第41話 脅迫
Σ
その部屋はとにかく異様だった。
四方の壁や天井、果てはタンスや床にまでも、セシリアの肖像画や写真で溢れかえっていた。
棚にはセシリアを雛形にしたぬいぐるみなどが置かれており、果ては、ベッド脇に等身大の木彫りの人形まで設えてある。
あまりに予想外の景色に、思わず声が漏れた。
前世で同級生に熱心なアイドルの追っかけや、或いは情熱的なアニメファンがいたが、彼の部屋でもこれほどのグッズはなかった。
間違いない。
ピリスを統治するラティス家の第一位皇女、暴君エリザベートは、セシリアのことを愛している。
それも生半可な好意ではない。
異常な偏愛だ。
「どうやって入り込んだのかしら」
エリザベートは睨みつけるように俺を見た。
夜中に自分の部屋に化け物が現れても、すぐに自分を取り戻し、貴族然とした振舞いをする。
内心は分からないが――さすがの胆力だ。
「企業秘密だよ」
俺は軽口を言って、肩を竦めた。
「は。冗談を言う魔物は初めて見たわ」
エリザベートはふんと鼻を鳴らし、見下げるように言った。
「もしかして、この間の玉座での出来事。あれも、あなたの仕業なのかしら」
「そうだ」
俺は素直に認めた。
「あんたに暴言を吐いたあの口の悪いエルフも俺の仲間だ」
「なるほど。つまり、セシリアのお仲間ってことね」
エリザベートは口の端を上げた。
「それで? 私に一体、何の用かしら。あの子をいじめるのはよせとでも説得に来たとか?」
「説得じゃねえ。脅迫だ」
「脅迫?」
「そうだ。あんたのせいでセシリアは辛い想いをしてきた。いいや、過去の話じゃない。このままでは、アイツはこれからも苦しむだろう。だから――もしも俺の言うことを聞かないなら、お前には相応の報いを受けてもらう」
俺は一歩、エリザベートに詰め寄った。
しかし彼女は怯えるどころか、いっそ臨むように目を細めた。
「へえ」
エリザベートは亀裂のような笑みを浮かべた。
「私を殺すのね」
「お前の返答次第だ」
俺は言って、もう一度、ぐるりを見回した。
「どうしてこんなにまで好きな相手を、あんな風に辛くあたるんだ。普通は逆ではないのか。セシリアを助けてやろうとは思わなかったのか。領主の娘たるお前が力を尽くせば、セシリアたちは不幸にならなかったはずだ」
エリザベートは「は」と鼻白んだように言った。
「どうしてって、ムカつくからに決まってるでしょ。私をフッて、オーギュストなんかと結婚の約束までしているんだから」
「なるほど。嫉妬か」
「ふざけないで。どうして私があんな田舎娘に嫉妬しなきゃいけないの」
「じゃあ、その感情は何て言えばいいんだ」
「名前など付ける必要はないわ。ただ、私のプライドを傷つけたことは罪。大罪なの。だから、セシリアには、その償いをしてもらわなきゃね」
エリザベートは歪んだ笑みを浮かべた。
そこで、俺は早々に話し合いを諦めた。
やはり、説得が通じる相手ではなさそうだった。
「端的に言うぞ」
俺は迂遠で回りくどい言い方を止めることにした。
「セシリアへの、ルードヴィヒ家への迫害を今すぐやめさせろ」
「嫌よ」
エリザベートは即答し、偏執的な笑みを湛えた。
「あの子の苦しみを見ることが、私の生きがいなんだから。あの子は生かさず殺さず、一生苦しめてやるの。私の玩具としてね」
普く下賤のものを見下すその視線。
理解の出来ない、狂った理屈。
こいつはやはり――生来の暴君だ。
「仕方ねえな」
俺は“袋”に手を入れた。
「私を殺すのかしら」
「殺しはしない。だが、“暴君エリザベート”には消えてもらう」
「……そう」
エリザベートは口を歪めた。
恐怖しているのかと思ったが、そうではなかった。
彼女は、ここに至ってもなお、嗤っていた。
「……どうした。反抗しないのか」
「しても無駄でしょう。私には、あなたを倒す術はない」
「叫べば兵士が来るだろう。命より秘密が大事か?」
「言ったでしょ。この場所が城の人間にバレるくらいなら死んだほうがまし。それに――」
エリザベートは俯くと、急に黙り込んだ。
長い間、そのままだった。
チクタクと、時計の音がする。
目をやると、セシリアの似顔絵の貼られた置時計が本棚に置かれてあった。
「私も、もう疲れたわ」
やがて、エリザベートはそう呟いた。
俺は思わず目を大きく開いた。
まるで意想外の反応だった。
「もういいわ。こうして生きていても、辛いだけだもの。怒って、怒って、怒り狂って、ただ悲しい想いをするだけだもの。私はもう怒ることに――生きることに、倦んでしまった」
エリザベートは疲弊したように俯いた。
壊れた操り人形のように、すとん、と揺り椅子に座りこむ。
なんという力のない姿。
これが、エリザベートの本性。
「……あんた、ここは秘密の場所だと言ったな」
「ええ」
「どうしてこんなに厳重に隠す必要があるんだ。たしかに領主の娘が、田舎出身の貴族にフられるのは情けないことかもしれない。しかし、こいつはそれにしたって大袈裟だ」
エリザベートはふふんとせせら笑った。
「あなた、振る舞いはずいぶんと人間らしいけれど、どうやら人間の世界の事、そんなに詳しくないのね」
「悪いな。田舎もんでね」
「この国ではね、同性愛は禁忌なの。法典に記された罪。神に背く行為だとして、見つかれば断罪される。つまり私は――」
生きているだけで罪なのよ。
エリザベートは悲しげに言い、目を伏せた。
その時、彼女の右目から、一筋の涙が流れた。
俺は思わず身を固くした。
あのエリザベートが――泣いていた。
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