第22話 きっと今の私は、世界一幸せな編集者だ。

 私――花園はなぞの美咲みさきも、編集者として、着実にキャリアアップを積んできた。

 袖野そでの白雪しらゆきに関してはまあ、もともと売れっ子作家だったのだが、私との恋愛体験を通じてさらに繊細で甘くて切なくて、何よりリアリティのある描写表現ができるようになり、彼女の小説はさらに売上を伸ばしていた。

 もうひとりの担当作家である高校生作家の松井まつい光一こういちも、新作の恋に破れた男性を描いた切ない恋愛小説はかなり真に迫った描写力で一定の評価を得ていた。

 ……まあ、その破れた初恋、もとはといえば私が松井くんをフッたことに起因するのだけれど。

 まあとにかく、担当している作家たちは順調に売上を伸ばしているし、そろそろ『新米編集者』の肩書を返上してもいいのでは? ふふーん! と私は思っているのであるが、編集長や明神みょうじん風春かぜはる先輩にそんなことを言ったら「いや、君はまだまだひよっこだよ」と笑われてしまうだろう。

 そりゃ、私はまだ明神先輩みたいに、一度に五人もの作家の面倒を見るなんて到底出来ないだろうけど……。

 さて、以前松井くんに「大学に行ってみたい」と相談された私は、松井くんとそのご両親を囲んで面談を行っていた。

「そもそも、松井くんは大学に行って何をしたい? 何を勉強したいの?」

「うーん、とにかく外の世界を知りたいという思いが先行してて、あんまり具体的なビジョンはないかも……」

「おいおい、大学の学費だって結構なものなんだぞ?」

 松井くんのお父様は、その言葉のわりには怒っている様子はなく、むしろ苦笑に近い。

「また大学で問題があって引きこもりに戻られても困るしね」

 お母様も心配そうに言っていて、思いやりのある家庭なんだな、と思う。

「外の世界を知りたいなら、まずはバイトから始めてみるとか?」

「うちの高校、バイト禁止なんですけど、大丈夫なんですかね?」

 通ってもいない高校の校則に従う必要はあるのかという疑問はあるが、松井くんはそのへん生真面目だった。

「私は光一がもう高校に通わないって言うなら中退してもいいと思うんだけど、お父さんどう思う?」

「そうだなあ。通わない高校の学費を払い続けるのもバカバカしいしな」

「え? い、いいの?」

 松井くんはご両親の言葉に目を丸くする。

「だって、小説家になりたいって夢、もう叶ったじゃない。これ以上いじめに耐えてまで無理して高校に行く必要なんてないわよ。ねえ、お父さん?」

「高卒の資格を取りたいなら、今の時代色んな方法がある。大学に行くかどうか考えるのは、それからでもいいんじゃないか?」

「いじめっ子への制裁は、我々の出版社の顧問弁護士にお任せください。慰謝料をふんだくって、小説の取材費の足しにでもしましょう」

「みんな……ありがとう、ございます」

 松井くんは泣くのを我慢しているような表情を浮かべていた。

「じゃあ高校なんてやめちゃって、まずはバイトで外の世界を勉強するってことでいいのかしら?」松井くんのお母様は小首をかしげながら言う。

「高校をやめるかどうかは親御さんに任せるとして……バイトでも社会勉強になりますし、職種によっては小説のネタにもなりますからね。ひとまずその方向でいいと思います。あ、もちろんバイトに気を取られて小説の執筆がおろそかにならないように気をつけてくださいね」

「わかってます」

 松井くんは今後の方向を決めることが出来て安堵したのか、力強くうなずいた。

「そうだ、あのコンテストに出した小説の続きが浮かんだんです」

 そう言って、私と一緒に自室に戻った松井くんは、パソコンを開いてテキストエディタに打ち込んだプロットを見せてくれた。

 異世界に転移し、獣人の仲間たちとともに一度は戦乱の世を終結させた主人公だったが、未だに元の世界に帰れない。そこへ、新たな黒幕が暗躍し、世界は再び戦火に包まれる。そこで主人公が黒幕を打倒しようと再び仲間たちと立ち上がる――というストーリーだ。

「あれ? 主人公はコンテスト作品の時点では元の世界に帰ってましたけど」

「え? ――あ、本当だ。うっかりしてた。じゃあ、主人公は救世主としてもう一度喚ばれたことにして……」

 松井くんは慌ててプロットの一部を書き直す。

 作家は自分の創った作品の内容を、案外覚えていないものである。だから話が長くなってくると、だんだん設定に矛盾が生じたり綻びが出てくることがある。

「私にプロットを見せてくれてよかったですよ。本編を書き始めてたら、修正大変だったでしょうし」

「本当ですね。書いてる本人は気づかないものだなあ」

「編集者には読者目線で作家の作品を見る目も必要ですからね」

 私は自分の片目を指差して微笑む。

「さしずめ、花園さんは僕の読者第一号、ですか」

「あ、言おうと思ってたこと言われちゃった」

 そうして、二人で笑うのであった。


 家に帰ると、白雪さんが玄関でいきなり駆け寄ってきて抱きついてきた。

「わ、どうしたんですか白雪さん」

「今すぐネットニュースを見てください」

 かろうじて靴を脱いだ私の手を引いて、白雪さんは私を執筆部屋へと引っ張っていく。

 開かれたパソコンには、動画サイトが開かれていて、テレビのニュースの切り抜き動画が流れている。

『――次のニュースです。国会で〇〇党が新たに同性間の婚姻について、婚姻関係を可能にする法案を提出しました。この法案が可決されれば、同性同士の結婚が可能になり、今まで行使できなかった夫婦間での権利の主張などが可能になります』

「〇〇党、というと――」

「父の所属する政党です」

 どうやら私の提案通り、同性間の婚姻を可能にする法案を提案したらしい。

 同性愛については今の時代でも賛否両論あるものの、同性同士で夫婦になり、婚姻している間柄同士での権利行使――つまりは遺産相続とか、どちらかが事故などで面会謝絶になったとき、『家族』として病室に見舞いに行けるとか、そういった事ができるようになる。

 まだ法案が提出された段階で、他にも優先して審議しなければならない法案もたくさんあるので、この法案が可決されるかどうかもわからないのだが、もし可決されれば私達は『夫婦』であり『家族』になれる。私達は動画を見ながら手を取り合って喜んだ。

「お父様もたまにはいいことをするものですね」

 などと憎まれ口を叩く白雪さんも、口は笑っている。

 ネット上でも、「あの時代遅れな法案ばっかり提案してた爺さんに何があったんだ!?」と驚愕の声で持ちきりである。皆思うことは同じであった。

 まだ法案を提出しただけなのに、私はすっかり幸せに包まれてしまった。

 憧れの小説家で、今は恋人の白雪さんと夫婦になれる。家族になれる。そんな幸せなことがあっていいのだろうか。罰が当たりはしないか。

 ――ああ、幸せですね。

 それはどちらの台詞だったのか。あるいは二人同時につぶやいたのか。

 とにかく、私達は涙を流しながら笑っていたのであった――。


〈続く〉

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