第17話 エゴサだけは絶対にするな

 担当している恋愛小説家であり恋人でもある袖野そでの白雪しらゆきとの一夜を終え、有給をしばらく満喫した私――花園はなぞの美咲みさきは、久しぶりに担当している新人作家、松井まつい光一こういちの自宅を訪れた。

「ご無沙汰しております。新作小説は捗っていますか?」

 しかし、松井くんは私が有給を取る前に比べると暗く沈んだ雰囲気だった。何かあったな、と察する。

「何かお悩みですか?」

「ああ、いえ……僕の自業自得っていうか……」

「?」

 言っている意味がわからず首を傾げると、松井くんはぽつりぽつりと私が休んでいる間の出来事を話し始める。

「僕、自分の書いた小説が書籍化されて、舞い上がって……評判が気になったので、ネットで自分の名前を調べたんです」

 いわゆるエゴサというやつだ。嫌な予感がする。

「そしたら、ネット掲示板で酷評されて、叩かれてて……『コイツの小説つまらん』とか『引きこもりのくせに書籍化されて調子に乗ってる』とか……」

 嫌な予感、的中。

 松井くんは話しながら、悲しそうに顔を歪める。

「それは……辛かったですね……。ごめんなさい、そんな大事な時に、傍にいられなくて」

「あ、いえ! 花園さんは有給消化しなきゃいけなかったわけだし……」

 松井くんは慌てて両手をブンブン振る。

「でも、アンチって誰でも叩くわけじゃないんですよ。こう言っちゃなんですけど、人気度の指標とも受け取れるというか……アンチがついた分、目に見えないだけでファンも増えたはずです」

「そう……なのかな……」

 松井くんは納得しかねるのか、眉尻を下げたままうつむく。

「それにね、この世から虐めが無くならないのと同じように、ネットからアンチが消えることもないと思うんです。なぜなら、人間は誰しも『誰かを攻撃したい、傷つけたい』という欲望を持っているから」

 普通のマトモな人間はそれをスポーツや格闘技、趣味なんかで発散するけど、それらがない人間はネットでそれを吐き出すしかない。

「そう考えると……アンチの人って可哀想ですね……僕みたいに小説を書いたりも出来ないのか……」

「小説を書くのって一種の才能というか、ある程度の文章力とか技量が必要になってきますからね。松井くんは実はすごい人なんですよ」

 そう言って、私は松井くんを元気づけるようにニッコリと笑いかける。

「まあ、これに懲りたらもうエゴサはしないほうがいいですよ。たいていロクなのが引っかかりませんから」

「そうですね……小説を書くモチベーションも下がるし……」

「そうそう。アンチなんて成功者の足を引っ張りたいだけの愉快犯なんですから、相手にするだけ無駄なんです」

 私は松井くんを安心させたくて、その背中を優しくポンポンと叩く。

「それで、新作小説もしかして進まなかった……?」

「ご、ごめんなさい……。アンチコメが心に引っかかって、上手く書けなくて……」

 松井くんは今にも泣きそうな顔をしている。

「しょうがないですよ。まだ急ぐほどでもないから、まずは心のケアから始めましょう。アンチを気にするな、なんて難しいでしょうけど、松井くんを応援してくれる人もいるんですよ」

 私はバッグの中のファイルを取り出す。こんなことになるとは予想していなかったが、持ってきておいてよかった。

「それは……?」

「松井くんへのファンレターです。小説を発表したばかりなのに、もうお手紙を書いてくれる人がいるってすごいですよね」

 もちろんファンレターの中身や内容は私がすべてチェックして、ポジティブな内容のものだけ持ってきている。

「わぁ……」

 松井くんはしばらく黙って手紙を読んでいた。

「……すごいな。僕の小説を隅々まで読んで、細かく感想を書いてくれてる人もいる」

「ね、すごいですよね。便箋を何枚も使って、しかも直筆で」

「僕なんかのために、時間や手間を割いてくれる人も世の中にはいるんですね」

「『なんか』じゃないですよ。作品を発表してファンがついた以上、松井くんはそのファンにとっては神様みたいなものなんだから」

「な、なんかそう言われるとプレッシャー……」

「大丈夫。松井くんはこれからも小説を書き続ければいいだけですよ。作品を発表し続けてさえいれば、こうやって小説家になる夢も叶ったんだから」

 松井くんのような真っ直ぐな男の子なら、きっと素晴らしい作品を書いてくれる。私はそう信じている。

「……よし」

 松井くんは何かを決意したような真剣な顔つきでパソコンを開いて、小説のプロットを書き始めた。

 私はその様子を、微笑みながら見守るのであった。


「エゴサ、ですか。アレは本当にやるべきではないですね」

 風呂上がりの浴衣姿で晩酌しながら袖野先生が呟くようにこぼす。

「先生も経験あるんですか?」

「まさか。自分から傷つきに行くほど、わたくしに精神的自傷癖はありません」

 先生は静かに首を横に振る。

「陰で何を言われようと、見なければ存在しないのと同じ。わたくしはただ作品を作り続けるのみです」

「先生、かっこいい……」

 めちゃくちゃストイックだ……。

「あら、惚れ直しましたか?」

「それはもう」

「……そう純粋な目で見られると反応に困りますね……」

 先生は逆に恥ずかしくなってきたらしく、そっと目をそらす。

「まあ、その松井くんとかいう少年も、自分の作品が叩かれているなどと想像していないなんて、まだまだ青いですね」

 などと、先生は憎まれ口を叩いた。

「も~、先生ったらそんなこと言って。先生にだって青かった時代があったでしょう? 黒歴史のひとつやふたつ、あるんじゃないですか?」

「あるとして、わたくしが自ら教えるとでも?」

「ですよね~」

「まあ、とにかく、その少年がまた新作を書けるようになったなら良いことです。美咲さんはえらいですね」

 先生はそう言って、えらいえらいと言いながら私の頭を撫でる。うん、これ先生酔ってるな。

「とりあえずお布団敷きますので、先生は水でも飲んでてください」

「あらあら、美咲さんったら積極的」

「そういう意味じゃないです」

 酔っ払いには何を言っても無駄である。

 しかし今回の酔い方は色気を感じる。以前感じていた妖艶な雰囲気の袖野先生、久々に見た気がするな。

「美咲さん、お布団は一組でいいですよ……?」

「い、いや、私は自分の部屋で寝るんで……」

「あら、美咲さんの部屋で、というのも乙なものですね」

「ええい、この酔っぱらいは!」

 そもそも私の部屋のベッドは『そういうこと』が出来るほど広くない。いや、そういう問題じゃない。

「あ、そ、そうだ。先生へのファンレターも編集部から持ち帰ってきたので、よかったら布団敷いてる間に読んでみてください!」

「あら、ファンレター? 嬉しいですね」

 私はバッグを引っ張り出してファイルから先生宛のファンレターを渡す。

 デビューしたばかりの松井くんとは比べ物にならないほどの手紙の量だったが、私が全部チェックしてある。

 ニコニコしながら手紙を読む先生を置いて、私は先生の部屋に布団を敷く。

 先生の私室は執筆部屋のすぐ隣、ふすまを開ければもうそこである。着替えるときもそこで行っている。

 鏡台や桐たんす、書き物机など和風な調度品で統一されている。書き物机の上には、布団でまどろんでいるときに思いついたネタを書き留めたらしいメモがあるが、なんと書いてあるのかは寝ぼけていたのか文字が解読できない。

 布団を敷いて食堂に戻ると、先生は手紙を手に持ったままウトウトしている。

「ほら、先生。お休みの準備ができましたよ」

「うーん……もうお腹いっぱい……」

「そうですね、さっきまで食べてましたからね」

 こんな古典的な寝言喋る人、いるんだ……。

 先生の手から破れないようにそっと手紙を取り上げて、先生の身体を支えながら布団に横たえる。

「おやすみなさい、せんせ――」

「――いかないで」

 突然グッと左手首を掴まれる。自分の左手を見るとペアリングが光っていて、何も言えなくなった。

「……お願い、横で寝てるだけでいいので……」

「……やれやれ、先生は甘えん坊なんだから」

 私は既にパジャマを着ていたので、そのまま布団に滑り込む。

 先生はそのままギュッと私の腕を抱きしめる。

「大丈夫ですよ、先生を独りにはしませんよ」

 私はそうつぶやきながら、先生のサラサラの髪を撫でた。


〈続く〉

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