56 一触即発1

 それから、2日経った夕方。


 学校のある溝の口駅から、一駅の高津駅。俺の家の最寄りの二子新地駅の隣の駅であり、住宅街の中にある感じの小さな駅だ。


 そんな駅の近くにあるファミレスに、俺と中野と高寺の3人は集まっていた。時刻は18時。学校が終わり、一旦家に帰って「大きな子供」こと母親の絵里子の夜食を用意してから、俺はここやって来ていた。


 テーブルの上は3人分の飲み物がある他は、無数の教科書とノート、参考書でテーブルを埋め尽くされている。ドリンクバーだけ頼んで数時間占領する。全国の高校生たちがやっている、店側からすれば組織的犯行とも言える行動だ。


 向かいの席の座っている中野と高寺に対し、成績的に自ずと進行役になった俺が話を切り出す。


「今日はまず数学と英語をするか」

「そうね。初回だしね」

「しょーかいしょーかいしょーしゅるかいっ!」

「……高寺さん、思いついたことを脊髄反射で口にするのはやめましょうね。バカに聞こえるわよ?」


 嬉しそうに両手をあげながら、のっけからしょーもないダジャレを繰り出した高寺に、中野が冷たい視線で釘を刺す。


「えー、りんりん厳しいっ!」

「厳しくなんかないわ。むしろ厳しいのは、そんな寒いダジャレを臆面なく放てる高寺さんの笑いのセンスよ」

「高寺、残念ながら俺も中野に同意だ」

「えー、若ちゃんまでっ!」


 ぐすっと泣きそうになる高寺に対し、中野は先輩の顔になり、なにやらアドバイスを送り始める。


「そんなんじゃ生放送のラジオはできないわ。最近はアニメとセットでラジオをすることが基本だからね」

「なるほろ……」

「声優のラジオは台本がほとんどないことも多いし、トーク力はもちろん、頭の反射神経も大事なの。そこで面白いことを言えると作品のファンも喜んでくれるし、制作スタッフさんたちも評価してくれるから、イベントに優先的に登壇できたり、その制作会社が作った次の作品のオーディションに呼んでもらえたりもする」

「ラジオ、イベント、オーディション……」


 そして、中野は決め顔で、まるで先生が生徒に教えるかのような言い方で高寺に告げる。「つまり、いかに当意絶妙な発言をできるかが、一流かそうでないかの分かれ道ね」


 その言葉に高寺がほーっ! と歓声を上げそうになるが、その直前に俺がツッコミを入れる。


「おい、当意絶妙ってなんだよ。まーた日本語間違ってるぞ」


 すると、中野は少し考えて口を開く。


「当意微妙」

「微妙に違う」

「当意珍妙」

「それこそ珍妙な答えだ」

「おーい、微妙?」

「なんで呼びかけてんだよ。お茶じゃあるまいし。正解は、当意即妙だ」


 すると、中野は「当意即妙……」と小さな声でつぶやいた後、ワンクッションおいて、高寺に話し始める。


「声優のラジオは台本はほとんどないことも多いし、トーク力はもちろん、頭の反射神経も大事なの。いかに当意即妙な発言をできるかが、一流かそうでないかの分かれ道ね」

「さっ、さっきのやり取りなかったことになってるーっ!」


 高寺がイスの上で軽く飛び上がりながら驚くが、当の中野は「編集点を作ることのどこが悪いの?」という感じの、涼しい顔で開き直る。


「まあラジオは収録のほうが多いし、その場合はやり直すこともできるわ。そういう意味では、果敢に挑戦していく心も大事。今の私の行動はそのお手本ね」

「中野、やっぱメンタル強いな……」


 俺が呆れ半分、尊敬半分でそう述べると、中野が仕切り直すようにコホンと空咳をつく。


「話を戻すけど」


 中野はそう言うと、テーブルの上に目をやる。


「数学と英語の勉強、ちょうどしておきたかったの。最近、忙しくて授業のノートを写すだけで、あまり勉強できてなかったから」

「じゃあ、まず今日の授業分写すか?」

「そうさせてもらえると、助かるかしら」


 中野は目を逸らしながら、所在なげにそう言った。


 それを受けて、俺は数学のノートを向かい側に渡す。


「ありがとう」


 そうつぶやくと、中野は自分の白いノートに、それを写し始めた。すると、隣の席の高寺もノートを凝視し、同じように写し始める。


「おい、高寺」

「ひゃいっ? なにかな若宮くん」


 能面のような引きつった笑顔の高寺に、俺は怪訝な表情で尋ねる。


「なんで高寺まで写してんだ?」

「えっ?」

「えっじゃなくて。授業出てただろ」


 すると、高寺は突然深刻な表情を見せる。


「やー、今まで隠してきたんだけどさ、実はあたし、遺伝? というか血筋? 的なあれで……」

「あれで?」

「お昼ご飯の後、猛っ烈に眠くなっちゃうんだよね~」

「そんな遺伝はない」

「ぐへっ!」

「むしろ、眠くなるのはみんな同じよ」


 俺と中野がぴしゃりと否定すると、


「たははー! ……ごめんしゃい、居眠りしちゃったんで見せてください」


 高寺はあっけらかんとした笑顔で後頭部をさすさすしながら、俺に向かってぺこりと軽く頭を下げた。



  ○○○



「にしても、なんでここなの?」


 勉強開始から1時間。はやくも集中力が切れてきた様子の高寺が、不思議そうな顔で中野を見る。自分に向けて話されていることに数秒遅れで気づいた中野が、ふいっと顔をあげる。


 そして、それを待って高寺が話を続ける。


「ファミレスなんか、溝の口の周りにいくらでもあんじゃん」

「高寺さん、あなたには本当にリスク回避という観点が欠如しているのね」

「り、リスク回避っ?」


 キョトンと困惑する高寺に、中野ははあとため息をつきながら答える。


「そんな学校の近くで集まって勉強して、もしクラスメートに会ったらどうなるの?」

「あー、たしかに……」

「学校ではあくまで他人の私たちが、もし一緒に勉強会をしているのを誰かに目撃されたら、絶対ややこしいことになるでしょう?」

「ふんふん」

「だから少し離れた場所で落ち合ったのよ。私が知っている情報では、若宮くんを除き学年にこの近辺に住んでる人はいないわ」

「ちょっと待て。それ俺の家の住所把握してるってことか?」

「ええ、そのとおりよ。具体的に言えば神奈川県川崎市高津区二子1丁目……」

「そこまで言わなくていいから!!」


 マジでなんなのこの子。いや、最初に事務所に拉致られたときからおかしいとは思ってたけど、住所を調べて暗唱できるようになってるって、普通に法律に触れそうじゃないすか? 法律に触れなくてもこっちの気が触れてしまいそうなんですが……??


 しかし、そんな俺の気持ちは一切気にしていないように、中野は嗜虐的な視線をこちらに向け続ける。


「私にそうやって質問しつつ、『どうせ野方先生が情報を横流ししたんだろう』と思っているでしょう? 生徒の個人情報を」

「思ったよ」 

「若宮くん、残念だけど、あなたのその予想は正しいわ」

「正しいのかよ」

「外れて残念ってのじゃなく、合ってるからこそ残念なんだねえ」


 困ったようにたははと笑う高寺に対し、涼しげな表情で中野は言葉を続ける。


「もちろん、これはあなたたちのためでもあるわ。今の時点ですでに面倒な要求をしているのに、これ以上厄介ごとに巻き込むのもね」


 表情こそ涼しげだが、その言葉にはほんの少しだが、温もりのようなものが含まれている気がした。俺だけでなく、高寺も感じ取ったのか斜め前で頬を緩めている。


「やー、あたしたちは全然いいんだけどねっ。ね、若ちゃん?」

「ああ、まあ……別に言うほど世話してる感じもしないしな」

「そうなの……」


 俺の言葉が意外だったのか、中野は少しばかり驚いたようにつぶやいた。


 まあでも実際問題、放っておけば死んでしまう絵里子に比べると、中野の面倒なんて全然たいしたことないんだよな。ノートを貸したり勉強を教えたりは、自分の役に立つこともあるしな。


 そして視線を逸らすように再びノートに向き合い、勉強を再開する。俺と高寺は目配せし、そして少し笑いながら、同じように勉強を再開した。

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