50 ひよりと絵里子の邂逅3

「若宮くん、この前話したばかりでしょう?」


 そう言って、俺以上に中野が眉をひそめる。呆れているのを隠していない感じだ。


「桃井さん。ほらこの間、高寺さんの家でオーディションの話をしたときに話してた」

「あー……なんかあったな、そんなの」


 次第に思い出す。高寺の引っ越しを手伝ったとき、たしか中野が最近よく役を争うって言ってた他の事務所の声優さんだ。年齢も近い……とか聞いてたけど、でもあだ名までは聞いてなかった気がするが……。


 そんなふうに考えていたせいだろうか、中野がいぶかしげな視線を送ってくる。


「若宮くん、記憶力はいいんじゃなかったの?」

「いや、さすがに無理だろ。パッと聞いて覚えるなんて」

「私が最近、オーディションで役をとられてる相手なのに?」

「なんで中野目線なんだよ」

「ま、普段の若宮くんを見ていると仕方ないかしら」


 急に中野が声のトーンを落とす。


「どういうことだよ?」

「だってあなた、クラスで話すの石神井くんくらいじゃない? 他の人に対しては愛想がないというか、興味がないというか」

「それは、その……」


 正直、俺が他人にあまり興味がないというのは事実だと思う。中学時代は絵里子の看病で軽く病んでいたこともあり、俺自身が内向的で、外に関心が向かなかったのだ。


 今は教室のなかでも、石神井や本天沼さんと話したりするようになったが、そうは言っても、本天沼さんのように交流したことのない人に自分自身から話しかけていくことはまずない。


 話しかけ見知りだし、話しかけてくれる人がいるならそれは歓迎するけど、現実的には昼休みになるたび、誰も来ない場所で読書に邁進しているのが現実だしさ。


「ともかく、そういう理由で手も気も抜けないというワケ」

「あのさ」

「なに」

「その、声優ってオーディションの会場とかで会うことってないのか?」

「そう、それがまだなの」


 自分でも不思議、という感じで中野が言う。


「普通、こう何度も同じ作品のオーディションを受けていれば会うはずなのだけど、会場の壁に貼ってある時間割とか見ると、別日だったり、午前と午後で違ったりして」


 中野によると、オーディションによってはひとつの役を200~300人規模で争うこともあり、その場合、オーディションが数日に及ぶこともあるという。なるほど、別日になればそりゃ会うこともないはずだ。


「これは聞いた話なのだけど、桃井さんって物凄い計算高い、したたかな子らしくて」

「中野が言うってことは、よっぽどなんだろうな」

「なんでも事務所に入る前に、あらゆる事務所のあらゆるボイスサンプルを聞いて、自分と声質が似ている人がいないところに入ったんだって」


 中野は俺の茶々を無視しつつ、話を進める。


「それってつまり、ライバルが少なくなるようにってこと?」

「そういうこと。声優になるのが夢っていう人がほとんどのなか、入った後のことも見据えていたってことね」

「よくそこまで考えられるな……」

「プロよね……」

「プロだな……」


 計算高いとか腹黒いというより、単純に頭がいいと俺は思った。


 なるのが難しい職業なのに、なったあとのことも考えてるワケだから、先を見通す力がある。多くの人がゴールラインにしがちなところを、スタートラインだときちんと認識しているのだ。


 俺はそこの子に対する興味が出てきて、一瞬ポケットに入ったスマホを取り出そうと考える。が、手がピザトーストで少しよごれている気がしたのでやめておいた。覚えていたらあとでググろう……と考えたのだ。


 結局、それをすることはなかったのだけど。



   ○○○



 そんなことを話しつつ、中野はサンドイッチをがぶりとかぶりつく。


 回数多めの咀嚼が繰り返され、止まる……と思いきや、今日は勉強中ではなかったので止まらなかった。あ、そっか今日は教科書持ってないもんな……。


 ハムスターローテーション、通称「ハムロテ」を無意識のうちに期待していた自分に気づき、俺はひとり恥ずかしくなって、自分の気持ちをごまかすように急ぎ尋ねる。


「ってことは、いつもここに来るってワケじゃないんだな」

「朝食に700円かかるなんて、馬鹿らしいでしょう? それに、ひとりで店に入ったら、会議費にできないし」

「2人なら経費にできるんだな」

「1人あたり5000円未満は会議費、それ以上なら交際費ね」

「なるほどな。って、勘定科目的な話はさておき」

「あら、用語覚えたのね」

「おかげさまで」


 感謝の気持ちは皆無ながら、表面的に感謝の言葉を告げ、中野の服装に話題を変える。


「制服じゃないってことは、今日は学校休みなのか?」


 すると中野はその形のよい眉毛をわずかに上げ、気まずさをその整った顔ににじませた。「午前と午後で収録が入ってるの」


 そして、横を向いて店の外に目をやる。そこには、制服を着た他校の中学生、高校生らが、駅から各々の学校に向かって歩いて行く姿が見えた。みんな早足であり、すでに始業時間が近くなっていることがわかる。


「午前の収録は朝10時から。登校時間に比べると、少し遅めなのよね」

「なるほど。じゃあ学生とすれ違う、とかもなさそうだな」

「でも、たまにホームで電車を待っているとね、遅刻してるっぽい人を向かいのホームに見かけることがあって、そのたびに思うの。『ああ私、みんなが勉強している時間に、他のことをしているんだ』って」


 どこか遠くの、手にとどかないものに憧れる子供のような無垢な声で、中野はつぶやく。「在宅感って言うのかしら、そういうの。まあ罪の意識よね」


「それを言うなら罪悪感な。まあ在宅は在宅で罪悪感大きいだろうけど」

「そうやって罪悪感があるから、午後から学校に行くときも、わざと私服で行くの」

「バレなくするために、か」


 俺の問いに、中野は黙ってうなずく。


「制服はカバンに入れて、駅のトイレで着替えてから学校に行くのよ。まあ今日は授業間に合わないし、制服持ってきてないんだけどね」


 たしかに朝9時台に制服を着て、学校から遠ざかっていく電車に乗る行為は、見る人が見ればそのおかしさに気づくだろう。同級生だけでなく、同じ学校の生徒、事情を知らない教師たちに見られてしまえば、厄介なことになる可能性もある。ごまかしているうちに、仕事に遅れてしまうことだってあるかもしれない。 


 とはいえ、ただサボっているのとはまた違うはずなので、俺は中野を擁護するように指摘をする。


「でもさ、勉強してなくてもべつに遊んでるわけじゃないんだし」

「もちろんそれはそうよ。でも、学生の本分は学業でしょ? そう言う意味では、私の行動はみなの逆をいっているの。向かう方向が逆なようにね」


 どこか諦めたような、それでいて自分の立ち位置を理解したような、なんとも言えない微笑を浮かべながら、中野はカップを飲み干すと、すっと立ち上がる。


「お話に付きあってくれてありがとう。そしてごめんなさい」

「へっ?」

「時間、見てみて」


 言われるがままスマホを開くと、すでに時間は9時。我が校は8時間半が始業時間なので、俺が今から学校に間に合う可能性は、正直かなりゼロに近い。


 ここから高校へは徒歩で10分少し。走ったとして、教室に着くのは9時10分頃だろう。遅刻であることは変えられない。


 となると、最低でも、家に帰って勉強机をガンガンと叩いて、中から水色をした猫型ロボットを召還して秘密道具をひとつふたつ出させ、過去に戻って朝からやり直すしかない。


「ドラ○もん作戦しかないか……」

「どうしたの? 遅刻という事実に動揺するあまり頭がおかしくなったのかしら」

「大丈夫。俺はいたって真剣だ」

「今の大丈夫でよりいっそう心配になたったわ」

「まあ、2時間目は間に合うし、今から行くわ」

「……もしタクシーで行くとしたら、その領収書はもらってあげてもいいけど」

「誰が学校にタクシーで行くんだよ」


 そう言うと俺は立ち上がり、中野の分のトレーも重ねてレジ横の返却口に置く。


 そして俺たちは店を出ると、


「じゃあ、また明日」

「明日は来るんだな。じゃあ学校で」


 短い別れの挨拶を交わし、反対の方向へと歩いて行った。

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