第18話 華麗なる袖野の一族
私――
ちなみに自分の名誉のために言っておくが、私は決して仕事をサボっているわけではない。作家の原稿が仕上がるのを待つのも編集者の仕事である。
「誰かしら」
「あ、私が出ますよ、先生」
客人の来訪に立ち上がりかけた袖野先生を手で制して、私は玄関まで早足で歩く。なにせ家自体が広い。
「はい、どちら様でしょうか」
「おや、あなたは――?」
男の人が一人、玄関前に立っていた。
一瞬セールスマンかと思ったが、そういうわけでもないらしい。
その男の着ている服は会社員のスーツというより、執事服のように見えたからである。
「私は袖野先生の担当編集者ですが」
「ふむ、ではこちらが白雪お嬢様のお宅で間違いなさそうですな。袖野白雪様はご在宅ですか?」
お、お嬢様……?
なんとなく嫌な予感がした。
「――
背後から声がして、振り向くと袖野先生が立っていた。
「白雪お嬢様、ご無沙汰しております。お元気そうで何よりでございます」
「質問に答えなさい、高城」
慇懃にうやうやしくお辞儀をする、高城と呼ばれた男に、先生は硬い声音を出す。
「お祖父様は私がここに住んでいることを誰にも漏らさなかったはず。どこから情報が漏れたのです?」
「ええ、ええ、お祖父様――大旦那様が、お嬢様を匿っていたとは盲点でした。探すのに時間がかかってしまいましたよ」
高城は芝居がかった大げさな動きで両手を広げる。
「実はとある女性がSNSで『街コンで袖野白雪先生に出会えた!』と写真付きで投稿していましてね? そこから調べればあとはもう簡単です」
街コン。以前私が袖野先生を誘って行ったことがある。
――もしかして、先生があまり雑誌などの写真に写りたがらないのは、「写真を残したくない」と過去に本人が言っていたが、本当は袖野の一族から身を隠すため――?
「それで? 袖野家から逃げ出したわたくしに、今更何の用ですか」
先生は警戒心を隠さない。
「お父様――旦那様が危篤でございます。一度、袖野家にお戻りください」
「お父様は今も健在でしょう。こないだもネットニュースで元気に炎上してましたよ。すぐにバレる嘘をつかないでください」
先生は高城の言葉にため息交じりに答える。
「おや、テレビがないと伺っていたのですが、もうバレましたか」
高城はまったく動じず、笑っていた。
「今どき、テレビがなくてもネットというものがあるのですよ。まったく、時代に取り残されているガラパゴスですか、袖野の一族は。そんなんだから前時代的な政策ばかり提案して炎上するんですよ、お父様は」
先生は嫌悪感を隠す様子もなく、眉間にシワを寄せている。
「とにかく、帰ってください。わたくしは袖野の家に帰るつもりは毛頭ありません」
「お嬢様は、まだ小説を書いていらっしゃるのですか?」
「……それがなにか? 生活していけるだけのお金は稼いでいるのですから、あなた方に文句は言わせませんよ」
先生は苛立った様子で高城を睨みつける。
「いいえ? お嬢様がご自分のなさりたかったことをなさっているのはこの高城、嬉しく思います。旦那様の手前、応援することはできませんが」
「……そうですか」
「それにしても、旦那さまのあとを継いでいらっしゃればもっと裕福な暮らしが出来たのに、夢というのはそんなに大事なものですか」
こんなでかい家に住めているのに、もっと裕福な暮らしができるのか……。
「わたくしにとって、物語を書いて人に喜んでいただけるのは有意義なことだと思っています」
「左様ですか。では、これ以上話していても埒が明きませんね。今回はこれで失礼いたします。――ああ、そうそう」
去り際に、高城が思い出したように言う。
「今度、そちらにいらっしゃる恋人を紹介しに家に来るようにと、旦那様から伝言です」
「……ッ、それも調査済みですか……」
袖野先生は頭痛がすると言いたげに頭を押さえる。
「お父様はお怒りでしたか?」
「怒ってはいませんでしたがドン引きはしていました」
「でしょうね……あんな古臭い考えの人間が理解できるはずもない」
「ははは。今の発言は聞かなかったことにいたしましょう。それでは」
高城は家の前に停めてあった黒い高級車の運転席に乗り込んで走り去ってしまった。
「……今のって、袖野家の執事さん……?」
「そんなところです。しかし、困りましたね……まさか私の住んでいる場所がバレてしまうとは」
「す、すみません……多分私が街コンに誘ったせいですよね……」
「いえ、まさか参加者が私の隠し撮り写真をネットに上げるなんて想定外でしたし、美咲さんは悪くありませんよ」
袖野先生はもはや諦めの境地、といった笑いを浮かべていた。
「どうします? 先生が望むなら引っ越しも検討しますけど……」
私自身が先生の家に引っ越してきたばかりだが、そうも言ってはいられない。
あの様子だと袖野家の使者はまた来るだろう。
そして、先生が袖野家に一度戻ったら、二度と戻っては来れないだろうという予感もした。
「……いえ、わたくしは、この家を……祖父の家を手放したくないのです」
きっとおじいさんとの思い出が詰まっているのだろう、家の壁を撫でる先生。
「美咲さん。わたくしの実家についてお話するときが来たようです」
何かを決意したような眼差しで、袖野先生は私を真っ直ぐに見つめる。
「じゃあ、お茶でも淹れて、ゆっくり話し合いましょうか」
私はわざと緊張感を崩すように呑気なことを言って、二人で執筆部屋に戻った。
「――同窓会の日に、わたくしの実家について少しだけお話しましたよね」
「お父様が国会議員で、お母様が元華族の出身でしたっけ?」
私はおせんべいをバリバリ食べながら袖野先生の話を聞くことにした。
「
名前は聞いたことがあるし、テレビでよく国会中継にも出てくるので顔も知っている。あの人、袖野先生のお父様だったのか……。
「わたくしの実家も親戚も、みな弁護士だったり医者だったりエリート官僚だったり、裕福な人間が多いのです。その中でわたくしだけが売れるかもわからない小説ばかり書いていて、小馬鹿にされることも多かった……まあ、それをバネに、私は逆に躍起になって書き続けていたのですが」
袖野先生は様々なジャンルを手当たりしだいに書いていたが、恋愛小説がヒットするまでは鳴かず飛ばずだったという。その間、ずっと親戚一同に馬鹿にされていたと思うと、その苦労が窺い知れる。
「で、小説がヒットして作家デビューしたと同時に家を飛び出したんですよね」
「そうです。唯一わたくしの夢を応援してくれた祖父の家に居候させてもらって……今までバレていなかったので、お祖父様がうまく隠してくれたのでしょう」
先生が出不精な理由も、少しわかった気がした。
「まあ、バレちゃったものは仕方ないですよね。私達が恋仲というのも向こうさんは知ってるみたいですし」
「父は前時代的な考えの人間なので、もしかしたらわたくしたちが別れるように圧力をかけてくるかもしれません」
どうしたものか、と先生は悩んでいる様子だった。
「なら、お父様に会いに行きましょう」
「……え?」
私の言葉に、袖野先生はキョトンとした顔をする。
「もうこうなっちゃったら直接対決するしかないでしょ。どのみち『恋人を紹介しに家に来るように』と言われてるんですから、いい機会です。お父様にご挨拶させていただきます」
「し、しかし……よろしいのですか? 父がわたくしたちの仲を認めてくださるとは到底思えないのですが……」
どうやら、袖野先生のお父様は同性愛に理解がないらしい。
それでも、私は袖野先生を手放すつもりはない。よろしい、ならば戦争だ。
私達はあの高城という男が再び来るのを待って、袖野先生の実家でお父様と対面し、直接対決する決意を固めたのであった。
〈続く〉
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