11 声優事務所アイアムプロモーション1
「野方先生……?」
「や、やあ」
俺の問いかけに対し、野方先生は眉を八の字にして、申し訳なさげな笑顔を浮かべた。
言葉こそ気さくなものの、この場所にいるのが落ち着かないのか、視線が俺の目とぶつからないように、泳いだまま止まらない。まるで目のストレッチをしている人のようだ。あれ、電車の中とかで見かけるとドキッとするんだよなー。急に白目になって、しっ失神!? みたいな。
なんてことはさておき、尋ねる。
「なんでここに先生が?」
「若宮くんがそう思うのも無理はないかな、うん。僕も自分でもあー、なんでここにいるんだろーって思うよね、うん」
「いや、答えになってないんですけど……」
「むしろ僕が聞きたいくらいだね、うん。ねえ若宮くん、なんで僕ってここにいるの?」
「いや、俺に聞かれましても……」
泣きそうになっている野方先生に困惑していると、横から声が聞こえる。
「野方くんは大学のゼミ仲間でね。ひよりのことで、色々と手伝ってもらってたのだよ」
スタイルの良さがわかるパンツスーツ姿に、胸ポケットにサングラスをかけた男前なスタイル。髪は黒のロングだが、後ろでまとめている。
眉山を境にクイッと曲がった眉は意思の強さを感じさせるが、澄み切った黒目にどこか達観したような色をにじませている中野とは、また違った印象だ。鼻筋はスッと通り、大きな口がエキゾチックな雰囲気を、顔に与えている。
簡単に言えば「美人」の2文字でまとめられそうな容姿だが、俺を拉致ったこと、あの横蹴り、そして強い目つきからして、まともな人でないのはたしかだ。
すると、そんなまともじゃない美人が名刺を取り出し、俺に差し出す。
「申し遅れたな。ひよりのマネージャーをしている、丸山美祐子だ」
そこには「声優事務所 アイアムプロモーション」と書かれていた。なんとなく、芸能事務所とかにありそうな感じの名前だが、和訳すると「私はプロモーション」。英語的に意味不明には意味不明だ。50音順で先頭に来そうな名前をつけたらこうなったのか、それとも創設者がただアホだっただけか。なんとなく後者な気がする。
そんなことを思いながら名刺をしげしげと眺めていると、中野が焦った顔で駆け寄って来た。
「美祐子、ちょっと」
「ん?」
「こんなのに名刺なんか渡さなくても。もったいないでしょ」
「名刺くらいいいだろ」
たしか、名刺交換って社会人が挨拶のときにすることだろ? なのに名刺がもったいないとか、どんだけ俺に価値がないんだって話だ。
そう考えると、温厚な俺もさすがに腹が立ってくる。なので思わず口を挟むと、好戦的な目で中野がジロリと見返してくる。
「あなた、この名刺一枚に一体いくらかかってると思ってるのよ」
「わかんないけどたぶん数十円だろ。俺にもそのくらいの価値はあるだろ」
「へえ、スゴい自信じゃない」
「いや、誰でも数十円の価値はあるだろ」
繰り出されてきたカウンターは正直予想の斜め上で、俺は彼女が銭ゲバである確信を深める。だが、美祐子氏は俺を品定めするように見ると……
「大丈夫だろう。この子、口軽そうじゃないし。それに手錠かけたり目隠ししたり、少々手荒い真似をしてしまったしな」
とウインクしながら言った。
美人のウインクにはそれなりの破壊力があり、オトナの女性との接触経験に乏しい身としては思わずときめきかけたが、よく考えると実際はただ暴力行為の自供である。
中野は不満げな様子だが、一応納得したのか、それとも言い返せないのか黙ったまま。 そして、美祐子氏は俺の肩をぐっと持つと驚きの提案をした。
「まあ、ここじゃなんだし、事務所内を案内でもしようか」
「えっ、案内ですか?」
「どうせこの後は帰るんだろう? だったら、少し見ていかないか」
本当のことを言えば、俺はそろそろ家に帰るべき時間である。
今頃家には、いくら「靴下をぽいっと捨てない! 洗濯かごに入れないと洗うの忘れるだろ!」と言っても覚えない母親が一匹、お腹をすかせてソファーに転がっているはずなのだ。
だが、素直に言って通じる相手でもなさそうなのも事実。逡巡する間も、俺の肩に置いた美祐子氏の手は、毎秒ごとに力を強めていく。その圧に負け、こくりとうなずく俺を見て、美祐子氏は満足げに笑い、中野のほうを向いた。
「ひより、見学くらいなら問題ないよな?」
中野は一瞬逡巡したものの、顔を上げると。
「……まあいいわ。せいぜい、社会見学を楽しむことね」
そして、ぷいっと身を翻してドアの側で立ち止まり。
「ひとついいかしら」
「な、なんだよ」
「学校で会っても、話しかけないで頂戴ね……それと、当然だけど今日のことは口外禁止だから」
冷たい言葉を残し、去って行った。
……いや、ふたつ言ってんじゃねーか。なんなのあの子。天然なのか??
○○○
美祐子氏のあとに続く形で、閉じ込められていた部屋を出ると……
そこには「仁義」と書かれた紙が入った額縁、歴代総長の肖像画、虎の絵に悪趣味な龍のデカい置物、高そうなツルツルのテーブル、その上にはいつでも人を殴れそうな灰皿、囲うようにして置かれた皮のソファーは重厚で、気のせいか紅いシミがある……
なんてことはなく、ごくごく普通な感じのオフィスだった。
「事務所にいる」とだけ判明していた約1時間前。てっきり芸能界と関係の深いらしい「ヤ○ザの事務所」かと思っていたが、普通に中野が所属しているマジな声優事務所だったようだ。
よく見る感じのグレーのデスクが2列に並んでおり、その向こうにお偉いさん席っぽいスペースがあるが、誰も座っていない。
というか、全体のうち人が座っているのは3分の1程度で、半分以上は空いている。すべての席に人が座ったとしても社員数は20人程度だろうが、物置状態になっているデスクもあるので、実際はそれを下回るくらいだろうか。
……と、ここまでは一見ごく普通の小規模の会社なのだが、よく見ていけば、なるほど声優の事務所だと感じさせるものもある。
例えば壁やデスクの側面。大小さまざまなポスターが、補足の紙とともに色んな場所に貼られている。補足の紙が貼られているものも多く、アニメや洋画だと「○○役で出演中!」とあったり、NHKのドキュメンタリーだと「ナレーションを担当!」、CDのポスターだと「デビューシングルオリコン○○位!」などという感じ。
よく見ると、アニメのポスターには「鷺ノ宮ひより出演中!」という紙が貼ってあった。その中には俺が観たことのある作品もあり、なんていうか本当に声優なんだな……と謎な実感。
また、その横には『声優・オブ・ザ・イヤー新人賞受賞!』という、他のより目立つ紙が貼ってあるポスターもあった。声優業界のイベントは全然わからないが、縁が金の紙が貼られていることを考えると、大きなイベントなのだろう。
作品名は、えーっと……
『反省文の天才』
だった。
真ん中に高校生くらいのイケメンな少年と、少しやつれた眼鏡の中年男性が並んだポスターだった。ふたりの奥には少年の友人らしき少年少女たちが描かれており、その中でもお嬢様っぽい女の子が一回りほど大きく描かれている。きっとヒロインなんだろう。もしかすると、中野が演じたのは、このキャラなんだろうか。
その作品名は、当然ながら俺も知っていた……のだが、観たことはなかった。たしか、絵里子が第1話だけ観て「辛くて無理」とか言って、チェック外にしてしまったのだ。なぜ絵里子が辛く感じたのかも、結局知らないままになっている。
3年くらい前のオリジナル作品で、当時かなり話題になっていたと記憶しているが、たしか年が明けてからのクールの放送だったような……
となると、放送されていたのは俺が中2の冬。1月から3月……なるほど、その時期だと自発的に観ていないのも余計に納得だ。
(だってその時期はちょうど、例の「
心のなかで、そんな独り言をもらす。
ポスターから目を横に向けると、壁にはホワイトボードがあった。社内向けに社員のスケジュールを書くものらしく、そこには「収録@U&U」「台本回収@マジカルカプセル」「ゲームRec@西新宿」「声優マガジン@新宿御苑横スタジオ」など、事務所内の人にはわかると思われる単語、文字が並んでいる。
その横には比較的大きな本棚。声優関連の雑誌や写真集、演技に関する本、アニメのDVD、ラノベなどがたくさん並んであった。ラノベにはなぜか付箋が貼ってあるものがあり、またCDは同じモノが何枚も並んでいる。そんな本棚の上には、重そうなトロフィーがいくつも置かれている。
物珍しさから色々とみていると、後ろから美祐子氏が近寄ってきた。
「どうだ、声優事務所のなかを見た感想は」
「どう……なんていうか、声優事務所って感じだなあと」
「そのまんまだな。極めて貧困な感想だ」
肩の下がりぐらいで呆れているのがわかるが、でも俺のせいじゃない。
「いや、そんなすぐ感想なんて出ないですよ。さっきまで監禁されてたわけだし」
「それは知っている。なぜなら私は、とある方法で、別の部屋にいながら君とひよりの会話をすべて見聞きしていたからな」
「もうそれ監視カメラしかないじゃないですか……」
「まあ、会社のコンプライアンスに関わるので、詳細は教えられないが」
「拉致してる時点でアウトでしょ。あと監視カメラ以外あります逆に?」
「……テレパシー?」
聞いた俺がバカだった。
もちろん、彼女が冗談で言っていることはその口調や表情でわかるが、にしても色々と酷い。
それに、である。俺が本当の意味で貧困なのは、感想ではなく、興味なのだ。
というのも、中野には話したとおり、俺は声優という存在に今まで興味を持ったことがなかった。声優オタクの人々からすれば不思議な感覚かもしれないが、俺はコンテンツが好きなワケで、中の人に興味・関心があったワケではないのだ。
というか、絵里子の世話でそれどころじゃなかった中学時代は、人間そのものに興味がなかった……というのが正しいかもしれない。とか書いてしまうと病んでる感じだが、実際そうだったのだ。
しかし、そんなふうに思いつつも、美祐子氏は、
「まあ、それもそうか」
軽くそう言う。俺をまだ解放する気はなさそうだ。
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