第8話 気持ちの名前(side律)

『わ、私、律の前でしか“恋”でいられないのに、律は“恋”より“愛”でいることを望んでて、私の居場所は律の隣にしかないのに、そこにはずぅっと“愛”がいて、“私”が“私”いられなくて、辛くて悲しくて、どうしていいかわからなくて、でも、好きで、好きでーー』


 先輩と話す恋の本音を聞いて、ギクリとした。

 ドクドクと心臓が早鐘を打つ。

 違うと言いたいのに言い切れない自分が嫌になる。

 こんなこと一度も言ったことなんかなかったのに、恋がそう感じていたことに気づかなかった。

 目を閉じる。そうして浮かんでくるのは愛の笑顔だった。


 愛が好きだ。

 でも、恋に誰かが近づくと胸がチリチリとする。

 恋のそばにいるのは自分でありたい。

 じゃあ好きなのかと言われるとそれは違う。

 この気持ちにはなんて名前をつければ良いのだろうか。俺にはその答えがわからないままだ。


「おかえり、りっちゃん。ご飯用意するから、お風呂入ってきな」

「ただいま。ばあちゃん、ありがと」


 用意されていたお風呂に入りながら思考はぐるぐると回る。


 意識しているわけではないのだが、恋といると愛の影がちらつく。今の会話だったら愛ならこう言うのにとか、こう笑うのにとか、まるで間違い探しをしているかのように浮かんでくる。

 死んだ人間を思い続けても仕方ない。それはわかっているのにやめることができない。

 考えてはいけないことがずっと頭に居座っている。


 ーー死んだのが“恋”だったらよかったのに。


 俺は最低な人間だ。

 こんなことを思うんだから。

 恋に好意を向けられる資格なんてない。



“先輩とは何でもないから気にしないで。私が好きなのは律だから”



 恋からのメッセージに感じるのは先輩に対する優越感なのだろうか。好意を向けられる資格はないと思うのに、ホッとする自分がいる。


“俺も恋が好きだよ”


 ただ一言そう返事をすればうまくいくのに、それができない愚かな自分がいる。否、好きだと返すほうが愚かだろう。なにをどうしても愚か者だ。


“気にしてないよ”


 それだけ返信して、俺は夕食に手をつけた。


 どれくらいの時間があれば“愛”を忘れられるだろう。

 どんな出来事があれば“愛”を忘れられるだろう。

 6年経った今でも、色褪せることなく愛のことを思い出せる。寝て起きたら、当たり前のように愛がいるという都合の良い夢を今でも見ている。


「誰よりも恋を傷つけているのは俺だよな」


 恋の優しさに漬け込んでいる自分を嗤うしかない。


「……ごめん、恋」


 情けない声でぽつりと俺は誰に向けるでもなく呟いた。

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