Ⅱ.『大司書、先輩ママに諭される』

「親たる者、そうそう頭を抱えてはなりませんわよ」

 とは、先までジョンの座っていたワタシの横へ、スカートをつまみあげて腰かけたミズ・メアリーの開口一番である。相席の許可を求めたり、データ生地の裾を気にしたりと、凛とした口ぶりはまさに貴婦人だ。

 叱られているようだと感じつつ、微苦笑を返す。

「またご覧になられていましたか。知の殿堂の大司書とはいえ、親にはなれないものです」

「あら、そうでしょうか? 自覚の問題ではありませんこと?」

 濃淡のコントラストであらわされる夫人ミズの、くっきりした灰色の眉がつり上がる。

「わたくしが存じあげているかぎり、『純粋なプログラムは親とみなされない』などという定理も定義も規律モラルも存在しませんわ。いかがです、知の蒐集者ザケリアスどの?」

 挑戦的な吊り目で見つめてくるミズ・メアリー。肉体では視覚情報を司った感覚器も、情報体には飾りに過ぎない。にもかかわらず、彼女の瞳からは少しの怒りと呆れ、それに揺るぎない誇りがにじみ出ていた。

「ミズ、そうワタシを焚きつけることはありません。貴方が子どもたちの母親"であった"ことは知っていますし、そんな貴方からみて、ワタシのジョンに対する言動はいささか鼻持ちならないかもしれませんが……」

「いまも"母親"ですわっ!」

 キッと、甲高い声がワタシの思考を駆け巡った。座り直した貴婦人は間違いなく怒っているが、真隣のワタシにだけ声を"響かせる"あたり、ワタシとは格が違う。館内のパラディホムスたちが気にする素振りもない。

あちらリアルワールドのわたくしだって、きっと……いまも子どもたちに囲まれていますわよ」

 途中から尻すぼみになっていくミズ・メアリーから微かな"ゆらぎ"を感じた。落とした視線に自信のなさがあらわれている。

 ミズ・メアリーはかなり古参のパラディホムスだ。この社会フィルネットが芽吹いたすぐあと住人になった。

 フィルネットが花開いたばかりの頃は、まだ、リアルワールドとの交流も盛んだった。人間たちは好んで、こちらにアップロードした自分の分身パラディホムスとコミュニケーションを取り、相互に知識や経験を共有した。

 ミズ・メアリーもまた、リアルワールドの彼女と、その子どもや孫たちと、人類の新しい到達点に胸を膨らませていたに違いない。

「傷つけてしまったことをお詫びします、ミズ・メアリー。そのようなつもりはありませんでしたが、司書たるプログラム、言葉を吟味すべきでした」

 頭を下げたワタシにミズ・メアリーが小さく息をもらす。

「いえ」

 彼女は本当に、人間らしい。ずいぶん長いつき合いになるが、ミズの立ち振る舞いは変わらない。もっとも、ワタシがそうおもっていると知れば、また眉をひそめられそうなので黙っているが。

「あなたらしいですわね」

 階段の体を少しずらしつつ、白い貴婦人が言葉を続ける。今度は、呆れ半分に安堵しているような柔らかい声音だった。

「よろしいですわ、マスター・ザケリアス。謝罪をお受けします。それより、あの子となにを言いあっていたのです?」

「それは……」

 礼儀としてワタシも、ジョンとの一件を言葉で打ち明けた。

 ミズ・メアリーも死の恐怖を取り除かれたパラディホムスには変わらない。しかし彼女は、リアルワールドとの交流があった。多くの"死"を見取ってきた経験は、悲しみの蓄積に他ならないものの、貴婦人を、死を理解できる数少ない強いパラディホムスにした。

「子どもの成長は早いですわね」

 聞き終えたミズ・メアリーが楽しそうに喉をならす。

「共感はしますが、笑いごとではありませんよミズ? ジョンは、進んで崖から飛び降りようと言ったのです」

「ごめんなさい。でもそれは、大げさじゃないかしら?」

 眉をひそめてみせたワタシを宥めるように、貴婦人がそっと指を立てた。

「あの子は、自分が何者であるのかを知りたいだけなのでしょう。哲学的にも、現実問題としても、ね。だれしも一度は疑問におもうものです……記憶がないなら、なおさらでしょうね」

「ワタシは思ったことありませんが」

 大真面目に答えたワタシを、貴婦人は上品に笑って「でしょうね。あなたは成長しませんもの!」と目元を拭ってみせた。

 ミズ・メアリーの言う"成長しない"は的を射ている。司書プログラムとして設計されたワタシは知識を増やせるが、"自分の一部"とはならない。

 いわば、建物と生き物の違いのようなものだ。摩天楼は高く、どこまでも積み上がるが、それを成長とは言わない。成長とは、経験を糧に自らを"変化させ続ける"ことである。

「そうか……! それなら可能かもしれない!」

 唐突に膝を打ったワタシを貴婦人が怪訝な目で見ている。

「変化を大きくすればいいんです! そうすれば彼らの判断をくぐり抜けられるかもしれません」

「すこし落ち着いてくださいな、大司書どの。その名案をわたくしにも説明していただけないかしら」

「これは失礼。つまり、こういうことです……」

 貴婦人の耳元へ口を寄せ、秘め事を伝えるように声を潜める。薔薇の香りさえ漂いそうだ。動作のすべては"ごっこ遊び"に等しくても、ワタシのコア・コードは期待に脈打っていた。

「……いかがです? このオペレーションなら成功の余地はあるかと」

 意外にも、ワタシの"作戦"を聞いたミズ・メアリーの反応は懐疑的だった。

「画期的だとはおもいますわ。ただ、それほどうまくいくでしょうか……。プログラム〈アグネィル〉の判定に"迷い"はありませんもの」

 貴婦人の言うとおり、極限まで特化したプログラムは逡巡などしない。ワタシは何度となく、気配の察知と同時に来館者が消える現場を経験してきた。

 それは憂いの表情を浮かべたミズ・メアリーも変わらない。


*   *   *


ジョンと出会った後、ワタシは真っ先にミズ・メアリーへ相談をもちかけた。彼女が幼い体格のパラディホムス(見せかけかもしれないが)と館内をまわっている姿に度々、出くわしていたからだ。

 いきさつを打ち明け、ジョンは「パラディホムスよりも人間の赤子にちかい」と言ったところ、このときも貴婦人は朗らかに笑っていた。ワタシが冗談を言ったとおもわれたらしい。

 ミズ・メアリーは考え込むように沈黙したあと、一つの可能性を口にした。

その子ジョンはもしかすると、先天的になにかの……苦痛を持っていたのかもしれませんわ」

「苦痛、ですか? 痛がっているような素振りは見えませんでしたが」

 ワタシをキッと睨んでから貴婦人は、「あなたなら不具合バグとでもおっしゃいそうなものですわ」とそっぽを向く。

「しかし、それならこちらフィルネットへ来る際に調整が施されているはずです……ああ」

 ひとり合点したワタシに、白い影のティアラがうなずいた。

「おっしゃっていたでしょう? 『ジョンはアップロードの時点で手違いがあった』と。まったく腹立たしいですわね。あのような幼子おさなごこそ、意識変換トランスコードに注意をはらわなければならないというのに」

「つまり、"元の肉体に先天的欠落があったことで"、"パラディホムスへそのまま受け継がれた"、ということですか。もしくは……」

「体側の意識がすでに目覚めない状態なのかもしれませんわね」

 引き取ったミズ・メアリーが淡々と続ける。白のオペラグローブをきつく握りしめていた。

 技術が進み、人はたいていの"不調"を克服できるようになった。意識を解析し、自己のバックアップを保存しておけるのだから、生化学的不調の調整くらい造作もない。だが依然として、発生初期の自己に関する知見はおどろくほど少ない。現世リアルワールドに生まれ出ながら、意識に目覚めない赤子は少なからずいるという。

 かつてであれば、親の取れる手段は無に等しかった。

 しかし今、フィルネットという縋りつくことのできる世界バックアップがある。この世界にわが子の意識をバックアップしておけば、あるいはいつか、と一筋の願いを込めて。

「それならなおのこと、ジョンには貴方のような母親がついてあげるべきでは……」

「お断りしますわ」

 あまりにも呆気ない返事だった。

「ザケリアスどの。わたくしたちの推測したとおりなら、その子はたいへん、ぜい弱ですわ。なにをきっかけにプログラムが……いえ、存在そのものが不安定となるかわかりません。時が限られているのなら、その望みを叶えるのが最優先ではなくって?」

「……ジョンは、無限大の好奇心が姿を取ったようなパラディホムスです」

「でしたら決まりですわね。あなたの専門なのですから」

 足早に立ち去ろうとする貴婦人の後ろ姿をおもわず呼び止める。

「しかしミズ・メアリー! 子どもには母親の存在が必要であると、どの文献にも記述されていますよ!」

「わたくしにはもう……たくさんですわ」

 ミズの白磁の頬には透明な雫が流れていた。


*   *   *

 

「……あのとき、親しくしていたパラディホムスの子に"御迎え"がくることを察していたのですか」

 問いへ答えはない。だがワタシは知っている。貴婦人の悲しみがまた一つ増えたことを。

 記憶を辿っているあいだに貴婦人はいとまを取った。「うかうかしていると、置いてけぼりにされますよ」と優雅にカーテシーし、そのままデジタルの階段を一度も振りかえらずに降りていった。貴婦人の言うとおり、うかうかしてはいられない。

「さて、隠れんぼには少々、チートかもしれませんが……」

 読者スペースの階段から腰を上げ、無限にみえる整列した白亜の書架の前に立つ。その高さは見上げても端が見えないほどだ。もっとも、"天井らしい封もない"のだが。

 開けていても大差ない目を閉じ、両の手のひらを上に向ける。

「〈わが探せし物、差し出さん〉」

 合わせ鏡よろしく、書架が左右に分裂し、ワタシの両サイドを凄まじい速度で"通り過ぎていく"。その一瞬一瞬をスナップショットできたなら、途方もない数の書物が見えただろう。人類が蓄積したあらゆる知識を格納したデータベース、〈無限なる書架インフィニタム・ブックシェルフ〉は本館の自慢だ。

「〈止まれ〉」

 動く書架が止まり、ワタシの正面で左右のペアがアコーディオンのように畳まれていく。そこにはワタシが先ほど立っていた書架とは別のスノーホワイト書架がそびえていた。

 近づいて下の段から数冊を引き抜き、努めて明るく呼びかける。

「やあ、ジョン」

 綿あめのようなぼぅっとした小さな影がプイッと、そっぽを向いた。まだ怒っているらしい。

「めぼしい本はありましたか」

「……わかんないよ。おおすぎるんだもん」

 そう言ってさらに膨れるジョン。どの本も好奇心をそそられるのだろうが、どこから手を付けたらいいのかわからなかったのだろう。

「たしかに。ここは知のアーカイヴズですから。……よければ、このザケリアスが案内します」

 ワタシが手を差し出すと、むっくりした白い影が一本の筋を、腕を無造作に載せてくる。熱の感知など必要ないはずなのに、じんわりと温かさを感じる。

「それとジョン。さっきは怒鳴ってすみませんでした」

「……うん。かくれてごめん」

 いいですよ、とうなずいたワタシを輪郭の定まらない顔が見上げる。

「何度でも探しだしますから」

 そう言うと、握り返してくる温かさを感じた。

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