02 不毛な親友と気弱な担任
俺には物心ついた頃から、観たアニメ、映画、海外ドラマ、読んだラノベ、小説、マンガ……などいろんなコンテンツを感想とともにノートにまとめる習慣がある。習慣というか、もはや生活の一部になっていて、歯磨きのように「しないと気持ち悪い」レベルになっている、と言ったほうが感覚的には近い感じ。
今、石神井に見せて……勝手に見ているのはそのノートだ。高校に入って、たぶんもう10冊目とかにはなっているはず。
「できるならクラスの輪に入りたいし、他の人とも話してみたいと思ってる。でも俺、話したことない人がたくさんいる環境って苦手なんだよ……」
「ふむ」
話を振ったのはそっちなのに、気の抜けた相槌。
「とくに自分含めてその場が3人以上になると急に黙る病気にかかっている」
「それでなんだな。一対一だと普通に喋るのに、教室だと暗……物静かなのは」
「驚いたな。石神井にも『言葉を選ぶ』配慮があったとは」
「当たり前だろ。なんたって俺は若宮の親友だからな。いくら若宮が暗くても平気だし、むしろその暗くて捻くれてるとこが好きなんだけど、それを面と向かって言ったりはしないさ」
「……クラスが2人とかなら良かったんだけどな。そうしたら俺も話せたはず」
「若宮、残念ながら2人のクラスなら教師いれて3人だ」
「……」
石神井にも言ったとおり、俺はべつに周囲を見下したりしていないし、中二病的な部分もない。ただ、まだ親しくない人と話すとき、いろいろ脳内で考えてしまって、言葉が出てこなくなってしまうだけなのだ。
「それと自分から話しかけるってのができない」
「話しかける、か」
「話しかけられたらまだ喋れるんだ。石神井のときも……石神井のときは話しかけられたってより絡まれたって感じだったけど」
「そうだったか? 俺は誠実に『ご趣味は?』って聞いたと記憶しているが……」
「見合いかって」
「違った、『お子さんは何人くらい欲しいですか?』だったわ」
「だから見合いかって」
ツッコミを返しつつ、俺は話を戻す。
「でも、みんながみんな話しかけてくれるワケじゃないだろ?」
「まあそうだな」
「俺はべつに喋りたくないワケじゃないし、むしろもっと他の人との仲良くしたい。でも3人以上だと他の人の会話聞いてるほうが楽と言うか」
「楽と言うか」
「うちの学校、グループディスカッション多いだろ?」
「多いな」
「でも、喋れたことってほぼないんだよな……結果、静かにしてるだけなのに暗いって思われる。いつの間にか誰も話しかけてくれなくなって、話しかけるハードルばかり上がっていく。休み時間なんか、女子とか固まっちゃってるし……」
「狭い空間に異物と一緒にいるとな。弁当箱のスパゲッティと同じだ」
気付けば石神井はノートと弁当箱を持ち替え、刃先が尖ったスプーンでスパゲッティの固まりを掴んでいた。
そしてとくに許可を得ることなく、パクりとそれを頬張る。勝手に食べられた俺だが別に文句は言わず、なんならお茶を入れた水筒をスッと差し出しておく。
ちなみにパスタ系が固まるのは、パスタ内に含まれるグルテンというタンパク質が茹でられることで変容し、粘りを生み出すからだ。べつに狭い弁当箱に入るのが原因なのではなく、むしろ入る前から決まっているのだ。
「うん美味い」
石神井が喜ぶので、俺も内心ちょっと嬉しくなるのであった。
「そんなワケで、話しかけられないと話せないんだよ」
どこか非難めいた俺の言葉に、石神井が水筒のカップでお茶を飲みながら告げる。
「まあでもたしかに、話しかけられたら意外と話してるもんな」
「だろ」
「じつはなにげにユーモアあるし」
「だろ!」
「一対一限定だけど」
「……だろ」
「ちょっと話しただけじゃ自分から話しかけられなかったり、次の日になったらまた他人行儀に戻ってたり、結果、友達にはなりきれなかったりってだけで」
「……」
「そしてそもそも、ここにいる奴が言うセリフじゃないってだけで」
「それはなんていうか将来のためって言うか……」
「までも、若宮は人見知りというか、話しかけ見知りなんだろうな」
石神井はそんなふうに笑ってまとめる。話しかけ見知りという表現はちょっとどうかと思ったが、事実なので反論できない。
性格的にも、明るいほうではないし。暗いとは認めないけども。
「ま、俺はその辺のことは協力しないけどな。なぜなら俺は若宮を独占したいから」
「独占ってなんだよ独占って」
「独り占めってことだよ」
「言葉の意味はわかるよ。そして目を見て言うな目を見て」
「俺は若宮とクラスを繋ぐ架け橋にはならないから」
そんなことを、彼は飄々とした口調で言うと、俺の手を力強く握った。
「安心しろ。べつに期待してないから」
そう言うと、俺は彼の手を離す。
もうすでにこの辺までの会話でご理解頂けていると思うが、石神井はかなりの変わり者だ。整った顔立ち、180センチを超える長身と、見た目だけで言えばこの高校でもトップクラスのイケメンであるにも関わらず、内面はイケメンのそれではない。
人と違うことを信条とし、不毛なことや役に立たないことを愛し、人の期待を裏切ることに無上の喜びを見いだす……そんな男なのだ。
ゆえに、俺に友達がいないと知ったあとに、
『若宮、申し訳ないが親友として、君の友達作りには協力できない』
という、驚きの言葉を吐いてきたこともある。1年のときの話である。
爽やかな第一印象とは対照的に、なかなか因果で面倒くさい残念系イケメン。それが、1年の付き合いの中で俺が気付いた、石神井の本質である。
まあそんなだからこそ、こうやってひとりWi-Fiの届かない場所でコンテンツ観賞ノートをひとりシコシコつけてる俺と仲良くなれたのかもしれないけど。
それでも、人気のない階段で目を見て「独占したい」とか言って握手してくるのは、やっぱりちょっと勘弁してほしいのだけど。
「そう言えば、今日はどうしてここに?」
俺は尋ねる。
休み時間、放課後、休日となにかと一緒につるんでいることが多い俺たちだが、石神井は弁当ではないので学食に行くことが多い。結果、ここに来るのは週1程度で、そのうえ用事がある場合なのだ。
「あ、そうだった。さっき野方先生が若宮のこと探してた」
「俺?」
「……若宮がこの学校にもうひとりいたら違うかもだが」
「いや相槌。聞き返したんじゃなくて」
「先生のとこ行く?」
「そうするわ」
俺は弁当箱を片付けて立ち上がる。
○○○
階段をのぼり廊下へ出ると、ちょうどタイミング良く、少し離れたところに担任である野方信夫先生の姿が見えた。
「あ、若宮く~ん!!」
手を振ると、野方先生はこちらに向かって小走りに駆けてきた。
彼は俺らの学年を持って2年目の若手教師だ。
去年は他のクラスの担任をしていて、彼の授業も受けていなかったので特別交流はなかったが、気の良い、優しい先生だと聞いている。なお、実際に優しいかは、まだ2年になって1週間しか経っていないので、正直わからない。
見た目もそんな感じで、痩せ形の体型に細身のスーツ、天然パーマの黒髪が程よくもさっとしている、優男なルックスだ。
自分で言うのもあれだが温和な性格の俺は、自分と似た優しい人が好きなので、野方先生には密かに好感を抱いていた。
「ちょっと伝言があるんだけど、その、今いいかな?」
「いいですけど……」
「先生、俺から若宮を奪うつもりですか!?」
「おい」
ふたりの間に割り込み、しょうもないことを言った石神井に俺がツッコミを入れたのは言うまでもない。この男は生徒だけでなく、先生に対してもこんなノリなのだ。
しかし、そんなことはまだ知らないのか、野方先生は顔を赤らめると……
「いや、べつにそういう意味ではない、のだけど……うん。あれだったらすぐ返します」
と、まさかのマジレスだった。
「いや先生、冗談ですからね? しかも返しますって都合のいい男みたいな言い方」
「いやでも今は恋愛が自由な時代だしね、うん。異性間交遊があるなら、同性間交遊だってあってもおかしくは……」
「すいません、俺は男ダメなんで」
「ダメってことは、過去に試したことが……?」
「あるのか?」
「な、ないから」
そう返すと、俺は石神井を睨む。
「石神井、先生を巻き込むなよ」
「うす」
「それに先生も揚げ足取らないでください」
「は、はい」
「で、用件を教えてもらえますか」
いつまで経っても話が進まないので催促すると、野方先生は思い出したように言う。
「今日ひとつ伝言があってね、うん。若宮くん、去年の学年末テストで数学赤点だったでしょ?」
「あ、はい。そっか、補講か……今日の放課後、ですよね」
「担当の家政先生から問題集持ってくるようにって」
「了解です。じゃあロッカーから出しておかないとですね」
俺がうなずくと、野方先生は心底不思議そうな顔を見せる。
「でも、なんで赤点取っちゃったのかな? 1年のとき、1・2学期連続で学年1位だったんでしょ?」
「えーそれは……ちょっとその日体調が悪くて」
「そっか……まあそういうこともあるのかな?」
あまり納得いっていない感じでつぶやくと、野方先生はその場を去って行った。
すると、石神井が小声で耳打ちしてくる。
「あれがあった日の補講な」
「そうそう……だから今日は遅くなるわ」
「そうか……じつは若宮と行きたい場所があったんだが」
「どうせまた変な場所だろ?」
「それは行ってからのお楽しみだ。今日は先に帰っておくよ」
「すまんな。また今度出かけよう」
そんなことを話している間に、俺たちは教室へと着いた。中に入ったところで分かれると、石神井は席に着くやいなや他の生徒と話し始めた。皆それを温かく受け入れており、彼が変人であることを皆が知り、そのうえで受け入れていることがわかる。
しかし、俺に話しかけてくる人は誰もいない。前の席の陽気な男子も、右の席のちょっとギャルっぽい雰囲気の女子も、後ろの席のメガネをかけた気弱そうな男子も、左の席の……左の席は空いていた。
こんな感じで「話しかけ見知り」をこじらせた毎日。それが俺の高校生活だった。
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