄せてついていく。中野も表面的には厳しい対応をしているものの、それが本音でないのは容易にわかった。
てか、中野ってあれでいて、じつは押しに弱いところあるような……生活指導室で折檻されそうになったときとか、コンビニでビデオ通話しているときにも思ったけど、高寺が好意で押しまくると、それを受け流したりはしてないんだよな……。
と、百合百合しているふたりを見ながらそんなことを考えていると、背後でカランカランと鈴の音が鳴った。
「2人、いけますかー?」
「小さなテーブルでも大丈夫なんで」
「なんなら一個のイスを分け合うのでもいいし、カウンターでもいいんで」
「うん、店員さん困ってるからやめようねそういうの……それと、ファミレスにカウンターはないね」
その当意即妙な、いや当意珍妙な会話を聞いた瞬間、俺の胸の中に不穏な空気が広がる。
と同時にその空気が気道を逆流して、口に含んでいたオレンジジュースがうっと出そうになった。
足音が近づいてきて、俺の横を通り過ぎ、見慣れた後ろ姿が目の前にあらわれると、くるっと振り向いて歓声をあげた。
「あれっ、若宮じゃないか」
「ホントだ、若宮くんだ」
「奇遇だな、こんなとこで会うなんて」
爽やかな笑顔を見せる男は、ご存じ石神井大和。そしてその隣にいるのは、石神井の監視役としてすっかり定着した、学級委員の本天沼さんだった。
○○○
「奇遇だな、こんなとこで会うなんて」
爽やかな笑顔を浮かべ、目の前にいるのに手を振り振りする石神井。学年イチ・イケメンで、それゆえ生活におけるあらゆる一挙手一投足が学年イチ・残念な男だ。
「石神井に、本天沼さん……」
「よう。奇遇だな」
「若宮くんって、家この辺……だったっけ?」
爽やかな笑みを浮かべる石神井と、ニコニコ笑顔な本天沼さん。
「え、えっと、そうそう! ちょうど学校との中間でさ。たまに来るんだ」
「そうなんだね」
偶然の遭遇に喜んでくれているのか、本天沼さんは屈託のない笑顔を続ける。
「ふたりはどうして?」
「どうして? 普通にテスト勉強だけど……」
「せっかくだし、軽く勉強して帰ろうってな」
焦りのせいで、思わず変なことを言って本天沼さんを困惑させてしまう。いかん、こんな調子では疑われてしまう。
「若宮はひとりで何してるんだ?」
「えっと、、、」
「石神井くん、見たらわかるでしょ? 勉強してるんだよ、若宮くんは」
天使がスキップするような、軽やかな口調で本天沼さんが言う。いつもなら、その包み込むような柔和な口調に鼻の下が伸びそうになるところだが、残念ながら今日そんな余裕はない。
「まー、そうだろな」
石神井はそう言うと、テーブルの上に視線を移す。
「テーブルにも教科書とかノートとかいっぱいだし」
「あ、うん」
俺が困り気味に答えていると、本天沼さんが「あれ……」と声を漏らす。
「なんか英語と数学の教科書……3冊ずつあるんだけど」
「あれほんとだ」
すかさず俺はふたりの前に立ち、教科書が見えないようにする。
「こ、こっこれはね、予習用、復習用というか」
「えっ、じゃああと一冊は?」
そう言うと、石神井は俺の脇をするっと抜け、数学の教科書のうち一冊に手を伸ばす。それは中野のものだった。
石神井が教科書をめくろうとしたその瞬間、俺は慌ててそれを奪うと、こう説明する。
「あと一冊は保存用……みたいな?」
「保存用? なんかフィギアみたいだな」
「まあ俺レベルになるとね、その域に達するわけですよ。アニメ好きがフィギアに愛着を持つように、勉強好きは教科書を大切にする的な」
「保存用なら、なんでここに持ってきてるの?」
本天沼さんの指摘。
「私、従兄弟がアニメ好きでフィギア持ってるけど……家から絶対出さないけどなあ」
「それはですね、なんというか、保存といってもたまに使わないとサビが出るというか」
「自転車じゃあるまいし」
マズい、冷や汗が止まらない……。
そんな俺の様子を、本天沼さんは明らかにあやしんでいるようだ。
そもそもこの子は、おっとりした雰囲気とは裏腹に、なかなか好奇心が強いところがある。だからこそこの前、俺の相談に興味津々で乗ってくれたわけだが、その好奇心は俺にとってピンチにつながることもあるようだ。
しかし、石神井はなにも察しなかったのか、彼女の肩をポンポンと叩いて制すると、こう俺に伝える。
「なあ若宮。良かったら俺たちと一緒にテスト勉強しないか?」
「テスト勉強?」
「奥のテーブルで。ドリンクバーあっちのが近いからさ」
「あー、ありがとう。でも今日はやめとうこうかな……じつはもうすでに2時間くらい勉強して、帰ろうとしてたとこなんだ」
大丈夫。ウソは言っていない。少なくとも、これに関しては。
俺が言葉を選びながら、ゆっくりとそう話すと、石神井は「そっか」とにっこり笑う。
「なら仕方ないな。じゃあまた今度な!」
「今度は一緒に勉強しようね。連絡するね」
そう言うと、ふたりは奥の席へと消えていった。幸いにも、そこはトイレとは少し離れた場所で、トイレから戻ってくる中野・高寺と鉢合わせる……という最悪の事態だけは避けられた。
とはいえ、マズい。
これは本当にマズい。ピンチでしかない。
忘れていたが、石神井はとにかく神出鬼没な男なのだ。トイレ掃除中に急に現れたり、転校生(高寺)が来たときには絶妙なタイミングで遅刻してくるなど、とにかく話が膨らみそうだったり、ややこしくなりそうなタイミングで出現する。
しかも、ふたりには一度、中野にノートを見せる件で相談したこともある。そのときは「最近通い始めた塾の女の子に」とごまかしたが、もし中野がいることがわかると、好奇心の強い本天沼さんの追求は避けられないだろう。
さて、どうすべきか……。
しかし、できることなどひとつしかない。
俺は呼吸を整えると、俺は中腰になりながら、石神井、本天沼さんに見えないようにしてトイレに向かう。
そして女子トイレのマークのある個室の前に立つと、ドアをノックしながら中に向かって呼びかけた。
「中野聞こえるか! ヤバいぞピンチだ!」
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