第55話 彼女の部屋

 僕は衣織が部屋着に着替えてくるのをスタジオで待っていた。


 スタジオのある自宅……羨ましい。


 窪田家は音楽をやるなら最高に恵まれた環境だ。


 恵まれ過ぎて結果が出せないとプレッシャーに感じてしまうやつだ。


 でも、学さんも佳織さんも衣織に音楽を強要している様子はない。


 家族のコミュニケーションの一環として、音楽がある。そんな感じだった。


 羨ましい……。


 大切なことだから二回言ってしまった。


「お待たせ鳴」


 キャミソールにコーディガンを羽織り下はホットパンツ。僕のハートもホットになるコーデだ。


「なによ、じろじろ見て……恥ずかしいじゃない……」


「あ……ごめん、あまりにもその……か、可愛くて」


「もう!」


 お互いに赤面してしまった。


 そして衣織は小さな声で「ありがと」と言った。ここは難聴系主人公になりきった。


 リビングではお約束のように二人に冷やかされた。

 

 リビングの階段を上がって右手に進むと衣織の部屋だ。


 いったいどんな部屋なのだろうか?


 もっと親密になれるだろうか?


 もしかしてキス……ぐらいは……。


 僕の胸は期待にはち切れんばかりだった。




 ——衣織の部屋は、とてもシンプルでミニマリズム全開だった。


 ベッドにデスク、木目のテーブル。壁にかけられたアコギ。


 モデルルームのようだ。


 そして、衣織のニオイ……良いニオイだ。

 

「適当に座って」


「は……はい」


 言われた通り、適当に座った。


 今日に関しては話題に事欠かない。セッションのこと、浮気疑惑のこと、先生のこと。


 そして、さっきの結婚前提のこと……。




 でもここはやっぱり、結婚前提の話からだ。


 ほかの話をしていても、きっとこのことが気になって上の空になる。


「衣織、その……結婚前提って話だけど……」


「……うん」


「衣織が嫌じゃなかったら……」


 違うな……僕の気持ちを伝えるんだ。


「いや、僕は結婚前提で衣織と付き合いたいと思ってる。まだ高校生だし、どんな大人になるか分からないけど……」


 重いかもしれないが、行き着くのはそこだ。


「鳴……パパに言われたからって、無理してない?」


「してないよ、まだ日は浅いけど僕は衣織を……その」


「なによ、はっきり言いなさいよ」


「あ……愛してる。誰よりも愛してる」


「ありがとう」


 満面の笑みいただきました。可愛い。



「だからさ……結婚したいと思うのは当然なんだよ」


「鳴……」


 いい雰囲気だ。


 これはキス……いける!


「衣織……」


 僕は勇気を振り絞り、衣織にキスをせまった。


「いいよ……」


「衣織、鳴くん、夕飯どうする!」


 ノックもせずに佳織さんが入ってきた。


「あ……ごめんね! お邪魔だったわね!」


 衣織と2人でその場を取り繕ったが、すでに佳織さんはいなかった。


 その後、バツが悪くなった僕たちは、モジモジしているだけで結局キスはおあずけになった。




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