第40話 エリザベート


 Σ


「ねえ、なんでアンタ私の部屋にいるのよ!」

 

 エリザベートは早々に夕食を切り上げて自室に戻ると、鏡を磨いていた掃除婦に向かってヒステリックに怒鳴り散らした。

 近くにあった化粧品や装飾品を手当たり次第に投げつける。


 女中は青ざめた表情になり、「申し訳ございません」とその場に平伏した。


「ま、まだお食事をされていると思い、鏡を磨いておりました」

「言い訳は要らないわ! 目障りだから今すぐに出ていきなさい!」


 女中は涙目になり、「すいません!」と床におでこをこすりつけた。


 彼女からすれば、言われた通りに、言われた時間だけ掃除をしていただけなのだが、そんな理屈はエリザベートには通用しない。

 虫の居所の悪いエリザベートには何を言っても無駄なのだ。

 そのことを骨身にしみて熟知している女中は、ひたすらに「申し訳ございません」とだけ繰り返しながら、這う這うの体で部屋から出て行った。


「あー、ムカつく! どいつもこいつもマジでムカつくのよ!」


 エリザベートは鼻に皺を寄せながら、豪華なベッドに飛び込んだ。

 先ほど、夕食に出てきたそら豆のスープを床に投げつけてきた。

 不味かったわけではない。

 食べたくなかったわけでもない。

 コックや給仕に粗相があったわけでもない。


 とにかく腹が立ったから、皿を投げ飛ばしたのだ。


 エリザベートは一日のほとんどを、腹を立てて過ごしている。

 何に、誰に、とかではない。

 自分以外の人間がムカついてしょうがないのだ。


 そうである。

 エリザベートは生まれてから今まで、ずっと何かに怒っていた。


 この世の人間は常に自分を苛立たせて来る。

 エリザベートはミスをする人間が嫌いだ。

 愚鈍で無能だから。

 エリザベートはミスをしない人間が嫌いだ。

 不遜で生意気だから。


 だから、毎日毎日、誰かしらに怒っている。

 怒鳴り散らすと誰も彼もへいこらと頭を下げてくる。

 そのことで、また腹が立ってくる。

  

 そういう時、エリザベートは一枚の写真を取り出す。

 それを見ると、ムカムカした気持ちが少し和らぐのだ。


 写真は初等学校時代の自分たちだ。

 幼い子供たちが3人、仲良さそうに笑いあっている。

 エリザベートとセシリア、そしてオーギュストだ。


「……どうして私の恋は実らないのかしら」


 エリザベートはそう呟き、写真を胸に抱いた。


 彼女は、セシリアとオーギュストが互いに好きあっていることを知ってた。

 そのことが、エリザベートには我慢がならなかった。

 よりにもよって、私はどうしてあんなやつを好きになったのか。

 自分には、素敵な独り身の男性が山ほど言い寄ってくるというのに。

 なぜ、自分の恋愛対象に限って、恋人がいるのだろうか。


 ――いや、そういう問題ではないか。


 考えていると、また腹が立ってきた。


 二人の仲を引き裂くことは簡単だ。

 だが、それで自分の恋が成就することは決してないだろう。

 それでは、何も解決しない。


 ならばどうすればいい?

 そんなもの、こうして独りでぐちぐち考えていてもわかるはずがない。

 だが自分には――相談相手もいない。


 どうしてよいか分からず。

 こうしてエリザベートは怒りだけを膨らませている。


 エリザベートは自らの恋心を誰にも話したことがない。

 人のものを好きになる、ということが屈辱であったし、人を統べるべき王家の人間が、人目を憚るような下賤な恋など出来ようはずもなかった。


 ……駄目だ。

 怒りが収まりそうにない。


 エリザベートは立ち上がり、徐に鏡台の方へと向かった。

 そして、ちょうど引き出しの裏についた凹凸に手をやり、思い切り手前に引いた。

 すると鏡はずずず、という音を立て、右側に1メートルほどずれ、隠し通路が現れた。


 エリザベートの“秘密部屋”だ。


 彼女はほぼ毎日、この通路の向こう側にある部屋に行っている。

 誰にも邪魔されず、そこで過ごす。

 その時だけは、心に平穏が訪れるのだ。


 秘密の室内には、愛しい人の写真や肖像画、それから幼いころに交換した手紙などがびっしりと飾られていた。

 部屋中どこを見渡しても、好きな人の顔が見れる。

 エリザベートはその想い人を模したぬいぐるみを抱きながら、揺り椅子に座った。


 ああ、癒される。


 エリザベートはぬいぐるみにキスをしながら、ニマニマと笑った。


「なるほど。こういうことか」


 と、その時である。

 すぐ近くから、聞き覚えのない声がした。


「だ、だれ!」


 エリザベートは立ち上がり、辺りを見回した。

 部屋のどこにも、姿は見えない。

 すわ賊でも侵入したかと思い、全身に鳥肌が立った。


 突然訪れた恐怖に、身を固くする。


「どこにいるの。姿を見せなさい」


 エリザベートは強い口調で言った。

 返事はなかった。

 幻聴だろうか、と彼女は刹那、そのように考えた。


 考えてみれば、ここは城の奥深く。

 賊がおいそれと入り込める場所ではない。


 エリザベートはふうと息を吐いた。

 近頃、自分でも様子がおかしいと考えていた。

 いつにも増して、感情の抑えが効かない。


 そうして再び腰を下ろそうとした、その時。


「こっちだよ、お姫様」


 もう一度、声がした。


 目をやったとき、エリザベートは心臓が止まるかと思った。

 今度は――声の主が姿を現していた。


 馬鹿な。

 さっきまで、たしかに誰もいなかったのに――


「悪いな。勝手に入らせてもらったぜ」


 甲殻類のような化け物だった。

 身体が全体的に丸く、節の付いた肢が何本もあり、頭には触覚があって――


 まるで、カナブンのようなモンスターである。


 そして奇妙なことにこのカナブン、手には傘を持っている。

 今日は雲一つない晴れであったはずだし、そもそも、傘を使う魔物など聞いたことがない。

 さらによく見ると、身体の腹の部分にポケットのような袋がついていた。


「ど、どこから入った」


 と、エリザベートは聞いた。


「堂々と、正面から入った」

「う、嘘を言いなさい!」

「本当だ。ただし、ちょっとしたカラクリはあるけどな」


 カナブンはそう言って、傘をくるりと回した。


「貴様――兵を呼ぶぞ。大人しく出ていけ」

「呼べるのか? 大層に部屋の改造までして。この部屋は、誰にも見せられないんじゃないか」


 ぐ、とエリザベートは怯んだ。


 図星であった。

 今、護衛兵をここに呼ぶわけにはいかない。

 それはすなわち、私という人間の終焉を意味する。


 ここは父すら知らない、禁断の箱部屋。

 誰にも言えない、自分の秘密が詰まっている。

 この部屋の存在が外にバレたら――私は生きてはいけないだろう。


 私の“恋”とは、そういう類のものなのだ。


「しかし、驚いたぜ」


 モンスターは、部屋を見回しながら言った。


「俺はてっきり、あんたはオーギュストのことが好きなんだと思ってた。しかし、思い違いをしていたようだ。どうやらあんたはオーギュストではなく――」


 んだな。


 正体不明のカナブンは、生意気な口調でそう言った。


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