第2話 とどのつまり、山田さんは店長である。
「ねえねえ、店長。見て見てこれ!」
屈託の欠片もない紺色のミニスカートから露わになる長い脚を華麗にほどくと、宇佐見
いつものことだと言わんばかりに山田さんは、淡々と珈琲ミルのハンドルを回し続ける。
惹かれたばかりの珈琲豆が、魔恋の嗅覚を刺激した。
「ミルク多めで、ハチミツ増し増しー」
上司と部下というより部活動の顧問と教え子の関係のような、幾分かの教育的配慮の色合いを含ませた言い方で、山田さんはこう切り出した。
「知ってるか?」
「知らない」
「大切なお知らせはここからな。社長が短期契約社員に至高の一杯を出すほど、我が社は福利厚生に力は入れてはいない、な?」
「『知らない』って言ってんじゃん」
「知ってくれる?」
挽きたての珈琲豆にお湯が注がれる。
無駄なく洗練された一連の所作に見惚れる魔恋は、ぷくーっと膨れる粉を真似て頬を膨らす。
「どーせ客来なくて店長暇して(る)んだから、勇者屋辞めて、カフェの店長やりなよ。毎日常連するし魔恋」
部屋を一瞥した山田さんが口を開く。
「覚えておこう。この会社にいるのは社長と派遣アルバイトだけ。店長は存在しない、な」
勇者コンサルティングビジネス社のオフィスにあるのは、――まあオフィスと言っても、超が付く程のレトロビルの4階を格安で借りているもので――とっくの昔にOSのサポートが切れた中古PC1台とソファー、そして山田さん愛用の珈琲セットだけである。
この御時世、世知辛く、余裕は無い。
残念なことに英雄もその例外にはなれず、英雄年金を廃止せよと予算委員会で顔を真っ赤にする議員の姿をニュースが連日伝えていた。
「ぎゃははッ。店長ヤバッ。また!! 逃げちゃったんだ」
「『また』は余計、な?」
誰が編集したのか、暇した迷惑な奴がいるもので、炎のランナーのテーマ曲をバックに観客席を一心不乱に全力逃走する山田さんの動画が、つい数十分前の出来事にもかかわらず、ネットに拡散されまくっているのを、魔恋は飽きもせず繰り返し観ていた。
「むしろこのチヤホヤ状態のまま楽しんじゃえばよくない?」
「良くない、よくない、よくなくない。世間様にエンターテインメントを届けるのはヒーロー氏より他に適任がいる。白々しいくらいに白い男がな……あ?」
来客を知らせる受付のベルが鳴ったのを山田さんが気づいたと同時に、――正確を期すならば、確実にそれよりも前に、――全身を眩いばかりの白色単色コーデで着飾った男が手にした珈琲カップは、既に空になっていた。
「ポン酢、相変わらず貴様の珈琲は美味い。褒めてやる」
「流石は違いの分かる悪。……ってバカ、白騎士! ノコッノコッと顔出しやがって。お前のせいでな大変な目にアッ!」
不意に押し出されるように倒れた山田さんのすぐ脇を、魔恋が駆け出す。
「パパ!」魔恋が白騎士の腕に絡みつく。
「パパ?!」
「ねえ、パパにお願いがあります」
「雇い主の俺に敬語使わないのに、身内につかうのか? イヤイヤ。待て待て待てーい! お前ら親子なのかよっ!」
神妙な面持ちの魔恋が、山田さんに向きなおして一世一代の告白をした。
「アイム ユア ドーター?」
白騎士も当然のようにそれに倣った。
「アイム ユア ファーザー?」
「イヤイヤ。俺は、お前らの父親でも子供でもない、つーか、ナゼゆえ疑問系でまとめる? なんてツッコミを期待しても無駄だ。いいか? 俺は無視するぞ。徹底的にだ。分かったか? あえてスルーするからな。あ、今のは狙ってない。結果的に結果論だ。ヒーロー氏はダジャレ好きだなんてダサい設定を後付けされてもたまらんからな。永遠のライヴァルであるお前にはしっかりとコッチ側に関する諸設定把握しておいてもらわないと、な?」
「娘がいつも世話になっているそうで。感謝したい」
まるでどうでもいいことを熱く語った英雄とは対照的に、見るからに落ち着き払った紳士的な態度でもって、白騎士はやおら姿勢を正して深々と頭を下げた。
「お? おう! お嬢様には世話になってます、な。ハハハハハ」
魔がさすように照れてしまった表情を悟られまいと、奇妙で明らかに気色悪い、作り笑いにも程がある笑顔で上書保存した。
「山田さんを店長にしてあげて欲しいんです!」
「店長にしてあげる? ふん、俺を?」
「大事な一人娘の頼み、相分かった。早速だが資料はあるか?」
「企業資料はありまーす」
人知れず秘書風コスプレ姿に変身した魔恋がますますその強調された臀部を用い、困惑する山田さんを脇においやると、ドカッと段ボール箱を床に置いた。
ピンク色のヒールに支えられた白く細長く林立する大きな隙間からは、帳簿やファイルが顔を覗かせた。
「資料??」
「法人登記はあるか」
「ネットでダウンロードした登記事項証明書を今プリントアウトしていまーす」
使えないと魔恋に散々文句ばかり言われていたPC軍団が、『いざ魔恋!』の精神でその期待に応えるかのように轟音を立て稼働する。
「魔恋ちゃんこんなに仕事できるんだ……ちょっと感動な」
あちらこちらに慌ただしく電話をする白騎士に、必要と思われる資料を的確に見せていく。
電話を終えた白騎士が、口を開いた。
「債権を全て買い取った。これでポン酢への請求連絡は止まるだろう」
複雑かつ煩雑に込み入った高度情報化セカイの中で、勝者となりうる能力を持たず、もがき苦しみ困窮するヒーロー氏として、真っ先に今為すべきは、事の理解よりも何よりも取り急ぎのお礼を伝えることだと、直感的に山田さんは考え、その通り実行に移した。
「助かる! ありがとうな。白騎士たァん!」
魔恋が見逃すはずはなかった。
「『白騎士たん』だって、ありえない」
確かに、山田さんは噛んだ。それも、大人として比較的大事な場面で。
しかし、英雄とは、自らの過ちを引き受ける勇気ある者をさすと定義すれば、山田さんは英雄であり続けることを選ぶ、逃げない男だ。
「『たん』とはチャンの最上級敬語な。知らなかったのな。魔恋たん」
英雄は、「あくまで『たん』は仕様である」ことを説明した。
「あ。まぢで
「……」
白騎士が英雄の窮地を救うかのようなタイミングで議題を変えた。
「株式も引き受けておいたぞ」
事の重要さを理解できなかった英雄がこの瞬間に唯一出来たのは、自分が課した設定を頑なに守ることだけだったことは想像に容易い。
「株って何だい? 白騎士たぁん」
「定款に従い勇者派遣コンサルティングビジネス社の株主総会開催を求める」
「はい!」元気よく返事をした魔恋は鋭角的なデザインをした黒縁メガネをワンポイントに加えていた。
「家族会議は
株主ではない山田さんは株主の白騎士親子からすれば、当然の部外者としてみなされた。
「はい、議長! 私、魔恋は代表取締役の解任の緊急動議を求めます」
「何の話しだっあ?!」ようやく事の半分を理解したように英雄が声を荒げた。
「出席株主の議決権の3分の2以上の賛成を認め、ポン酢代表取締役を解任とする」
魔恋が精一杯の拍手で賛成を表現すると、白騎士もそれに負けじと手を叩いた。
「魔物野郎ーっ、ふ、ざけんな!!」
山田さんの大声が株主総会出席者ふたりの盛大な拍手を止めた――まではよかったのだが――ことで更には議事進行が進んだ。
「次期代表取締役を魔恋とする」
「異議なし!」
「……」
「ポン酢、貴様は今日から店長だ」
「店長。……おめでとう。これで正式なリアルで店長だよ、やったあー」
魔恋は飛び跳ねる度に、天井に頭をぶつけた。というより、正しくは、天井に頭部をブっ刺していた。綺麗な顔立ちに何一つの傷をつけることなく。
「文字通り飛び上がって喜んでいる所、至極恐縮ではございますが。ここは魔界なのか? 違うだろ? そう! 『ティキュウ』だな。そんな訳の分からない魔物的やり方が、このティキュウで通じるはずがない!」
天井に頭を突き刺し、宙に浮かんだ状態のまま、魔恋は山田さんを冷静な目で見つめて呟く。
「あー、やっぱりダメだ、この英雄。違うか、人としてか」
「ポン酢が生まれたセカイは、魔法が要らない。造作もないことだ。教えてやる。ルールや秩序という
「白騎士たん、ゴメン。……英雄にも分かるように言ってもらえる? で、英雄が店長ってのは、アリ? ダサくない?」
「ダサ……」魔恋は言葉を飲み込んだ。
「それはポン酢自身が決めろ」
山田さんは代表取締役から店長に降格した。
ここで、英雄とは、今を引き受ける勇気ある者であると仮定するならば、山田さんは取締役解任という現実を引き受けることで、英雄に生まれた宿命から逃げないことを選んだ。
それも、全く悩む様子を見せることなく、パーフェクトなヒーロー像を死守したと言わんばかりに。
「英雄、店長になる! よしっと。ヤバいな。ネットニュースになるな。珈琲で乾杯だ!」
いわゆる大人な余裕を取り戻した山田さんは、そう言いながら白騎士親子に微笑みかけた。
「いらなーい」
「え、なんで?」
「店長には基本現場出てもらうことにしたの。ここはネイルサロンにするから。店長いると邪魔だし」
「はあ?」
「良かったなポン酢。英雄が引きこもってちゃ、セカイが泣くぜ」
「お前、今何か
「勝手にしろ」
相も変わらず天井に突き刺さったままの美人秘書を見上げ、ふと疑問をぶつけた。
「あのさ、白騎士の娘ってことは。魔恋ちゃんは魔物ってこと?」
「まー正確に言うとハーフなんだよねー」
「ハーフ?」
「魔物と人間のハイブリッドだ」白騎士がこれ以上の詮索を諫めるように、口を挟んだ。
「なるほどな。だからか……」
「ん?」
「何が言いたい?」
白騎士のその言葉に重ねるように、魔恋も真意を聞き出そうと、山田さんを凝視する。
「この
「……??」白騎士はただ困惑する。
「鞭じゃない、ムチムチがダサいんだ。覚えとけ。な?」
白騎士親子がお互いを黙って見る。
「英雄店長、営業に行くってよ。」
自らそう宣言した山田さんは、背中からもそれがハッキリと分かる程の、所謂ゆるふわ我儘ボディを持て余しながら元気に飛び出して行った。
英雄の背中を見つめたまま魔恋が尋ねた。
「こういう時何て言うか、知っていますか? 『お前が言うな!』って言うんです」
「お前が言うな!」
「……はい。パパ」
微妙な空気が二人を気遣うようにそっと優しく包み込んだ――その時、来客のベルがけたたましく鳴った!
「!」
二人の目の前に、真っ黒なライダースジャケットを鮮血で染めた女が立ち尽くしていた。
「英雄はいるか?」
第三話に続いたり
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