3-8 稼働世界、第三層へ

セリは黒く粘ついた泥の中にいた。両腕を赤子の様に振り回そうとしたが、粘ついた泥がそれを許さない。息は不思議と出来るが、それ以外の行動が阻害されている。

ここは正確には心象風景の中だ。自分でもよく分かっている。これが現実ではないことが。


また誰も守れなかった


この言葉だけが、今のセリの中にはあった。あの守護人殻との戦いの最中、唯一思い出した記憶の一つ。あまり良い記憶とは呼べず、むしろその通りの事が引き起こされてしまった。

それはニライを救えなかった事。あまりにも簡単に命は失われる。それがセリには重すぎた。

「ニライ…僕は…」

ふと、暗がりの中に光を見た。どうにか泥をかき分けて光に近づこうとする。

声が聞こえた気がする。いや、聞こえている。セリを呼ぶ声が確かに。

「セリ…セリ!…おい!」

これはクラウトの声、必死に呼び掛けを続けている。

「…スター…マ…ター…」

これは…ニライ!?ニライの声が確かに聞こえる。

泥をさらにかき分け、光に近づくにつれ声は大きくなっていく。

「マスター!!」

粘つく泥を振り払い、光へ手を伸ばす。いきなり泥が消え勢いそのままに、そのまま光の中へと突っ込んでいった。

「ニライ!!」

瞼を開けると、そこは白い部屋の中だった。セリはベッドに横たわっていて、右手を宙に伸ばしている。そしてその手を掴む存在がいた。それはニライだった。

「マスター!!」

ニライに抱き着かれ、そのまま抱きしめ返す。

「ニライ、良かった…よかった…」

頬を涙が伝う。ニライに抱き着かれたままの状態で横を見ると、クラウトが心配そうな、呆れたような顔で立っていた。

「全く。心配かけるなよ…生きててよかったよセリ」

「クラウトさん、ここは?」

「箱庭機関の一室だ。外はまだ燃えてるが、守護人殻どもはもういない。とりあえずは良かったが…」

「私から説明するわ」

部屋の角に立っていたカノンが近づいてきた。その顔には安堵と若干の焦りが見える。

「とりあえずセリ、貴方の帰還を祝福するわ。だけど祝っている暇はないの」

「どういうことです?」

「二体の異層の守護人殻が消えたことで、彼らが使っていたコードが切れたわ。つまり、全てが元通りに戻るということ。それ自体は良い事だけど、このエゼルも例外じゃないわ。これからあと数十分で大規模なリセットがかかるわ。そうなれば本来、エゼルに存在していない貴方たちもリセット、いえ削除対象になるってこと」

「そんな…でもどうやってエゼルから出ればいいんです?」

「一つ。最後の手段を使うわ。貴方たちはちゃんと送り届けるから心配しなくてもいいわ」

「何か引っかかる言い方ですね」

「そうね、簡単に説明すると、私とSASのデータと引き換えに貴方たちを現実世界に送るの。疑似的に神と同等の管理権限を使用して、ね」

「それじゃあ、カノンさんは?」

「この世界からは消え去るでしょうね。でもいいの。私は長く生き過ぎたから。…そういうわけだから、ここでサヨナラよ。この空間ごと飛ばすから、部屋からは出ないで頂戴」

セリでも分かるへたくそな笑顔でカノンは部屋から出て行った。クラウトの方を見ると、拳を握りめているのが分かる。

「クラウトは、これでいいの?」

「これしか方法がないんだ。良いも悪いもないだろう」

「そんな言い方…!」

「じゃあ、お前の力で俺たちを現実世界に戻せるって言うのか!お前の不完全にしか扱えない力で!」

「…それは…」

セリは黙り込む。確かに自分の今の力ではエゼルからの転送は無理だ。色付鬼の力は戦闘でしか使えないし、自分のコードもハッキリと分からないままでは何もできない。

「お前はまだ、何も知らない唯の人殻なんだ…頼むから黙っていてくれ」

クラウトが悲しみを押しつぶしたような声で呟く。

「俺だって本当はこんなやり方を望んでないんだ。だが、セリ、お前に消えられると困るんだ」

「僕が、解放者だから?」

「……知ってたのか。だが、それは唯の一部だ。お前の中にある、あるデータが必要なんだよ。俺たちにはな」

静かに息を吸い、長く吐いた。

「お前の中にある記憶片フラグメント。その一部が、神の揺り籠にたどり着くための唯一の鍵なんだ」

「揺り籠?」

「そうだ。現実世界の俺たちがいる場所、その最上層へのな。お前だけが持っていて、お前以外誰も持っていないモノ。それは『接続』のコードだ。あの神すら持たず存在すら知らないであろう。お前だけのコード。セリという人殻に与えれた最後の希望」

「そんなものが僕の中に?」

「そうだ、これはここだけの話にしてくれ。カテラにも話すな」

「…分かった。誰にも言わない」

セリは固く口を結んだ。

「…そろそろか」

クラウトが呟いた瞬間、空間が揺れはじめ、宙に罅が入る。大規模なエゼルサーバーの、大きく言えば第二層のリセットが始まったのだ。

扉が開き、カノンと見知らぬ女性が入ってきた。よく見れば塔の最上層のカプセルに入っていた女性であった。今度はちゃんと服を着ている。

「久しぶりに動いてるお前を見たな、SAS。俺たちの行動には加担しなかったんじゃないのか?」

「先ほどぶりですねカンナギ様。我々もそうするつもりでした、ですが…他ならぬ我らが主、カノン様の命令でしたので。仕方なくです」

「お前の記録データもすべて消えるんだぞ。それでもいいのか?」

「その件については私の影人が引き継ぐでしょう。それに、現実世界にも私は残っていないのですから、今消えてもあまり関係はありません。私が居なくても研究は続くのです」

「そうか、相変わらずアイツ似だな」

「誉め言葉として受け取ります」

真顔で話すSASをセリはじっと眺めていた。

カノンがクラウトの前まで来てクラウトの瞳を見る。

「カンナギ、最後の時ね。箱庭機関時代から、今までとてつもなく長かったけれど、私という存在を見て、貴方は楽しかったかしら?」

「楽しかった、ソレに愛しかった、カノン。ありがとう、さよならだ」

「そう、それを聞いて安心したわ。私という存在は無駄じゃなかったのね」

「さようなら、カンナギ。あちらに戻っても、私の事を覚えていてね」

「当り前だ」

「ふふ、いつも通りの返事で安心したわ。それじゃあ始めるわよ」

カノンが手を上げると幾つもの文字が宙に浮かぶ。それに合わせ、文字列が三人に流れ込んできた。このエゼルに来た時の様に体が徐々に消えていく。カノンとSASも同じように体が削れていく。カノンがクラウトの手を握った。

「痛むか?」

「大丈夫、痛みはないわ…これが本当の死なのね。貴方の傍に居られなくなるのは少し寂しいわ。でも、昔風に言うなら…」

「私はお空の上で見守っているわ、カンナギ」

カノンは優しい笑顔でクラウトを見つめながら言った。

もう半分以上も消えかかっているカノンは何時までもクラウトの手を握っていた。

そのまま先に消えたのはカノンたちだった。独り残されたクラウトはカノンが握っていた掌を握りしめ、深く息を吐く。

「さようなら、カノン」

クラウトは握りこぶしを額に近づけ呟く様に言った。

そうして三人は光に飲み込まれるように現実世界へと転移していった。


一方、現実世界ではエネルギー供給施設アンハナの正規の守護人殻であるレダが、キーボードをいじくりまわしていた。

三人を転移させてから、もう三日も経っていたからだ。通常ではあり得ない事態であり、レダ自身も困惑していた。

一向に通信すら出来ぬ状況で、今度は大規模なリセットが行われるという中央省の連絡を聞き、何とか三人をエゼルから戻ってこさせようとしていた時だった。

突如、アンハナの一部の空間が歪み、セリたちが転移してきた。

セリの体はまた小さく縮み、少年へと戻り、クラウトとニライは幽体とAIに戻って端末の中に居た。

「ただいま…」

セリがそう言うと、カテラがいの一番に飛び出し、セリに抱き着いた。

「おかえり、セリ、無事そうで良かった」

「苦しいよ、カテラ…」

「あ、ごめん。それでどうだったの?」

カテラが離れ、服装を正したセリの腕に着けられた端末からクラウトが現れた。

「それは俺が説明しよう」

クラウトは大分搔い摘んで説明をしたが皆はそれぞれに納得したようだった。

「それでは、神が作った不正の守護人殻が二体も居たというのか?」

ハイネルがクラウトに聞く。

「ああ、そうだ。一体は俺が、もう一体はセリが倒した。だから二体からかけられていたまやかしが解かれて、中央省と都市が元に戻ったんだ」

「でもリセットは私たちにもかかるのが普通じゃないの?」

「ここが何処か忘れたか?アンハナだぞ。リセットがかかれば世界の運営が不可能になってしまうから、別にリセットがかかるわけじゃないんだ」

「それじゃあ、中央省にセリを届ければ、私の依頼も終わ…」「いや、始まりだ」

カテラの声を遮り、クラウトが前に出る。

「これからは俺からの依頼になる。神の息がかかっている中央省にセリを渡してはならない。だから悪いがカテラ、俺と一緒に最上層を目指してもらう。中央省を裏切ってな」

「「はあ!?」」

全員の視線がクラウトに集中する。

「正気!?中央を裏切って上を目指すなんて!」

カテラが机を叩き付けながら答えた。

「これはセリ自体の依頼でもあるんだ」

「それはそれ、これはこれだ!おかしくなったのかクラウト!中央を裏切れば、私たちは裏切り者の反逆者としての烙印が押されるんだぞ!ギルドの恩恵も受けられなくなる!ギルドに顔が知られていれば尚更だぞ!」

ハイネルもカテラ側の様だ。それはそうだ。二人とも高ランクの処理屋と狩人だからだ。クラウトに従う義理もない。

その中でたった一人、ゼルだけがクラウトの突然の依頼を受ける側に立った。

「俺はどちらでもいい。セリには世話になっているからな。セリが地獄に飛び込むというなら俺も共に行こう」

「私はマスターといつまでも一緒です!傭兵教会なんて知りません!」

ニライもクラウト側についた。

「ぐぬぬ…あーもう!ちゃんとした理由を言って!それで決めるから!」

「中央省には神のスパイがいるからだ。これでセリを渡せば、何もできなくなってしまう」

「それだけ?!」

「そうだ」

「……分かった、分かったわよ。私もキナ臭いとはずっと思ってたけどこれで確信に変わったわ。私も、セリと一緒に最上層を目指すわよ。どうせ、セリを渡したところで、アイツらが『楽園』の情報を素直に教えてくれるとは考えづらいしね」

「…あとは、ハイネル。君だけだ。君には俺たちと一緒に行く理由がない。この途方もない依頼に乗るも降りるも君次第だ」

ハイネルは数歩後ろに下がり、セリを見た。

「私は…正直、純人類が羨ましいと思っていた。獣人の私は、子供たちに恐怖しか与えなかったようだからね。しかし、セリは私を見ても怖がらなかった。だから…」

「だから…?」

「私もその依頼に付き合わせてくれ。私はセリを、皆を護る盾になろう」

「なら決まりだな…。皆と別れなくて良かったと思うよ」

「では中央省の連中がここに来る前に三層へ向かおうと思うが、異論がある奴はいるか?」

「ギルドが使えなくなるのが厄介ね…」

「カテラ、そこは安心していい。三層から上に都市は存在しないからな。そう言うことだからギルドも存在しない」

「え?でも、中央では三層にも都市があるって…」

「ソレは嘘だ。三層にいた俺が言うんだ。間違いない」

「あーもう、訳分からなくなってきたわ…」

頭を抱えるカテラにセリが近づいて手を握る。

「ありがとうカテラ、僕についてきてくれて」

「馬鹿ね、セリ。そう言うのは依頼が終わった時に言うもんよ」

カテラは少し笑ってセリの頭を撫でた。

「…分かった。依頼が終わるまで取っておくね」


ゴホン、と咳払いの音が聞こえ、端からレダが歩いてきた。

「話し合いは済んだかね?早くしないと中央省の特務部隊がやってくるぞ。セリを渡さないにしろ、中央省は君たちを消す気でいるようだ」

「なにそれ…?!」

「無線を傍受した。生き残りはセリだけでいいらしいな。今は私がアンハナに昇るためのエレベーターを止めている状態だが、長くは持たん。アンハナを抜け、第三層へ急ぐんだ」

「レダはどうするんだ」

「私はここで彼らの足止めをする」

「無茶だ…守護人殻とは言え、お前の人殻は戦闘用には造られてなかっただろう?」

「クラウト…いや、もはやカンナギと呼ぶが、余計なお世話、だ」

レダは舌を出して変顔をした。

「これでも管理者も兼ねているんでね、戦う方法はいくらでもある。さあ、行け。君たちには君たちの使命があるのだろう。それを全うしたまえ。第三層へ行くための扉はもう開けてある。ソレに乗ればすぐにたどり着けるだろう」

「サラバだ、わが友。勿論君もだハイネル」

「レダ…」

「君の話す話はいつも新鮮だった。君にも目的が見つかって良かったと思っている」

「さあ急げ!早く行け!」

レダはそれだけ言うと、皆の隣を通り扉の前に立った。端末を操作し、レダと皆の前には薄く透けている赤い壁が出現した。

「急ごう」

セリの言葉に皆が頷く。皆はレダが開けた扉を通り、アンハナの奥へと進んでいった。


アンハナの奥はEFの影響か、とてつもなく明るかった。

透明な通路越しにアンハナへ向かうエレベーターが動いているのが見える。

第三層へ向かう転移装置の前に着いた時、レダがいた管理室から、戦闘音のような音が小さく聞こえてきた。

皆を転移装置に乗せ、クラウトが装置のスイッチを押した。

目が眩むような閃光が走り、一瞬の間に第三層へと転移したと思われる。

第三層の転移装置は誰かが故意に壊したような跡があり機能していないように見えた。皆、困惑しているように思えた。

それもそうだ。第三層は、今までの階層と違い、都市が見えるわけでもなければ遺跡があるわけでもなく、ただ、とてつもなく広い空間が広がっているだけだったからだ。

「クラウト、ここが本当に三層なの?」

セリがクラウトに尋ねる。

「そうだ。ここが第三層。旧人類保護居住エリア。だった場所だ」

「だった?人間がいたの?」

「このまま北上して管理棟を目指そう。そこで話せる事を話す。管理棟ならば、神の監視も出来ないはずだからな」

クラウトはそう言うと端末に戻っていった。

セリたちは、クラウトの言葉に従い、北にあるという管理棟を目指し歩き始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る