第102話 僕が心を奪われたこの曲で

 僕がギターをやめる切っ掛けになったアン・メイヤー。


 そして僕がギターを再開する切っ掛けになった衣織。


 いまここに2人がいて、僕を音楽のパートナーとして奪い合っている。



 

 実に感慨深い。




 ……でも2人は知らない。


 僕がアンに自信を刈り取られギターをやめたことを。


 僕が衣織の歌でギターを再開したことを。


「アン、私が先行でいいのかしら?」


「問題ないわ」




 ……僕は決めていた。


「衣織、この曲で行きたい」


 衣織がゆっくりと頷く。


 僕がチョイスしたのはSNSで心を奪われ、衣織とはじめてセッションした曲。


 全てはこの曲から始まった。


 今の僕があるのはこの曲があったからだ。


 だから、もしアンと勝負する機会があるとしたら、この曲でと心に決めていた。まあこの後、アンのパートナーとして衣織とも勝負することになるのだが、それはいいだろう。



 ——僕は演奏を開始した。


 この曲のイントロはシンプルにアレンジした。


 シンプルなアレンジゆえに感情を込めやすい。


 そして、技術的にもゆとりがあるため大胆な表現ができる。


 だから衣織の歌が入るまでのプロローグを十二分に演出することができる。



 そして衣織の歌が入る。


 相変わらず心に響く歌声だ。


 ……しかし、これは?!


 今日の衣織の歌はいつもと違った。ガツンとくるなんてレベルじゃない。


 ダメだ、いつも通りの演奏じゃ今日の衣織はおさまらない……。


 衣織が僕にアイコンタクトを送る。


 もっと僕にも解放しろと言いたいのか?


 こんなお上品な演奏じゃダメだって言いたいのか?


 僕とも勝負したいと言うのか?


 こんなにアグレッシブな衣織は初めてだ。


 ……なら、誘いに乗ってやるよ衣織!


 衣織に乗せられるがままに、旋律を奏でる。高揚感がハンパない……なんだこの気分は……僕自身記憶にないぐらいギターに激情がこもる。


 小節が進めば進むほど新しい世界が広がる。


 衣織はそんな僕のギターに満足そうに微笑む。


 完全に場の空気を衣織が支配した。


 これが圧倒的な『華』というやつだ……。

 

 もしアンに敗れなかったら、もし愛夏にフラれていなかったら、今の衣織との関係はなかった。


 全てがこの時のために紡がれた運命だったとしても、僕はそれを受け入れる。




 衣織の歌は今尚、僕の心を奪い続けているのだから。




 ——そして、ツーコーラス目で事件は起きた。


 なんと僕と衣織の演奏にアンが介入してきたのだ。


 この仕上がった空間に介入するだけあってアンのプレイは圧巻だった。


 シンプルな曲とは言え、初見で完璧にアンサンブルに溶け込んでいた。


 僕は今が最高のプレイだと思っていた。


 だが、アンの介入によりそれは塗り替えられた。


 2人では手の届かなかった領域にアンがいざなう。


 2人だけの演奏とはまた違う高揚感が僕を包む。


 ヤバイ……楽しい……。


 僕は今、最高にスリリングな時間を過ごしている。


 


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