第16話 デートの続きを貴女と
新米編集者の私――
袖野先生のほうは何の問題もなく、順風満帆である。特に私への恋愛感情を理解するようになってから、彼女の書く恋愛小説はますます磨きがかかり、多くのファンと評価を獲得していた。
松井くんのほうも、打ち合わせと作品の手直しを繰り返し、とうとう彼の小説が書籍として出版される運びとなった。おまけに、小説専門雑誌やニュース番組の取材やインタビューまで申し込みが来た。
『引きこもり高校生作家、小説コンテストで入賞』『不登校の高校生作家、小説デビュー』など、見出しが少々引っかかるところはあったが、松井くんは特に気にせず「事実ですから」と取材に応じた。
失礼な質問が飛んでこないように、私も目を光らせていたが、案外和気あいあいとした和やかな雰囲気であった。もちろんいじめられていたことや不登校、引きこもりになった理由なども当然訊かれることになるのだが、松井くんは落ち着いた様子で淡々と答える。
その後、取材を申し込んできた雑誌やニュースをチェックしたが、特に問題はなかったように思う。もし妙な編集の仕方をしていたら、うちの出版社の専属弁護士が牙を剥いていたところだ。
「小説出版、おめでとうございます、松井先生」
「は、花園さん、『先生』はやめてください、恥ずかしいです」
松井くんの自宅の居間では、松井くんのデビューを祝ってホールケーキが用意されていた。両親も祝福していて、ニコニコ笑っている。もちろん飼い猫のブルーノも猫用のケーキを用意されている。
「あら、作家になったんだから、先生は先生でしょ?」
「急に呼び名なんて変えなくていいですよ。僕は花園さんには『松井くん』って呼ばれたほうが落ち着きます」
「あらそう? じゃあ松井くんで」
そうして私と松井くん、松井くんのご家族はジュースで乾杯した。
ひとまず松井くんに関しては一段落ついた、といったところだ。
小説の売れ行きをしばらく様子見して、売上が好調なようなら続きを書いてもらって二巻が出るかもしれない。
続きが出なくても、新作小説を書くことになるだろう。松井くんのデビュー作を見る限り、彼の創造力は眼を見張るものがある。彼ならきっとこれからも面白い作品を書けるだろう。
というわけで、新作小説の執筆を頼むと同時に、そろそろ有給を消化しなくてはならないので、しばらく松井くんのお家を訪問するのはお休みすると伝えた。
松井くんは心なしか寂しそうな顔をしていたが、とりあえず了承はしてくれた。
「袖野先生、明日のご予定は空いていますか?」
「わたくしの予定は美咲さんも把握しているでしょう?」
袖野先生と私、二人で暮らしている家。
私は洗濯物をたたみながら先生に話しかけ、先生はパソコンのキーボードを叩きながら応じる。いつもの風景だ。
袖野先生は速筆で有名である。多少予定が詰まっていてもすぐに小説を書き上げてしまうので、実質彼女の予定はほぼ常に空いている。
「私、明日から有給を消化しなくちゃならないんですよ」
「会社勤めの方は有給があるのがいいですよね」
小説家はいわゆる自営業なので、有給はないが、しかし自分の都合で自由に休めるだろうに。
まあそれはおいといて。
「明日、こないだのデートの続きをしませんか?」
前回のデートは恋愛感情を突然理解し混乱した先生により途中で中断されてそのままだった。
その後、私達は二人の愛情を確認しあい、こうして同居という関係にまで至ったのである。
「……いいですよ。あの動物園から、またやり直しましょう」
こちらを向かない先生の耳が、若干赤い気がする。
前回のデートでは妖艶な雰囲気をまとった先生のほうが優位であったが、最近は私の方から積極的にアプローチをかけ、立場が逆転しつつあった。
おそらく同居しなければ、先生の可愛い一面には気づけなかったかもしれない。
まあそういうわけで、明日、先生とデートをする約束をとりつけたのであった。
翌日。
平日の午前、私達はあの日のようにガラガラの電車に揺られていた。
動物園は街の郊外にある。電車でも少し時間がかかる。
先生と何か世間話でもしている間に着くだろうか、と思っていると、不意に座席に置いた手に、先生の手が重なった。
先生の顔を覗き込むと、先生の視線は手に向けられたまま、しばらく私の手の甲を撫でていた。
そうして私達はしばらく無言のまま、動物園のある駅で電車を降りた。
動物園では、先生がよほど気に入ったのか、また鳥のコーナーでしばらくカラフルな鳥を眺めたり、写真を撮ったりしていた。
それと、この動物園にはユニークなコーナーがある。『ヒト(ホモ・サピエンス)』と書かれた看板の掲げられた、空っぽの檻があるのだ。
その檻の中には自由に入ることが出来て、連れ合いがいれば写真を撮ってもらうことで楽しむコーナーである。つまりは自分たちが動物園の見世物になるわけだ。
「美咲さん、ちょっと入ってみてくださいな」と先生に言われ、私も乗り気で檻に入る。
先生にスマホで写真を撮ってもらって、二人で撮った写真を見て笑った。『ヒト』の看板がなければ、完全に刑務所である。
あの飲食店に入ったが、まだお昼前なのでそんなにお腹は空いていない。私達はペンギンの焼印が入ったパンケーキを二つ注文した。
先生は生クリームがたっぷり乗せられた皿を見てごきげんである。彼女は甘党なのだ。
「美咲さん、このあとはどこへ連れて行ってくださるんですか?」
前回のデートではここまでだった。ここから先が、デートプランの続きになる。
――もともとこのデートは、袖野先生に男女のカップルを観察させて恋愛感情を学ばせるためのものだったが、先生がすでに恋愛感情を理解した今は違う。正真正銘、『私と先生』のためのデートだ。
先生と手をつなぎ、また電車に乗る。動物園のある駅より更に奥へ電車を進ませると、テーマパークがある。
先生はテーマパークへ来たのは初めてらしく、闇色の瞳が星のまたたく夜空のように輝いた。
……先生の家は躾が厳しかったと聞いているし、きっと連れてきてもらったことがないのだろう。
「先生、ここではお客さんみんなが童心に帰って遊べるところなんですよ」
「童心に……?」
「先生も、子供に戻って一緒に遊びましょう」
そう言って、先生の手を引く。
キャラクターのキグルミがお出迎えをしてくれて、一緒に写真撮影をしたり、アトラクションに乗って思い切り叫んだり。
手を繋ぎながらパーク内を歩いていると、不意に先生が店の前で立ち止まった。
どうやら、カップルや友人同士向けのペアリングを作ってくれる工房らしい。
「入ってみますか?」
と訊ねると、先生は恥ずかしそうにコクンとうなずいた。
店に入って商品を見てみると、様々なデザインのペアリングがショーケースの中に並んでいた。
「ペアリングの作成ですね! お友達ですか?」
まあそんなところです、と言いかけると、「いえ、恋人です」と先生が言った。
先生……正直ィ……。
しかし、店員は慣れているらしく、「あら、素敵なカップルですね」とにっこり笑っていた。それを見て安堵する、と同時に、「友達」でごまかそうとした自分の不誠実さが恥ずかしい。
指のサイズを測ってもらい、デザインを選んでペアリングを作ってもらった。二人で左手の薬指に自然とはめていた。
……現在の日本の法律では、同性同士の結婚は認められていない。
それでも、結婚できなくても、この証さえあれば繋がりは感じられる。
少々、テーマパークに長居しすぎた。光り輝くパレードを見る頃にはもう宵闇が迫っていた。
私達はパーク内のホテルに泊まることにした。平日で、何もない日のおかげで、なんとか宿は取れた。
部屋に入ってドアを閉めると、どちらともなく自然にキスしていた。
しかしキスというのはこんなに難しいものなのか。初めてなので鼻がぶつかったり歯がぶつかったりする。「初めてのキスはレモン味」というのはこういう失敗が多いからとは聞くが。
「先生、恋愛小説でキスシーンも書くくせにキス下手なんですね」
と煽ると、
「文章ではなんとでも書けますからね」
とさらに深く、噛み付くようなキスをする。
お互いだんだんコツがわかってきて、唇を離したときにはどちらのものともいえぬ銀の糸が引いていた。
先生は頬を上気させ、少し息が上がっていた。おそらくは私も同じ状態なのだろう。
「子供に戻ろうって言いましたのに、美咲さんは嘘つきですね」
「だって私達、もう大人ですから」
袖野先生を優しくベッドに押し倒す。
「いつか見たレズビアン物のAV、『取材』の成果を見せていただきましょうか、先生?」
AVを教科書代わりとか男子中学生かよ、と小馬鹿にしたものだが、まあアレは視聴者の性欲を煽るためにわざと激しくしているだけであって、やり方自体は間違ってない、はず。
袖野白雪は、子猫のように可愛らしかった。
〈続く〉
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