51 円とバッティングセンター1

「りんりん、結局今日来なかったねえ」


 放課後、俺が下駄箱で靴を履き替えていると、高寺が話しかけてきた。


 普段は石神井と帰ることが多い俺だが、この日はやつに用事があったようで、ひとりで先に帰ることになっていた。


 なんとなく最近クセになっていることもあり、俺は周囲を見ながら、クラスの人がいないことを確認して返事する。


「あ、あいつ今日もともと来ない予定だったぞ」

「へっ?」

「なんか朝パン屋で会って言ってた。私服だったし」

「そ、そうだったんだー」


 高寺はひょーと謎の擬音とともに息を吐く。てっきり、途中から来ると思ってたらしい。同じ高校生声優と言え、働き方に違いがあるのかもしれない。


「あたし、仕事終わってからてっきり遊んでるのかと」

「自分基準で考えんなよ……」

「こないだ5分で仕事終わったけど学校行くのダルくてズル休みしたからね?」

「そういや一日来てなかったな」

「やー、なんか朝から新宿にいたらテンション上がっちゃって、学校なんか行ってられねー!!! って」

「それで何してたんだ?」

「新宿御苑でひなたぼっこしてた」

「……授業サボったわりにたいしたことしてないな」


 すると、高寺はちっちっちと人差し指を横に振り、もったいぶった表情で俺を見る。


「若ちゃんは知らないんだな。平日の昼間に、すべてを投げ出して公園でひなたぼっこすることの高揚感と背徳感を」


 ビシッとこちらを指さしながら言うと、バンと勢いよく下駄箱を閉めた。


 そして、スニーカーに両足を入れると、片足ずつ後ろにあげて、人差し指でスニーカーのかかと部分を引っ張って履く。おっとっと、というふうに前によろけるが、それでも体勢を崩さないあたり、元ソフト部であることを感じさせる。


 今日もこの子は元気だ。


 俺も靴を履き替え終えたので、高寺の隣に並ぶ。すると、彼女は満足げにニッコリ微笑み、歩き始めた。きっと、一緒に帰ろうということらしい。それが通じたのが、笑顔の原因だろうか。


 高寺がウチの高校に通い始めて、今日で2週間。


 遅刻や早退を繰り返す中野と違い、高寺は夕方まで普通に授業を受けていた。そのあと仕事に行ったり、レッスンを受けたりしているようで、スポーツバッグを抱えて足早に下校して行っていた。


 ダラダラしているワケではないものの、中野と比べればまだまだ忙しくない……正確に表現するとそんな感じになるだろうか。


 そして、こうやって俺と一緒に帰ろうとしているということは、今日は仕事もレッスンもないのだろう。


「平日の昼間に公園でひなたぼっこする高揚感と背徳感……あんま知りたくはないかな。というか知っちゃダメな気もする」


 俺がそう返すと、高寺はニコリと微笑む。


「そう? あたしはテンション上がるけどね。なんか光合成してるみたいで」

「植物かよ。それに、テンション上がりながらひなたぼっこって、むしろひなたぼっこ的には邪道だろ」

「甘いね。ひなたぼっこ歴15年、ひなたぼっこ黒帯の、九州屈指のひなたぼっかぁーのあたしにかかれば、寝るのなんか余裕なのだよ」

「色んな言い回しで言ってるけど、びっくりするほど中身ない話だな」

「そうかも……ま、ひとりでじっくりなにかを考えたくなったときはいいよ。オススメ」


 そんなふうに、高寺は意味深な物言いをしてくる。ついさっきまで明るく、テンションも高かったはずなのに、急に声に憂いが帯びていた。


 今日一日晴れだと天気予報で言っていたにも関わらず、急に厚い雲が空を覆って雨が降らないか心配になる……例えるなら、俺はそんなふうに少し不安になった。


 だが、俺が言葉を発する前に、高寺はふたたび笑顔になると、クルッと俺の前方に回ってこう言う。


「若ちゃん、このあと時間あったりする?」

「時間? まあ、あるっちゃあるけど」

「あたし、行きたいとこあるんだけど、連れてってくれないかな? てかさ、デートしようぜ!!」

「……で、デート!?」



   ○○○



 高寺の口から飛び出した、予想外のデート発言。


 思わず聞き返すが、高寺はケロッとしていた。


「うん。石神井くんといろんなとこ行ってるんでしょ? そういう話してるの聞こえて、実際ふたりで放課後一緒に消えてくし。だったらあたしとも行ってほしいなって」

「あ、そういう意味ね……いや石神井とのはデートじゃないけど」


 意味深な話かと思いきや、普通に遊びの誘いだった。まったく、この子は距離感が近すぎる……「デートしようぜ!」とか屈託なくストレートに言われたら、勘違いしないほうが難しいって。


 というワケで俺たちは溝の口駅から電車に乗り、2駅隣の二子新地駅に来た。つまり、俺の家の最寄り駅である。


 なぜ最寄りに来たかの理由だが、高寺を家に案内するためではない。案内した先は、駅から15分ほど歩いたところにあるバッティングセンターだった。


 多摩川沿いの車道近くを歩き、住宅街のなかを抜けていくと、数種類の音が聞こえてくる。バッティングセンターの隣には小さなゴルフ練習場があり、ボールを打つ音が聞こえてくるのだ。


 そして、狭めの入り口を抜けると、黒い建物が見えてくる。少し離れたところから見ると、オシャレなスポーツショップという感じで、さらに近づくとテラスなどもあってカフェっぽい雰囲気もある。


 その中に入って十数秒後、高寺が感嘆のため息を漏らした。


「な、なにここ……キレイだし広いし打席数多いし、しかも2階建てとか」

「珍しいよな」


 ここは有名スポーツメーカーのアンダーアーマーが経営するバッティングセンターで、地元ではそこそこ有名な場所だ。


 店としてはグローブをオーダーメイドできるサービスが一応主力サービスっぽくて、ウェアとかも多少売っていたりするけど、来客のほとんどはバッティングセンターが目的。アンダーアーマーの手袋をしながら、最新マシンでバッティングを楽しむことができ、バットも金属、木製の2種類を選ぶことができる。


 料金も300円で25球と、オーソドックスな価格だし、内装もキレイで、木製の小さなイス、荷物置きもたくさんある。


 そして、高寺も驚いたように、2階建てなのが最大のポイント。ゴルフの打ちっ放し場だと普通だが、バッティングセンターで2階建ては全国的に見ても珍しい。


 なお、バッティングセンター部分とショップ部分は、建物としては別だが内部は繋がっている、という感じ。俺たちは今、前者の内部にいる状況だ。


 ……と。


 そんな感じで、さも詳しい人であるかのように話した俺だが、ここに来たのは正直初めてだった。地元は地元なのだが俺は野球をやっていないし、来るきっかけもなかったので、存在は知りつつも訪れたことがなかったのだ。噂とネットで仕入れた情報よりも、中は清潔かつシックで、若いカップルのデートにも非常に合っていそうだった。


 だが、デートと口では言いつつも、そんな気持ちはサラサラなさそうな赤茶色髪女子は、その目をキラキラさせ、俺のほうを向いていなかった。


「若ちゃん……ここ神だわ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る