05 母は引きこもり
そんなふうに本天沼さんと少し話したのち、下駄箱のところで解散した。クラス委員の仕事があり、少し職員室に寄って帰ると言われたのだ。
夕暮れの通学路をひとりとぼとぼ歩き、程なくして溝の口駅に到着。電車に乗ると、溝の口から各駅停車で2駅のところにある、二子新地駅で降りた。そう、俺の家はここ、二子新地駅が最寄りなのだ。
もう1駅隣に行けば、ここ10年の再開発で変貌を遂げた二子玉川駅がある。間に流れるのはご存じ多摩川。山梨、神奈川、東京の1都2県にまたがる大きな川だ。
そんな立地ゆえ、休日になれば河川敷で過ごすため、多くの人が二子新地駅を訪れる。野球少年やランニング愛好者、サイクリストたちもいるものの、近隣住民の生活に影響を与えるのはBBQをする人たちである。駅から程近い場所に川崎市が運営するBBQ場があり、真冬以外は基本的に賑わっているのだ。
そのBBQ臭はなかなかスゴく、風下側に位置するエリアでは結構なニオイが流れてくる。洗濯物が肉臭くなるのは避けられず、ゆえに夏場は深夜以降に干すしかないくらいだったりするのだ。ちなみに、そんな立地のせいで二子新地駅のBBQ臭は結構すごくて、二子新地駅に停車した電車の中に肉のニオイが流れ込むと、隣駅である二子玉川駅までずっと電車内がおいしいニオイ、みたいなこともある。
なお、多摩川流域のデメリットは他にもある。秋の多摩川花火大会では近所一帯が見物客で溢れるせいで籠城を余儀なくされ、地響きを伴う大音量で耳が痛くなる。台風が来て大雨が降ると氾濫の恐怖にさらされ、実際、数年前の台風19号では多摩川沿岸の一部が決壊、浸水していた。氾濫しなくとも、川沿いということで湿度が高く、良く言えば潤った町、悪く言えばシケた町という言い方になるだろうか。
もっとも、俺自身は生まれ育ったこの場所が気に入っているのだけども。川崎市のなかでも治安はいいほうだし、天気のいい日に多摩川を散歩するのは、とても気分のいいことだから。
そんな舞台設定説明はさておき、俺は二子新地駅高架下にあるスーパーで食料品の買い出しを済ませ、駅から徒歩10分ほどの場所にある我が家に返った。築15年になるマンションの5階だ。
部屋のドアを開けると、リビングのソファーから声が聞こえた。
「そうちゃんお帰り~! 今日はちょっと遅かったね~」
声の主は母の絵里子。パジャマなのか外着なのかわからないスウェットに身を包み、ソファーに横になったまま、テレビの音量を小さくして話しかけてくる。ちょうどテレビを観ていたらしい。
リビングに置かれた丸テーブルには読みかけ&読み終わったらしきマンガ、小説、ラノベの類いが乱雑に置かれていた。我が家ではこの手の物は母息子兼用だが、絵里子が買ってくることも多い。
「ただいま。大人しくしてたか?」
「うん。いい子にしてたよー」
「そっかそっか」
読み終わったらしきものを重ね、俺は物置部屋に運ぶ。ここはオヤジの部屋なのだが、単身赴任でほとんど帰って来ないので、もうすっかり物置と化している。
置ける限りの本棚があるものの、8畳程度の部屋なのですべてをキレイに収納できているワケではなく、本棚の上に本を積み重ねていたり、足下にタワーのように積み重なっているので歩くときに注意を要する感じ。
朝ぶりに話し相手ができたせいか、絵里子はちょっとテンション高めだ。
「今日は10時間も寝たよ!」
「10時間ってすげえな。俺が学校行ってからずっとじゃん」
「褒めてくれてありがと」
「褒めてないけどな」
「あっ、でもゴミ出しておいたよっ」
思い出したように絵里子が報告する。
「ほんとに? 朝、出し忘れて出たの気になってたんだよ……ありがと」
「へっへー。いいのいいの! お母さんもそれくらいしないとね!」
どこか誇らしげにそう言うと、絵里子はソファーの上でくるっと寝返りを打ち、ふたたびテレビの音量を大きくする。
俺の母・絵里子は、よくテレビを観る。40代なかばだが、今でも若い人が観るような番組好んで観る。ワイドショーも夕方の再放送も、夜のバラエティもドラマも。深夜番組も録画して観ている。
こう言うと、とてもテレビ好きなように思うかもしれないが、それは半分正解で半分外れ。絵里子はワケあって体が弱く、病院に行く以外は家からあまり出られないのだ。
手洗いうがいをして着替えを済ませると、制服のシャツを洗濯機に入れ、俺はキッチンに向かう。いつもと同じ順番だ。
今日の料理はチリコンカン。トマト、大豆、たまねぎ、にんじん、パプリカ…などなど、色んな野菜を手軽にとれることがポイントだ。基本の食材を入れれば、後は結構なにを入れてもうまい。にんにくを多めに入れれば体力もつくし、調理もそこまで難しくない。
野菜を手際よく切り刻んでいくと、鍋に入れ、炒めていく。ストックしてあったトマト缶を入れて弱火で煮詰めれば、ウスターソースとケチャップとチリソースを少し入れて完成。あとは玄米を3分の1だけ混ぜたご飯を朝のうちに炊いていたので、それをチンすれば今晩の夜食の完成である。時間にして20分。いつもこのペースだ。我ながら、男子高校生とは思えない手際の良さだ。
食卓に今夜のメニューを並べると、俺はソファーで横になっている母に声をかける。
「ご飯できたよ。あったかいうちに食べな」
「ありがとー。お母さん、そうちゃんのチリコンカンだーいすき♡」
「抱きつくな。暑い」
仕事から帰ってきた飼い主にまとわりつく、犬のようなノリで絡まりついてくる絵里子を無理矢理引きはがしてイスに座らせると、俺は向かい側の席に座る。いただきますと手を合わせると、絵里子は子供のように勢いよく食べ始めた。
○○○
ここまでの描写からもなんとなく伝わるとおり、我が家は親子関係が逆転している。そして、それは俺の性格や、色んなジャンルに広く浅い知識を持っていることに、少なからず影響している。
絵里子が俺を産んだのは25歳のとき。
大学の同級生だった親父と結婚し、俺を出産したのだが、もともと体が弱かったことや、実家を出たストレスなどが重なり、直後にそこそこ重い病気を発症してしまったらしい。それは完治するタイプのものではなく、まあひらたく言うとホルモンの病気だった。
それからは寝たり起きたり、育児をしたりしなかったり、料理・掃除をしたりしなかったり、子供の夏休みが終わっても自分の夏休みは延長したり、そもそも年中休みだったり、病院に行ったり行かなくて主治医に怒られたりして、ずっと暮らしている。
物心ついた頃からこういう生活で、父親も仕事で家を空けることが多かったので、正直俺には「親=自分を守り、育ててくれる人」という感覚があまりない。むしろ、5歳になる頃には掃除・洗濯なんかを手伝うようになり、中学年になる頃にはすっかり料理もやるようになっていた。
だから、小学校で保護者参観なんかがあったときには、幼心に違和感を覚えて「保護者……って俺のほうじゃね?」「だって料理とか洗濯とか、みんなが親にやってもらってること、うちは全部俺がやってるし……」と思ったこともあるほどだ。というか、小3くらいから参観にも来なくなったからな。今は平気だし、仕方ないと思えるけど、当時はそれなりに辛い気持ちになっていた……
とかまで書き始めると悲しい雰囲気になってしまうけど、こんな感じで「保護者」と「保護られ者」の関係は、我が家では非常にあいまいなものなのである。
そして、家で過ごすことが多い絵里子は、もともと持っていた文化系女子要素をどんどん強め、自然と色んな趣味を持ち、深めるようになった。あるときはマンガ、あるときはアニメ、あるときは小説、またあるときはゲーム……というふうに。
そして、絵里子は話し相手が基本的に俺しかいないので、俺も観たり読んだりすることを求められ、結果的に今のような自分になったのだ。
○○○
食事を終え、風呂を済ませると、俺は自分の部屋で勉強を始めた。
その日授業で習ったことを復習し、宿題をして、この先習う箇所を予習していく。教師によってはタブレット経由で宿題を出してくるので、そこに入力したりタッチペンで記入したりすることは新しい感じだが、やってることそのものを見れば至って普通。「勉学に王道なし」という言葉を実感することができる。
予習復習は小学校時代から続けている日課だが、正直なところ、勉強を楽しいと思ったことはない。暗記はやっぱり楽しくないし、効率化にも限界があって、ある地点に到達すると時間をかけるしかなくなってしまうから。
でも俺は、「勉強していない」という事実を胸のなかに抱えておくのがイヤだから、勉強するようにしている。やるべきことをやっていないということに、どうしようもなく罪悪感を覚えてしまうのだ。
俺のようにマメに勉強している人を見ると、世間は「真面目」とか「努力家」とか言いがちだが、実際は「そのほうが楽だからやってるだけ」という人も多いと思う。勉強をサボる人が「楽をしたい」のなら、俺みたいなのはさっさと勉強することで「楽になりたい」と思うタイプと言うか。
もはや、これは生まれ持った気質なんだと思う。
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