第8話 思案1

 自分のために用意された部屋で、ふかふかそうなベッドへうつ伏せで倒れ込む勇者アカツキ。そのまま目を瞑れば、先程までのことがまぶたの裏に想起される。


 リンゴ園、魔王ヨイヤミ、巨竜、庭園、そして猫。……今日は本当に色々あった。



 魔王ヨイヤミの提言は、ともするとまるで未来の無かった勇者アカツキにとって、乾坤一擲の機会を与えられたようなものだった。


 それまでにした庭園での会話で、彼女が花にとても造詣が深いことがわかっている。それは花屋を営んでいた勇者アカツキが舌を巻く程だった。


 花一輪に自国の命運が懸かっている。深く深く思案を巡らす勇者アカツキ。直球定番のバラでいくか、それともカスミソウのような花束なら裏方にまわるような花で攻めるか。彼女に似合う花が何なのか考えていると、ドアがノックされ、メイドがひとり台車を押しながら入ってくる。


 その瞬間ぐぅっと勇者アカツキの腹の虫が鳴く。台車から漂う芳しい匂いに反応したのだ。台車に載っていたのは遅い晩餐だった。


(そういえばリンゴ食べてから何も食べて無かった)


 と思い出し、テーブルに並べられていく肉やスープを見ていると、「にゃあ」と聴き覚えのある声が聴こえる。


 瞬間、ビクッとした勇者アカツキはベッドから飛び退き、部屋の隅に待避する。さする手には鳴き声の主によって引っ掻かれた傷があった。


「あらタソガレちゃん、ダメよ」


 おそらくメイドと一緒に入ってきただろう、そのタソガレと呼ばれる片耳の潰れたオレンジ色をした猫は、ひょいとテーブルに飛び乗ると、肉を一切れ咥えると、勇者アカツキの方へ向き直り、一瞬勝ち誇ったような顔をして、さっさと部屋から出ていってしまった。


「申し訳ございません。すぐに代わりの物を用意いたしますので、少々お待ちください」


 と言ったメイドだが、すぐには部屋から出ていかず、チラチラと勇者の方を見ている。


「な、何か?」

「いえ、勇者様は勇者なのに本当に猫が苦手なのですね」


 それだけ言ってメイドは部屋から出ていったのだった。


 顔を真っ赤にして恥じる勇者アカツキ。本来なら来客の食事に手をつけるような猫、相応の罰があってもよいようなものだが、メイドは軽く叱る程度で済ませてしまった。それもこれもあの猫が魔王ヨイヤミのペットだからだった。


 ひとりと一匹の出会いは、魔王ヨイヤミが難題を提示した直後まで遡る。



「にゃあ」


 後ろから聴こえてきた鳴き声に、勇者アカツキは反射的に馬三頭分は飛び退き、鳴き声と距離をとっていた。


 そのあまりの素早さは、魔族側にとっても今日一番の驚きだったことだろう。何せ勇者アカツキが飛び退いた先で助けを求めて抱きついたのは、魔王ヨイヤミだったのだから。


 何が起こっても即対応できるように身構えていた腹心や部下達も、まさか猫の鳴き声ひとつで、自分達の首魁の身を抑えられるとは思っていなかった。


 即対処しようと動き出す周りを、片手ひとつ挙げただけで制止する魔王ヨイヤミ。その顔はことの成り行きを見届けようとニヤニヤしている。何せ勇者アカツキは、今にもその首が飛ばされていてもおかしくないこの状況で、いまだに猫一匹だけに注視していたからだ。おそらく自分が今、魔王ヨイヤミに抱きついていることにも気付いていないのだろう。猫が段々と近づいて来るほどに、勇者アカツキの魔王ヨイヤミを抱きしめる力が強くなっていく。


 が、それも猫が馬一頭分近づいて来るまでのこと。猫がそれ以上近づいて来ると、それと等間隔で距離をとるように、勇者アカツキは魔王ヨイヤミから遠ざかっていく。少しだけ残念そうな顔をする魔王ヨイヤミの膝に、そのオレンジ色の猫がひょいと飛び乗る。


「私の猫のタソガレが、どうかしたのかい? 顔が真っ青じゃないか」


 魔王ヨイヤミがイタズラッ子のような顔で勇者アカツキを見遣る。


「ね、猫はダメなんです! 昔、野良猫にエサをあげようとして咬まれて以来、猫はダメなんです!」


 悲鳴のような声を上げる勇者アカツキ。その言に魔王ヨイヤミは笑みを深める。


「しかし困ったな。言うことも言ったし退室したいんたが、猫が邪魔で立ち上がることもできない」


 まるで「自分の膝の上から猫をどかして欲しい」とでも言いたげに勇者アカツキを見遣る魔王ヨイヤミ。


「どかせばいいじゃないですか!」

「したいのはヤマヤマなんだが、我々魔族は力が強すぎてな」


 憐れむような視線を自身の膝の上へ向ける魔王ヨイヤミ。つられて勇者アカツキがオレンジ色の猫を見れば、片耳が潰れている。煩悶とする勇者アカツキ。



「あの甘さがいけなかったんだ……」


 肉が片されたテーブル前の椅子に座りながら、勇者アカツキは猫に引っ掻かれた傷をさする。


「今度からは周りに猫がいないか、しっかり左右確認しないと……」


 いつの間にやら思案の方向が花から猫に代わっていた。

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