12 声優事務所アイアムプロモーション2

 そして、俺たちはパネルで仕切られたスペースへと移動する。打ち合わせで用いられる場所のようで、他の社員さんたちの視線を気にしていた俺としては、隠れられる気がしてちょっと落ち着く感じだ。


 テーブルのうえにある卓上カレンダーはアニメキャラがプリントされたもの。制作会社から送られてきたものだろうか。 


 しかし、そういうふうに随所に声優事務所っぽさを感じつつも、全体的に見ればドラマや映画で見る『普通の会社』という感じだった。


「芸能関連とはいえ、オフィス自体は意外と普通なんですね」

「そういうものだ。スタジオは下の階にあるけどな」

「社員さん、少なくないですか?」

「これでも増えたほうさ。以前は、私を含むマネージャー3人で全所属声優を担当していたからな」

「3人で……ってそんなに少ないんすね」

「そうしないと成り立たんのだよ。事務所は仕事を取ってくる。声優はそれをこなし、お金を生み出す。その一部が我々マネージャーの給料になる」

「なるほど、それだと声優を多く持たないと、マネージャーさんの給料もあがんないですもんね」


 俺がそう述べると、美祐子氏は「君は理解が早いな」とぽつり。そして、さらに詳しい声優事務所事情について語り始める。


 なんでも、声優事務所は芸能事務所のなかでも特殊で、各声優に固定のマネージャーがつくことは基本的になく、アニメ、ナレーション、イベントなどジャンルごとにマネージャーが変わるらしい。そして、その数人のマネージャーたちが基本的にほぼすべての声優を担当するんだとか。事務所によっては、制作会社でマネージャーを分けている場合もあるそうで、まあそういう事情はケースバイケースとのこと。


 しかし、ジャンルごとにマネージャーが変わるところはまだ「恵まれているほう」らしく、事務所によってはマネージャーがたったひとりというところもあるそう。よくイメージされるような「タレントひとりにマネージャーがべったり」ということは、声優事務所ではないそうだ。


「なるほど……人材不足も深刻ですね」


 しかし、誘拐直後なのに、なぜ自分は声優事務所の内情を聞かされているのだろう。

 誘拐された女の子が誘拐犯に恋しちゃうという、「ストックホルム症候群」的なのを狙ってるのかな、それは困るので気を緩めないぞ! などと思いつつ、俺は聞き役に徹することにした。

 だって、それが一番はやく帰れそうだったからな!


「じゃあ、美祐子さんはなんの担当なんですか?」

「私はマネージャーのなかでも少し特殊でな。一部の稼ぎ頭を、ジャンル関係なく担当してるんだよ」


 なるほど、この事務所ではそういう仕組みになっているらしい。稼ぎ頭を担当するのだから、この人は見た目だけでなく、実際に仕事ができる人なんだろうか。


「さっき渡した名刺の裏面を見てみたまえ」


 言われるがまま、もらった名刺の裏面を見ると、そこには「所属声優一覧」とあり、50~60人程度の名前が小さく書かれていた。そしてその一部がピンクのマーカーで塗られている。


「それが、うちに所属している声優のすべて。そして、マーカーで塗られているのが私の担当だ」


 中野こと、「鷺ノ宮ひより」の名前もすぐに見つかった。名刺の上のほうの10人は他の声優より少し大きな名前で書かれており、中野の名は最上段に並ぶ名前の右端にあったのだ。クラス名簿ではないものの中に、同級生の名前があるのはなんだか変な感じである。 それが、本名ではなく芸名だったにせよ。


「名前の大きさ違うんですね」

「競争社会だからな。売れ筋商品をプッシュしていくのは、経営としてはごくごくまっとうな考え方だ」

「競争社会だ」

「まあ、所属という時点で競争に勝ってきているほうなんだがな。歌でもあるだろ。花屋の店先に並んだ花がみんなキレイなのは、そいつらが店先にいる時点でいくつもセレクション通過してるからですよ~って歌が」

「あー、ありますね。花農家が捨てたり、市場で売れ残って廃棄されたり、そういう膨大な敗者のうえに花屋の店先に並んだ花が……おかしいな、俺が知ってる歌と違うぞ……?」

「ノリツッコミの、ノってる時間が長いな」

「いや、そっちのボケが凝ってたからでですね……」


 不満を口にすると、彼女は「やるじゃん」的な顔でニヤッと笑う。

 彼女の例えは少々残酷すぎると思ったが、とはいえ、プロの世界がそれだけ競争に満ちているのは、俺にもわかる。マンガも小説もラノベも、数作で消えていく人がほとんどで、長く活躍している人なんかごくごく少数に過ぎないからな。


 だからこそ、個人的にはそういう人たちにはリスペクトを持っているつもりでもある。

 ……と、そんなことを思っていると、美祐子氏がナチュラルな感じで俺に提案する。


「じゃあ、次はスタジオを見にいこうか」


   ○○○


「じゃあ、次はスタジオを見にいこうか」


 あんまりにも自然な発言だったため、一瞬疑問を持つのを忘れかける。が、俺はなんとかツッコミ返した。


「えっと、見学ってまだ続くんですか」


 すると、美祐子氏は口をポカンと開いて驚きを表現する。


「俺、ここの事務所で働きたいとかじゃないですからね?」

「違うのか?」

「違いますよ」

「そんなマネージャー志望な顔して?」

「マネージャー志望な顔って何! テキトーなこと言わないでくださいっ!」

「女子に危害を加えなさそうなところと、振り回されることに慣れてそうなとこだよ!」

「結構具体的じゃないですか……」

「冗談だ。では、スタジオは次回にするか?」

「どうしても行かないといけないんですね……なら今日がいいです。ここどこかわかんないけど、結構遠そうなんで」


 すると、美祐子氏は急に困った素振りを見せて……


「いや、今のも冗談だったんだが……君がスタジオを見ていく必要なんてないだろ? 冗談か冗談じゃないかの区別もつかないのか?」

「いや、それはあなたが冗談ばっか言ってるからであって……」


 呆れてしまうが、美祐子氏はなにやら考えたような顔。そして、妙に真面目な表情で口を開く。


「監視カメラで見ているときから思っていたことなんだが」

「それもう隠さないんですね」

「こういう言い方をするのもアレだが、君は高校生のわりに妙に『諦め慣れている』気がするんだが……」

「諦め慣れている、ですか」

「ああ。普通、人間が面倒事に巻き込まれて見せる反応は3つだ。怒るか悲しむか、愚痴を言うか。この3つだ」


 美祐子氏が、指を立てながら説明する。


「まあ、そうでしょうね」

「だが、君は4つ目の反応を見せた。進んで受け入れるという、反応をな」

「いや、べつに受け入れたってつもりでは……」

「でも、反抗しなかっただろう。実際、ひよりを説得するときなんか、身振り手振りでかなり熱かった」

「それは……」

「まあまとめると、心は嫌がってても、体は正直ということだな」

「そのまとめ方、なんかエロくないすか?」


 とまあ、そんなふうに美祐子氏に反論する俺ではあったが、正直、自分が不条理とか無茶ぶりをかなり受け入れる性格であることは、自覚があった。だって、絵里子ともう16年も一緒に暮らしてるんだもん。


 絵里子は、俺にとって不条理の代名詞だった。夕方、学校から帰って晩ご飯を作っていると、「うるさいなあっ!!!」と怒ってきて、さらに「なんでだろ、お昼寝してたら夕方になっちゃった……」とか言ってくる人間なのだ。長いお昼寝をしたら夕方になるのは当たり前だし、学生の身で毎日3食全部用意している俺に「うるさいなあっ!!!」とか言ってこないでほしい。

 子供っぽいのが母親なのでなんだか笑える感じだが、これがもし立場が逆だったら全然笑えないと思う。


 でも、そんな絵里子に反論すればもっと面倒なことになるのもわかっていたので、俺はずっと「諦める」という選択肢をとってきていた。世間では「諦める=悪」みたいなイメージがあるが、それは印象操作でしかなく、現実は諦めるのが最善の選択肢だったりすることも多いのだ。

 結果、中野や美祐子氏に対してもそういう態度になってしまい、見抜かれた、と。


「私は仕事柄、高校生や大学生と接することが多いが、君のように物わかりのいい子はなかなかいないぞ」


 美祐子氏が、興味深そうな目で俺を見る。なにに興味を引かれているのかまったくもって謎だ。


「物わかりがいいワケじゃないです……ただ、諦めないことで切り開ける道もあれば、諦めることで切り開ける横道もあるって考えてるだけです」

「格好いいのか格好悪いのかわからんセリフだな……横道って言っちゃってるし」

「仕方ないんですよ。子供でいたくても、環境がそうさせてくれないこともあるじゃないですか」


 とくに深く考えずにそんなふうに言うと、どうしてだろうか。

 美祐子氏はふたたび、なにかを考えるような表情になって、こう続ける。


「なるほど、君が大人びて見える理由が少しわかった気がするよ」

「え、なんですか。俺が老け顔って言ってます?」


 思わぬ言葉に、俺は冗談めいた笑い顔を見せる。

 しかし、美祐子氏はそれには反応せず、こう言った。


「若宮くん……さっきは帰ると言っていたが、少しお茶でもどうだ?」

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