4.

第13話

 赤ずきんが気付いた時、空は既に暗くなりかけ、いくつかの星が輝き始めていた。彼女は崖の下で仰向けに倒れていた。自分が少し前に立っていたと思われる場所が、はるか彼方に見えた。暫くは意識が混乱しまともに思考も出来なかったが、自分がまだ生きているという事はおぼろげながら理解できた。少しずつ意識が回復してくると、彼女は呼吸のたびに胸が痛むのを感じた。赤ずきんは息苦しさを感じたが、大きく深呼吸をすると胸の痛みが強まるので、浅く速い呼吸をするしかなかった。赤ずきんは二三度激しくむせた。喉の奥に血痰が絡まり、口の中に鉄の味が広がった。それを吐き出す事もままならず、彼女は血痰を飲み込んだ。そうしているうちに、四肢の感覚も徐々に回復してきた。胸だけでなく全身が痛んでいた。わずかに身体を動かそうとした時、赤ずきんは自分が何か柔らかい物体の上に寝ている事に気が付いた。

赤ずきんは、少しずつ身体を動かそうとした。痛みに耐えながら、芋虫が這うようにゆっくりと手足を動かし、起き上がろうともがいた。全身が悲鳴を上げ、関節がポキポキと鳴ったが、歯を食いしばって身をもたげた。必死の思いで何とか上体を起こすと、彼女は周りを眺めた。真二つに折れた弓が彼女の目に入った。そして彼女自身はと言うと、巨大な狼の亡骸の上に座っていた。それは、赤ずきんが見た事も無いような、風車のように巨大な狼だった。彼女は状況を察した。自分はこの狼と一緒に崖から落ちたが、地面に激突した時にたまたま狼の体が自分の身体の下になっていたので、それでどうやら自分は命を取り留めたのだ。

狼の亡骸の上に座ったまま、赤ずきんはその遺体をじっくりと観察した。狼の右前肢は千切れていた。彼女の放った矢は二発とも確かに命中していた。一発目は狼の背中に刺さり、二発目は右眼窩を射抜き反対側の後頭部に突き抜けていた。特に二発目は間違いなく致命傷だった。そうでなければ、狼は赤ずきんの喉笛を噛み切っていただろう。彼女はポーチをまさぐり、例の革切れを取り出した。死んでいる狼の口を開けさせ――それは非常に力のいる作業だった――歯形を確認した。革に空いた穴は、その狼の歯形と一致した。

赤ずきんは、狼の死体をそっと触れてみた。まだほんのりと温もりが残っていた。鈍色の毛並みはブラシのようにゴワゴワとしており、所々にベトベトした血液が付着していた。彼女の心の中に、自分自身でも理解出来ない感情が生じた。赤ずきんは、狼の頭を両手で支えると、その顔をまじまじと見つめた。矢を受けていない方の目は、死してなおその威容を誇っていた。狼の王は、今や彼女の妄想ではなく、確かにそこに存在し、彼女の抱擁を無言で受け入れていた。赤ずきんは、おもむろに王の口に接吻した。獣の匂いが、彼女の鼻腔を通り抜けた。彼女自身でも自分が何をやっているのかわからなかったが、赤ずきんはそのまま三十秒ほども狼と唇を重ねていた。それは、彼女が生まれて初めて感じるリビドーだった……。

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