06 CMのナレーション
そして、勉強を終えると、ベッドに寝転がってスマホでアニメを観始める。
我が家は絵里子があんな感じで家に長く居るため、複数の動画配信サービスを契約していて、それらを通じて日々、俺はさまざまな作品を観ている。
最近話題になった作品はもちろんのこと、放送中のアニメから古典的名作まで、好き嫌いせずに観るようにしている。世の中には過去の作品を軽んじたり、逆に新しい作品をバカにする人もいるが、俺は文化というものはすべて大きな文脈のなかにあると考えている。どんな創作物も過去にあった創作物に影響を受けており、完全なオリジナルは存在しない、という考え方だ。
だからこそ、なるだけ色んな作品に触れ、大局観のようなものを養うように心がけている。そうやって知識を積み重ねることで、面白い作品に共通する構造や演出があることに気づき、やがて「こういうふうにすれば、多くの人の心を『面白い』と惹きつける作品になる」と考えているから。
そして。
今はまだ言えないが俺には夢……と呼ぶほどのものではないが、「こういう仕事に就きたい」という目標があるのだ。
作品を観終わると感想を観賞記録用ノートに書き込んでいく。感想と言っても純粋な感想だけでなく、ストーリーの大まかな流れやキャラの特徴、印象的なセリフ、スゴいと思ったポイント、逆にもう少しこうだったほうが良かったんじゃないかなポイント……などなど、色んなことを書き込んでいく。
俺が日々、こういうことをしていると知っているのは、今のところ両親と石神井だけ。石神井にはノートを勝手に見られたことで知られてしまったのだ。
○○○
そんなふうにして、しばらく過ごしていると、玄関から「ただいまー」という声が聞こえてきた。オヤジの明だ。
出て行くと、すでにリビングで絵里子が「会いたかったー」と抱きついている。オヤジも、まんざらでもなさそうな表情をしているが、俺はとくに「やめろ」とかは言わない。数ヶ月に一度の恒例行事なので、もはや見慣れてしまっているのだ。
絵里子にカバンを渡しながら、オヤジはネクタイをひゅっと緩めた。その瞬間、サラリーマン特有の緊張感は顔から完全に消え、父親の顔に戻る。
「今日帰ってくる日だったんだな」
「いつも予告なしですまないな」
「いや、べつにいいけど」
「次からは『火憐だぜ! 月火だよ~!』って感じで予告してから帰ってくるわ」
「いや、父親とそんなめんどくさい絡みしたくないし、てかあの予告は予告と言いつつなんの予告もしてないから」
気色の悪い裏声を出して言うオヤジに、低いトーンでツッコミを入れる。
そんな俺を見て、オヤジはニヤリと笑い、
「それそれ! そのツッコミ! 合格!」
びしっと指さしてきた。
「いや、オヤジから合格点貰っても……」
「じゃあ赤点がいいのか?」
「それはムカつくな」
「やっぱ惣太郎のツッコミは切れがあるわ~。今の会社の若い子だと通じてないもん」
「俺のツッコミに切れがあるかはさておき、会社の人にそんなめんどい絡み方してたらキレられるか最悪首切られるからやめとけよ」
「おっけー」
あと数年で50代に差し掛かるとは思えないほど軽い返答だ。
「ごはん食べる?」
「外で軽く食べてきたけど、どうせならもらおうかな」
そう言いつつ、オヤジは食卓にひとり座る。右手にはすでにビール缶が握られていた。
大手予備校の「俊台予備校」で広報として働いているオヤジは、すでに5年ほど大阪に単身赴任をしている。帰ってくるのはだいたい2~3ヶ月に一度で、理由は本社での会議とかCMの制作とか、まあ色々だ。
俺が電子レンジでチリコンカンを温め始めると、オヤジは俺を見て神妙な面持ちになる。
「え、なにその目」
「……夜の10時。息子は高校2年生で、自分の部屋にこもっていた……すまんなオナニー中に」
「いや、してねえし」
「俺の晩飯をチンさせて。チンだけに」
「だからしてねえって。普通に勉強してただけだから」
「恥ずかしがるな。『男子がちんこに手を伸ばすタイミング』第1位はトイレ、その次が自分の部屋で勉強してるときってのはもう統計で出てるんだよ」
「そんな統計ねーよ。どこの調査だよ」
「文科省だよ」
「文科省がそんな調査するワケねーだろ」
「じゃあ国土交通省だな。お堅いイメージがあるからな」
「国交省より文科省のがまだあり得そうだわ。てか、そもそもトイレタイムが一位なのは当然の結果だろ」
「……え?」
「いやいやそこは否定してくれよ」
ツッコミを入れつつ、会話を打ち切るように俺はオヤジに温めた料理を差し出す。
こんな会話からわかるように、親父はなかなかテキトーで軽いノリの持ち主である。基本的に会話の半分はジョークで、残りの2割は冗談、2割がウソ、1割が虚言。予備校というお堅い職場で、よくこんな性格で勤務し続けられているなと思う。
しかし、そんな性格だからこそ、病気でずっと母親業も主婦業もできていない絵里子と長続きしているのも事実だった。
奥の部屋で、絵里子がオヤジのスーツをハンガーにかけたり、珍しく主婦っぽいことをしているのを確認して、オヤジはテーブル越しに体を寄せて尋ねてくる。
「で、絵里ちゃんの調子はどうだ?」
オヤジは絵里子のことを絵里ちゃんと呼ぶ。大学時代からそう呼び続けているので、今さら変えられないらしい。
「んー程よく元気なく、って感じかな」
「程よく元気なく、ってなんだそれ」
「なんていうか、元気って前借りだろ?」
「前借り?」
俺が譲られた、切れ長で目つきのよろしくない目を、オヤジは細める。
「体調良いときって、ついつい嬉しくなってはしゃいじゃうけど、無理すると結局後に響いて調子の悪い時間が長くなる、みたいな」
「あー、あるな」
「なんなら1日調子良かったせいで、2日しんどいとか」
「元気って急に来て、急にいなくなるとこあるよな」
中年になって、体力の低下を実感しているのか、オヤジが神妙な面持ちでうなずく。
「元気も給料も、前借りしたら苦しくなるだけなんだよ」
「思わぬ共通項だな。そしてなぜか若い頃を思い出す話だ」
「だから、絵里子みたいな人は、程よく元気なくが一番ってゆーか」
「つまり、調子がべつにいいワケじゃないけど、それが一番調子のいい証拠ってことか」
「そういうこと」
「たしかに、最近は家に帰ってきても起きてるもんな」
オヤジが2本目の缶ビールをプシュっと開けながら返事する。
この返答で、絵里子がいかに長い間、基本的に病気してる人だったかがわかると思う。
「スマホで例えるなら、昔の絵里子って充電が赤じゃなくなったら無理して家事とかしようとしてただろ?」
「そうだったな」
「でも、それって体力が少し戻ったってだけで元気になったわけじゃないから、すぐに充電切れてまたバテるんだよ」
「たしかにスマホも、出張先のビジホでコンセントがベッドから離れた場所にあったら、少し充電して使ってまた充電して……って繰り返すもんな」
仕事で使うせいで、俺なんかよりずっとスマホ中毒なオヤジは納得したように言う。
「その点、今の絵里子はいい意味で諦めてるというかさ」
「なるほど……ってお前、人の女を名前呼びしやがって」
そう言うと、オヤジは缶ビールから口を離して怒った素振りを見せる。こうして始まったひとりの女をめぐる、父親と息子の血みどろの争い!
「いや、べつにいいだろ……ってか人の女って、俺の母親でもあるし」
呆れながら俺がそう言うと、オヤジは「まあそうだな」とあっさり述べ、ビールをゴクリ。争いは5秒で終わった。
そして、オヤジが急に神妙な面持ちになる。いつも常ににやけている人間なので、それは珍妙にも思える。
「まあ、そのなんだ……色々ありがとな」
「あー、まあ、うん。もう慣れてるし」
「慣れさせてすまんというかさ」
「オヤジ」
俺が強めの口調になる。
「それは禁句だ」
「ああ、そうだったな」
オヤジはそう言うと、少し照れくさそうな顔になり、困ったように頭を掻いた。
そして、思い出したように、口を開く。
「あ、そうだ。仕事のことで、惣太郎に少し見てほしいものがあってだな」
オヤジはノートパソコンを開き、動画が数本入ったフォルダを開いて俺に見せる。
「予備校の今年用のCMなんだけどさ。今日こっちでその収録があって」
なるほど、今回はそういう流れでの帰宅だったらしい。
「3パターンあるんだけど、どれがいいか感想もらえないか?」
「いいけど、俺で大丈夫なの?」
「お前もそろそろ受験のこと考える時期だろ? だから普通に、1学生としてお願いしたい」
そういうことなら……と俺はうなずき、オヤジと一緒にパソコンの画面をのぞき込む。
新作CMの内容はいかにもオーソドックスな感じで、ひとりの女の子が予備校で勉強し、受験会場となる大学に入っていき、講堂的な場所でテスト用紙をひっくり返す……というものだった。
そして、中盤から女性のナレーションが入り……
『俊台予備校は進化したプログラムで、あなたの夢を叶えていく。なりたい私になる。俊台予備校』
と、なんともありきたりなフレーズが繰り広げられた。
他の2つは映像はそのままに、ナレーションだけ入れ替えた感じで……
『俊台予備校の55段階別学習プログラムなら、志望校へ手が届く。現役合格なら俊台予備校』
『諦めるのはもうやめたんです。そう彼女は力強く言った。国立受験なら俊台予備校』
と、これまたどこかで聞いたような文言である。
1受験生として、正直惹かれる要素はない感じだった。
「どうだ? どれがいいと思う?」
3パターンのCMを見終わったあと、食い気味に質問する親父に、俺はうーんと苦しさを表現しながら答える。
「正直どれも似たり寄ったりというか、どっかで聞いたことある感じかなー」
「うーむ」
親父が気の抜けた声で相づちをうつ。
「55段階別プログラムとか多すぎて逆に選ぶの大変そうだし、なりたい自分になるとか言われても、むしろなりたい自分がわからないからとりあえず受験する人が多いんじゃない?」
自分自身感じていることを交えつつ、俺は答える。
「まあそうだろうな」
高校生なんてそんなもんだ……みたいなテンションで述べるオヤジに、俺は少し安堵している自分がいることに気づきつつ、続ける。
「でも、諦めるのはもうやめたんです……ってのも予備校のCMってわかりにくいし、最初にネガティブなフレーズを入れるのもなあ」
「となると、消去法的には1か2か」
「そうだね。このふたつなら、正直大差ないと思う」
俺の正直な答えに、親父があからさまに肩を落としてがっかりする
「ご、ごめん。正直に言い過ぎた?」
「つまんないのはわかってんだよ。でも、予備校って体質が古いというか、変なことできないからさ」
「そうなんだ」
「ほんとはライザップみたいにブーンッブーブッ! ヘイヘイ! とか言って受験生をぐるぐる回転させて、受かる前の自信のない姿と受かってはしゃいでる姿のビフォーアフターとか見せたりしたいんだけどよー」
「なにそのパロディ。大学デビューしたみたいで嫌だろ……ってか受験前も自信はあったほうがいいでしょ」
「ってのは冗談だけどさあ」
そう言いつつ、オヤジはビールをぐびぐび飲む。気付けば二本目に突入していて、居心地の良さから酒がすすんでいることがうかがえる。
「差別化ってほんと難しいわ。どこの塾も教えることは同じだもんよー」
「それを言っちゃおしまいだけどな」
親父ははははと笑うと、思い出したかのように続ける。
「あ、そうだそうそう。そういやナレーションしてくれた人、今年から新しく変わったんだけど」
「ふーん」
「今高2って言ってたぞ」
「えっ、そうなんだ」
親父の言葉に素で驚き、声が漏れる。
「じゃあ俺と同い年だなー」
「聞いた話だと、子供の頃から子役してて、今の声優事務所に入って10年目らしい。最初、スタジオに入って来た時は大丈夫かなって正直思ったんだが、ありゃプロだな。正直なめてたわ」
CMをもう一回再生し、ナレーションに耳を澄ませる。
程よく高いその声は、とても澄んでいてなめらか。と同時にどこか憂いを帯びた雰囲気もあり、知的さを感じられる。たしかに正直、同い年とは思えないほど大人びた声だ。
「なるほど……これは言われないと女子高生ってわかんないわ」
「だろ?」
いいなーと思ったんだよー。喋っててもいい子だったしー。と、親父の満足げな声が聞こえてくる。
CMの評価はさておき、新ナレーターへの評価が上々だったせいで、気分も良くなったようだった。
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