3-5 稼働世界、旧世界

頬に風を感じて瞼を開ける。眩しいが、疑似太陽ではない。

空に線は無く、雲も見えない、晴天だ。セリは高台のような場所にいるらしく、眼下には巨大な建造物が立ち並び、遠くに青く大きな水たまりが見えた。

都市のような場所の真ん中には巨大で天を貫く塔のようなモノが鎮座している。

セリを囲っていた文字列は消え去っており、体の感触もちゃんとある。

「ここは…どこ?クラウトと、ニライは…?」

「ようやく来たか、案外に遅かったな」

後ろから呼びかけられて振り返ると、黒い髪に赤い眼鏡をかけたおそらく二十後半の男が立っていた。

「まさか、クラウト?」

「正解だ、セリ。この姿が、俺の本来の姿だ。なかなかのイケメンだろ」

「…ニライは?」

クラウトのニヤケを無視して、辺りを見回す。

「ここですよ!マスター!」

走る音が聞こえたかと思えば、何者かに抱き着かれ、セリの心臓が跳ね上がる。

抱き着いて来たものの正体は背が低く髪の長い少女だった。どこかの学生服の様な服装で、声だけで判断するなら彼女がニライだろう。だが、なぜAIである彼女が人間の姿になっているのかは分からない。

「なんで人間の姿に?」

「分かりません!でもこの姿では初めましてですね、マスター!」

ニライは上目遣いでセリを見上げている。

「ニライって案外小さかったんだね」

「はい!私ももっとこう、ハイネルさんの様にボンキュッボンだと思っていたのですが…現実は非情です…」

ごく自然に当たり前のようにセリの腕に絡みつくニライを押しのける。

その様子をじっと見ていたクラウトが口を開いた。

「お前、本当にセリだよな」

「えっ…?僕は僕ですよ?」

「ちょっとこっち来い」

クラウトに引っ張られて長方形の建物のガラス窓の前まで連れてこられた。

「映ってる顔、見てみろ」

「えっ?」

「いいから、ほれ」

何の変哲もないガラス窓。そこに映っていたのはどう見ても現実世界のセリではなく、二十代前半くらいの青年の顔だった。

「えっ…誰…?僕?」

困惑するセリを見て何か考える素振りを見せたクラウトは、ぼけーっと突っ立つニライの方を向いた。

「ニライ、現実世界のレダに通信できるか?」

「いいえ、通信に必要な、正確には私たちがいた端末がありません。先ほどさりげなくマスターの腕を確認しましたが、やはり存在自体が消失していました」

「やはり…」

「ってことは、現実世界に帰る手段もないってこと?」

「そうなるな。まあ時間は嫌というほどある。ゆっくり探していけばいいさ」

「じゃあ、何処へ行くっていうんですか?」

「ここがあの時と同じ時間、同じ世界なら、あのでかい塔の下にある組織があったはずだ」

「組織?」

「そう、名前は『箱庭機関』。全ての始まり、そして終わり」

塔の真下を見ると、都市には不釣り合いな森のようなモノが広がって見える。

「さ、行くぞ、セリ、ニライ。時間はあるが俺にも都合があるんでな」

三人は高台を降りて都市部に入った。周りには様々な服装の人間が普通に歩き回っている。獣人はいないように見えた。

「クラウト、ここって本当に記憶領域なんだよね?」

「そうだ。普通の都市に見えるか?ま、そのうちわかるだろうが。気になるなら話しかけてみればいい」

そう言われたセリは道行く男性に声をかけた。

「すみません、この町の名前を教えてくれませんか?」

「ここは人類の英知の結晶が集う中央都市ハルガナだ。まさか知らなかったのかい?」

「いえ!、ありがとうございます」

男は怪訝そうな顔をして去っていた。

「聞けたか?」

「うん。あのさクラウト、あの大きな青い水たまりは何なの?」

「……あれは『海』って言うんだ。水たまりじゃあない」

「あれが海?…でも赤くないよ?」

「本来は青かったんだ。まあ遥か昔の事だが」

「私のデータにも海の記録はありますよ!現在の現実世界より、すうひゃ…」

「その話はしなくていい。いや二度とするなニライ」

クラウトがきつく言った。

「…管理権限からの変更を承認。データを更新しました」

ニライが突然機械のような喋り方になって、足を止める。

「クラウト?」

セリも足を止め、クラウトを見やる。クラウトはまっすぐ前を見据えたまま歩いていた。

「今のセリにはなんら関係のないことだ。今は箱庭機関に行くことだけ考えればいい。行くぞ」

いつものクラウトではない。冗談も言わないし優しくもない。

「……分かった。でも、いつかは教えてくれるんでしょ?」

「機会があれば、な」

セリにはクラウトが少しだけ笑ったように見えたが気のせいだろうか。止まったままのニライの手を引き、クラウトの後ろへ着く。

「あれ、私は…何を…?」

ニライの表情が元に戻り、セリは少しだけ安心した。

「もう少しで『森』に着く。そこからが問題だがな」


都市部を抜けて、森の真正面までやってきた。本当に唯の森にしか見えない。建物の壁すら見えないほど鬱蒼としている。まるで樹海だ。その奥に巨大な塔だけが見えている。塔は周りの景色から見ても明らかに異質で、何処か歪な模型のように見えた。

「よし、ちょっと待っててくれ」

クラウトが森に向かって手をかざした。幾文もの文字列が空中に浮かび消えてはまた浮かぶ。

そして最後に一言だけ文字が空中に浮かんだ。

『おかえりなさい、我らが友人』

その文字が消えた瞬間、鬱蒼としていた森の木々が空間にずれ込み、真っ直ぐの道筋が浮かび上がった。

「さ、行くぞ」

セリは聞きたいことがありすぎたが、クラウトがずんずん先へ進んでいくので聞けぬまま後を追った。

突如として、広場のような場所と黒い建物が姿を現した。明らかに周りの木々より高く出来ているのだが、外からでは見えなかったはずだ。

広場には白衣を着た男たちが空中に映し出された文字列をじっと見ながら、手元の宙に浮いた枠組みだけの入力機のようなモノに打ち込んでいた。

クラウトはそれに目もくれず、黒い建物の中に入っていく。白衣の男たちはこちらに関心が無い様で、誰もセリたちを止めようとはしなかった。

黒い建物の内装は外側とは対照的に真っ白で、扉すら見当たらない。まるで一層の天蓋遺跡を彷彿とさせる造りをしていた。

クラウトが一枚の壁に近づき、また手をかざすと、何もない白い壁が一瞬だけ歪み、木製の扉が現れた。クラウトがドアノブを掴みゆっくりと回すと、ガチャリという音ともに扉が開いた。

中には木製の椅子が手前に三つ、奥に一つ、何らかの石のテーブル。そして四人分のティーカップが置かれていた。ティーカップからは湯気が立ち上っており、中にはコーヒーと思わしき液体が入っている。

「こんな辺鄙な場所に客人とは、珍しい限りね」

声が聞こえ、いつの間にか奥の椅子にウェーブがかかった髪の白衣を着た女性が座っていた。

「まあ座りなさい」

促されるまま三人は椅子に座った。香水の匂いだろうか、甘い香りがする。

「森の認証を超えてきた影人がいると思ったら、貴方だったのね。クラウト、いえ…

カンナギ」

「久しぶりだな、カノン。俺をカンナギと呼ぶ人間はもう、お前位だよ」

「…それだけの時間が経ったか、減ってしまったのか、まあどちらでもいい事ね」

「貴方たちは外から来たのでしょう?人殻とAIと幽体、不思議な組み合わせね」

「単刀直入に言おう。聞きたいことが合ってここに来た。いくつか質問してもかまわないか?」

「ええ、貴方の事ですもの。そんなことだろうと思っていたわ。ああ、そこの二人、コーヒーはお嫌いかしら?お茶菓子になるものが何もないのだけれど、それでも良かったら飲んで頂戴。…それで聞きたいことってなにかしら?」

ティーカップを手に取り息を吹きかけ冷ますニライを横目に、セリはコクリと一口だけ飲んだ。

「まず一つ目。現実世界の中央都市の異変を関知しているか?」

「私が?冗談を言わないで。私は神や人形の手先になったつもりは一つもないわ」

「二つ目。守護人殻はどこにいる?」

「異層の守護人殻ね…。この世界の一番上にいるわ。ふんぞり返って、神にでもなったつもりなのかもしれないわね。神はもういるというのに…バカみたいだわ」

「三つ目。『アクラ』は今も生きているのか?」

カノンは小さく息を吐き、困ったような顔をした。

「それは貴方が一番よく知っているでしょう?最後に『アクラ』を調整したのは貴方よ、カンナギ」

「…そうだったな。では最後の質問だ。彼女はどこにいる?」

「その質問には答えられないわね。答えた瞬間、私は消されるわ。でも多分貴方と一緒に来た人殻のほうがよく知ってるんじゃないかしら」

「………そうだな。ありがとうカノン、来てよかったよ」

立ち上がるクラウトの袖をカノンが静かにつまむ。

「私からも質問があるの…いいかしら?」

「勿論だ。俺が答えられることがあるなら何でも」

「外の世界は楽しい?この時が止まった世界より。この優しい世界より」

「…ああ、俺は後悔はしていない」

「そう、貴方らしい答えね、カンナギ。…また来てくれるかしら?」

「………決着がついたらまた来るさ」

「最後に忠告を、この世界でなら貴方は守護人殻を軽く上回るわ。だから倒すつもりなら、この世界でとどめを刺しなさい、必ず。逃して外に出られたら勝ち目はなくなるから」

そっと袖を離し椅子に座り直したカノンはセリの方をじっと見てふっと笑った。

「本当にそっくりね、あの頃を思い出すわ。名前は何というの?」

「セリ、です」

「セリ、貴方もいつか気付く時が来るわ。自分が何者で何のために生まれたかを。どうか私のようには、ならないでね」

セリは静かに頷いた。

「…カンナギ、塔へのアクセス権は既に貴方に移してあるわ。気を付けて行きなさい」

「ありがとう、カノン。またな」

「ええ、また」

三人はカノンの居た部屋を出た。瞬きの間に木製の扉は白い壁に戻っていた。

「クラウト、カンナギって言う名前だったんだね」

「ああ。昔捨てた名だ。箱庭機関時代のな。また話せる時が来たら話す。今は神気取りの守護人殻を殴りに行こう。カノンの言ったように、この世界にいる今が最大のチャンスだ」

「分かった。その時が来たらゆっくり聞かせてもらうよ」

「…では行くぞ、塔の最上層へ」

そう言ってクラウトは天に手を伸ばした。

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