第3話 目撃者。

「小峰審議官が直々に来てらっしゃるとは。一声頂ければこちらから出向きましたものを」


 警察署長の沼田がその背中越しに掛けた声は、僅かだが震えていた。


 皴一つない如何にも仕立ての良さが伝わる蒼いスーツの小男は、振り向きもせず不愛想に答える。


「アレが例の目撃者か?」


 小峰は小窓から接見室を覗いているのだ。


「モニター室にご案内します、あちらへ」


「ここでいい」


「……と申しますと?」


「できる限り近くで現場を感じたい。私のわがままを許せ」


「はっ。なるほどでございます。審議官はわがままでしたか!」


 何の変哲もないというワードが、沼田に埋め込まれた、何かしらのスイッチを、どうにかして押した。

 沼田の緊張感が、傾斜角度80度を誇るジェットコースター並みに急降下する。

 緊張と緩和。オンとオフ。白トリュフと黒トリュフ。旧側と新側。花子と太郎。英雄と勇者。そして、緊張と緩和。

 

 緩和する沼田はとかく緩む。

 

 それが署内でのもっぱらの評価だ。オフ専署長と揶揄する部下までいるくらいに、である。


「それではわたくしも、お言葉に甘えまして」


 自分も小窓の中を窺がおうと、見事一発で決まった縦列駐車のように自らの頬を小峰の横顔にピタッと張り付かせた。

 沼田の緩さは留まりを知らない。

 小峰に負けじと窓の視界スペースを確保しようとするものだから、その馬鹿デカい頭部全体が、密着する柔肌へ相当な圧をもたらした。


「何のつもりだ?!」


「できる限り近くで審議官を感じたい、わたくしのわがままをお許し……あの、審議官。このぷるぷるする振動はなんでございましょうか?」


 敬愛して止まない上司とがっぷり四つに、する機会など滅多にあるものではない。

 このプレシャスでグロリアスなデイズを逃さずスイートなメモリーにしようと必死にその態勢をキープしつつ、何とか震源地方向に目を向けるという成功体験を沼田は手にする。


 ――が、それはすぐに底の見えない後悔に繋がった。


 ぷるぷる震源地は、明らかに小峰の脚なのだ。


 身長の低い小峰が自らの確かな目で小窓を覗こうと必死に背伸びをしており、その負荷によって乳酸がふくらはぎにたまってしまい、筋肉が痙攣症状を引き起こしているのだ。

 専門的医学知識が皆無な沼田にもそれがすぐに理解できるくらいに震えが止まらない。


 『人生とは選択だ』


 何処かの誰かに言われた、その名言ことばが沼田の脳内を駆け巡る。

 沼田の中のリトルヌマターズ達が蠢く――


 沼田司会者「さて問題です。人事権を握る上司のぷるぷる姿を偶然にも見てしまった警察署長としての正しい振る舞いとは、一体何でしょう、か? こちらの沼田さんから順にお答えください」


 沼田A「ピンポーン! 見てない設定を持ち込む」


 沼田B「ピンポーン! 魔法で審議官の脚を15センチだけ伸ばしてみた」


 沼田C「ピンポーン! 憐れむ? じゃなくて? 祈る!」


 沼田D「ピンポーン! ……。押してみたかったんです、このピンポーン!」


 沼田E「ピンポーン! 英雄山田さんに丸投げ! 山田さーん、観てるぅ? イエーイ」


 AD沼田「どうせ、逆切れするにきまってる」




 ※ ※ ※ ※   ※ ※ ※ ※  ※ ※ ※ ※  ※ ※ ※※※ 



「尾藤君はどう思う?」


「僕の人生の目的かい?」


 瑛士と尾藤という、どこから見ても真面目な警察官にしか映えばえないふたりがいるこの部屋には、見事なあかい世界が広がっていた。


 赤ではなく、確かに紅色と表現すべきであって、腕のある職人が丁寧に染料したかのような、まるで息遣いが今にも聞こえてきそうな、瑞々しい生命力が宿っているかのような、温かみが感じられた。

 

「署長にかましちゃったんだよね」


「かますのは、嫌いじゃないよね」


「『人生とは、迫られる困難な二択の連鎖の中で起こる葛藤である』ってね」


「要は人生はめんどくせーなってことだよね」


「そうそう。それなです」


「瑛士君いいことしたね」


「だろ?」


「いいことした瑛士君を素直にいいねした僕はもっといいことしたよね?」


「うん。尾藤君はいいねに決まってる」


「どうしようか?」


「どうしようかね」


「業者さん何時にくるんだっけ?」


「15時。来週きっかりに」


「今日は来週じゃないね」


「言いますか?」


「言いますかね」


「署長と審議官が今覗かれている小窓は実はマジックミラーになっておらず、ぐるっとずるっとぬるっと全部こちらからはお見通しされています。まずは、その、容疑者と接見する部屋としての妥当性を検討して頂きたい。次に、リニューアル工事を行う際には警察の接見室らしく、赤系ではなく、どんよりとしたグレー系で纏めて欲しい。最後に、瑛士と尾藤は、英雄課への配属を希望しております。そのあたり全部ひっくるめて問題は無いでしょうか? ってね」


「おまえら見てるつもりが逆に見られてんだよ。ってことだよね」


「だね、逆に」


「逆に逆だしね」


「でも今じゃないよね」


「うん、今じゃないね」


「明日言えばいいよね」


「明後日でもいいかも」


「なんでもかんでも今を大事にする症候群ってのは結局大事な今を見落としがちだよね」


「うん、絶対そうだよ間違いなく多分ね」


 二人が口にするマグカップの隣に並んだ珈琲豆袋に載った山田さんの写真写りは満更でもなく、キラキラした微笑みを湛えている。


 闘うだけがヒーローじゃない。


 そうキャッチーなコピーが添えられている。

 こうして様々な現場の人たちに一時の安らぎを山田さんの英雄ブランド珈琲は、与えているのだ。

 

「珈琲ってつまりは、余韻だからね」


「山田さん言ってたね」


「英雄イケてたね」


「ヒーローな英雄だったね」


 そう言って、ふたりは目を閉じる。


 瑛士と尾藤は、午後の静寂にその身を委ね、英雄が生成した余韻の海を穏やかに漂った。



「俺に絡めよー!!!!!!!!!」


 突然――

 目撃者が者が吠え――

 セカイの平穏と静寂をぶち壊した。


「余韻はどこ?」瑛士と尾藤、二人の巡査が、ほぼ同時に迷惑者を視界に捕らえる。 


 椅子から立ち上がった目撃者は、殺気立って、接見室内を歩きまわる。


「壁に這いついてる偉そうなお前らもだよ!」


 目撃者が小窓に向かって●指を立てる。


「第三話のタイトル、『目撃者』となってんだろっ!! 主役は俺だ!」


※※ ※ ※ ※   ※ ※ ※ ※  ※ ※ ※ ※  ※ ※ ※※※ 




「参事官、彼は私達が見えてるそうです! どうします?! とりあえず、●指はモザイクしときます。マスコミにまた警察の不祥事と糾弾されないように」


「慌てるな。想定の範囲内でしかない」


「あ、もしかして。目撃者の透視能力を露呈させるために……」


「だとしたら、何だ?」


「アハハハハハ。目撃者が目撃していたのは、大量殺人サイコパスではなく、我々、優秀な警察関係者であったという話ですな、」


「冗談はやめろ。英雄課の私を君達と同じにするな!」


 一気に感情が昂ったのか、見開いた目は真っ赤に充血している。


「……撤回させて頂きます」


「あの部屋のボンクラどもを見てみろ。ただ一日コーヒーを飲んでくっちゃべってるだけじゃないか。よーく分かったよ、警察組織は現場から腐っていることが。ここに来て一番に気づいたのはそれだ、この何とも言えない腐敗臭だな」


 思い出したように、小峰は鼻をグシュグシュ鳴らした。


「お言葉を返すようですが、彼らは腐ってはいません! 優秀な警察官です! そこは否定される訳には決していけません」


「判断する仕事は、君には与えてないぞ」


「……」沼田はグッと唇を噛み締める。


「何をそんなに震えている?」


「小窓にも届かない低い身長のコンプレックスを克服する姿を完コピしてるんです。これが私に映るあなたの醜い姿ですよ!」


 ――その時、彼らの背中越しをピストルの銃弾が通過した。

 

 小峰と沼田は目撃者にはなれなかった。



※※ ※ ※ ※   ※ ※ ※ ※  ※ ※ ※ ※  ※ ※  ※※ 



 浮いている真っ赤な海が次第にカーペットの大地に吸収されていく様をしゃがんで観ている瑛士が、尾藤に話しかける。


「めんどくせーってそれだけで罪だよね」


「覚えておいて欲しいよね。めんどくせーには正当防衛が働くことを」


「何気に違法性阻却事由説も有力だよ」


「業者さんにカーペット掃除も頼まなきゃだね」


「料金割り増しかな?」


「業者さんがめんどくせーひとじゃないこと祈るよ」


「これ以上真っ白だったカーペットを紅くしたくないもんね」


「うん、随分と紅くなっちゃったからね」


「珈琲飲みたいよね」


「仕事の終わりには珈琲飲まなきゃだよね」


「山田さんに電話する?」


「うん。英雄イーツだね」



                           第四話につづいたり











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