09 密室での買収劇2
そう言われて考えてみると、俺は自分が声優の名前を一切知らないことに気づいた。
絵里子の趣味に付き合う形でアニメを観るようになって、自分でもそれなりに進んでみるようになったけど、彼女がそっち方面に興味を持っていなかったことが影響していそうだ。
……というか、そもそも俺自身が「中の人」に興味がないせいかもしれない。コンテンツに対する興味があったとしても、心を閉ざしてた時期が長かったから、人間に対する興味がそんなになかったというか……なんだか自分がサイコパスに思えてきて悲しい。
でも、アニメをそこそこわかると知ったときの反応を見るかぎり、実際問題、声優に疎いほうが中野的にもいいに違いない。
「正直、声優は全然わからない」
「なんでわからないの?」
違った、キレてきた。整った顔をゆがめ、刺すような視線で俺を睨みつけてくる。こわいこわいこわい。この密室空間でそれはやめて。
「えと、詳しいほうが良かった?」
「いえ詳しいと困るわ。あなたが声優オタクだと、私の高校生活に支障が出るじゃない」
「じゃあなんでキレるんだよ」
「まったく知らないのは知らないで腹立たしい」
「自分勝手だなっ!?」
自分の職業に対する愛はわかったが、なんというか理不尽だ。
中野は差し出した手と乗りだした体を引っ込め、ソファーに座り直す。
「あなたが声優好きでないことはわかったわ」
「声優に限らずで、俺すごく好きってものがないんだよ。アニメもラノベもマンガも、他にも色々まあまあ好きだけど、すごく好きってほどではない」
「今、私あなたに好きなものの話とか聞いた? 頼んでない個人情報開示はやめてもらえるかしら? 今はお見合いじゃないのよ?」
「失礼しました」
スナイパーのような鋭い視線で俺を睨む中野に、思わず小さくなりながら答える。
「……でも。それだと余計に理解ができないわね」
「声優だって気づいたこと?」
こくりとうなずくと、中野は顎に丸めた拳をあてて、考える人になる。
「声優のファンでもない限り、たった一度朗読しただけで、私が鷺ノ宮ひよりだとはわからないはずだけど」
「まあ、普通は名前まではな」
「もちろんあなたに友達や、それに準ずる存在がいれば話は別でしょうけど。あなたに友達なんかいな……いえなんでもないわ」
「いな、まで言って止めるな。それもう言ってるのと同じだぞ。あと、ついでにぼっち扱いすんな。友達、ひとりもいる、ひとりも。すぎょいデショ?」
「噛んだうえに、若干片言になったのが悲しい現実を示してるわね……でも、そのお友達は石神井くん、だったっけ?」
「そうだ」
「彼はそういうゴシップ的なことは興味なさそうだし、なによりあの朗読のとき、ずっと眠っていたから」
たしかにあいつ、午後の授業は結構寝てるんだよな。授業が一番の予習復習だって、いっつも言ってるんだけどな俺。
「声優って気づいた理由の、種明かしをしたら、解放してくれるか?」
俺が尋ねると、中野はむむっと考えた後、こくりとうなずいた。
「じゃあひとまず後ろの手錠を外してくれ。スマホの中に証拠がある」
美しい瞳が細められ、俺のズボンのポケットに向けられる。彼女の姿勢がいい分、お互い普通に座っているのに、どこか見下ろされている……いや、見下されているかのようだ。
「……なにか不審な動きをしたら、わかってるわね?」
中野は眉をひくっと動かしながらそう述べる。不安、不審、警戒……その手の感情がにじみ出ているのを感じる。
「わかってるって」
「躊躇なく刺すから」
「全然わかってなかったわ。想像以上すぎた」
「ちなみに聞くけど想像はどの程度だった?」
「平手打ちとか、酷くて殴るとか蹴るとか」
「……ふっ」
「あの、鼻で笑うのやめてもらっていいですか?」
マジこの子なんなの。超怖いんですけど……んでもって、ここってやっぱりヤ○ザの事務所? 日本刀とか小指用ナイフとかチャカとかあるんでしょうか……小指用ナイフってなんだよ、それナイフの用途じゃないだろ。
予想をはるかに超える残虐な制裁に、震えながら返事する俺を無視しつつ、中野は俺の後ろ側にまわり、手錠を鍵で外す。
制服の内ポケットに入ったスマホを取り出すと、俺は1枚の写真を表示した。
「この人はたしか若宮さん。若宮……そういうことね」
すべてを理解した様子の中野は、下を向いて小さくうなずく。
「驚いた。まさか、お仕事した人の子供がクラスメートだったなんて。でもあの方、普段は大阪に住んでるって言ってたのに」
「親父、単身赴任で普段は向こうにいんだよ」
「一体どんな確率なのよ……」
中野は自嘲気味にそう言うと、観念したかのような表情で、ぽつぽつと話し始めた。
「声優をやってること、隠したかったの。だから学校にいるときは変装して、声出さないようにして」
中野はカバンから黒縁眼鏡を取り出すと、俺の前で試しにかけて見せる。
「バレると、色々面倒なことになるからか?」
「中学のとき、やっかいなことが多くてね。もちろん自分から言ったりはしなかったけど、でも普通に過ごしてるだけでまず気づかれるの」
なるほど、人気者には人気者の悩みがあるようだ。
「じゃあなんで今日の国語は音読したんだ?」
「『うまく読めなくてもいいんだけど』って言われて。つい、ね。プロだから、どうしても我慢できなくて」
「話しかけられても無視したり、グループディスカッションでも沈黙貫いてたやつが言うことじゃねーだろ」
「詳しいのね……まあ、そう言われても仕方ないかしら」
呆れる俺に対し、中野は自嘲するようにふふっと笑う。
「色々極端すぎんだろ。変な噂出たほうがマイナスじゃないのか」
「大丈夫。声優ファンは女性声優がぼっちだと逆に喜ぶの」
「なんだそれ……声優って大変なんだな」
「それと、あとは商売道具だから」
「温存しようってか。今すげー喋ってるけどな」
「も、もともとはお喋りはわりと好きなほうなの」
俺が制止すると中野は喋るのをやめ、それからコホンと小さく咳をして切り出した。
「それで、ここからは交渉なのだけれど」
「え、交渉?」
「そう。私が、隠れて声優をやってることに関してのね」
○○○
交渉……。
いよいよヤ○ザ風な単語に、俺は思わずこれははたして現実なのかと思う。
しかし、あくまでも中野は真面目な表情をしていて、見せつけるように指を1本立てた。
「これでどうかしら」
「……え、なんの話?」
なんのことかわからず、俺は戸惑う。しかし、中野は素で誤解したようで……
「そうよね……これじゃ話にならないよね。では」
と、指を5本立て、言葉を続ける。
「50万円。50万円で、私が声優であることをクラスや学校の人たちに黙っていてほしいの」
ご、ごじゅうまんでだまってるだと……?
え、え、なにそれ。
どういうこと? むむっ??
「もし私が声優の仕事をしていることがクラスの人にバレたら、平穏な学校生活を営めなくなるでしょう? 声優してるの? すごいね。なんか声だしてー、なんかおごってー、写真撮らせてー、あの声優さん紹介してー、合コンセッティングして……とか言われて」
「た、たしかにな」
「酷いときは、目も歯もない噂を流されるかもしれない」
「……それを言うなら根も葉もな。目も歯もなかったらそれは拷問後だ」
すると中野は瞬時に右足を繰り出し、綺麗に俺の脇腹をえぐる。突然の蹴りを受け、俺は「ぐはっ」と呻き声を漏らしながら、その場に倒れこんだ。
「なっ、なにいきなり蹴ってんだよ」
「予兆はあったでしょう。私の言い間違いを指摘するという予兆が」
「そういうのは予兆って言わねえよ」
「この期に及んで日本語のえら探しだなんて、なんて強心臓なのかしら」
「えら探しじゃなくてあら探しだ! えらとあらは魚的に違う部位っ! 食えない部分と出汁にすると美味しい部分だな! あと強心臓って褒めるときに言う単語だろ! つーか声優ならもっと日本語を大事にしろっ!!」
「……でも私は、普通に過ごして、普通に高校を卒業したいの」
「……なんの予兆もなく話戻すんだな」
涼しい顔をしている中野に、俺は今までのやり取りを要約するかのように伝える。
「つまり、俺を買収しようとしてるのか」
「端的に言うとそうなるわね」
俺の質問に、中野は黒縁眼鏡をくいっと上げながらうなずく。
美少女に50万円で買われようとしている。文字面だけを見るとかなり甘そうな感じだが、実際は超絶ノワールな展開なので、俺は思わずハンカチで汗をぬぐう。
事情はわからないが、でも、色んな事情があるのだろう。それか、あったのだろう。
「でも、50万って……そんな大金見たことねえよ」
「そうかもね。でも私にとっては痛い出費ではあるけど、高い出費ではないわ」
「どういうことだ」
「だってもしあなたが誰かにこのことを言って転校するハメにでもなったら、公立でも最低30万、私学だったら2年で200万円くらいかかる。精神的な消耗や、時間も浪費してしまうわ。仕事に影響をきたしたら収入も下がるし、そうなるともっと損害は大きくなる……だから50万は、むしろ今の平穏さを守るには高くない額なのよ」
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