第4話 ー中学三年生ー

 「雪、ねぇ……」

 朝の天気予報を聞きながら俺は少し憂鬱な気持ちになった。

 手早く食パンを腹に流し込み、制服に着替え、暗記用の問題集を小脇に抱えて家を出る。

 受験が近い。両親や先生からのアドバイスをもとに自宅から近くにある高校を志望校に選んだら見事に偏差値が足りずに直前になって詰め込むことになってしまった。登下校の時間も案外馬鹿にはならず、暗記や復習のために活用している。今まで相当怠けていただけに自分でもここまでのやる気が出たことに正直驚いている。

 その原因として大きいのは部活でペアだったリョウの存在だろう。彼は部活動に積極的に参加していながらいつもテストの順位が一桁という超優秀な生徒だった。彼から勉強のやり方や受験の効率的な戦い方をアドバイスしてもらううちに「期待に応えねば」という気持ちが起こったのだ。

 昼休みが終わるかと言うころ、雪が降り始めた。クラスの何人かは窓際でそれを眺めたり昇降口まで駆けて行ったりしているが俺は特に構うことなく練習問題を解いている。既にこの問題を解くのは三回目だが未だによく分からない。何となく本番まで分からないままの気がしてきた。出題されないことを祈るしかない。


 午後の授業もなんとなくで乗り切り家路につく。教室前で他のクラスの友人を待ち、集まったところで下駄箱に向かう。

 この時間は数少ない癒しの時間だ。勉強のことを忘れて下らない話に没頭できる。

 だがそんな時間も長くは続かない。家の方向が違う友人たちとは早々に別れ自分一人になった辺りで頬に付く冷ややかな感触に気が付いた。

 「……雪だ」

 気が付くまで数分かかった。あっという間に雪は強くなっていき、数分としないうちに街路樹の葉がうっすら白に染まるほどだった。

 雪は、最近はあまり好きではなくなった。先輩が雪のせいで電車が遅れたりして不安になり満足なコンディションで受験が出来なかった、という受験の体験談を話していたからだ。自分でも驚いてしまうほどに受験に真面目に取り組んでいるだけにどうしようもない自然現象ですら妬ましく感じてしまう。

 (昔は好きだったのにな)

 何故だったかはいまいち思い出せないが小学生のころなんかは今より何倍も雪というものに対して特別な感情を抱いていた気がする。自分と同じ名前のものが空から降ってくるのが嬉しかったのか単純に珍しいものが好きだったのかはいまいち思い出せない。

 家もほど近くなったところで公園の前を通った。ここまで来る頃には地面も少し白くなるほどには大雪だった。雪国ではもっと降るのが日常なのかと思うと少し憂鬱になった。

 公園に一人の人影があった。ベンチに座ってぼーっとしている。

 これだけならたまに見る光景であるがこれを見た瞬間俺の脳内に思わぬ記憶がフラッシュバックした。

 「……そうか、だから雪が、」

 自分の説明できなかった感情の理由が判明した高揚感と共に、彼ともう一度話したい、彼は今の姿を見てみたい、と強く思うようになった。

 雪を踏みしめながら公園に向かう。初めて会った時に比べて遊具のペンキが塗りなおされたりはしているが殆ど変わらない光景にデジャヴを感じつつベンチに座る人影に声をかける。

 「あの~……」

 俺の声に反応して上がったその顔は、獣でも奇形でも何でもなく、ただの中年男性のものだった。

 あ、しくった。俺は確信した。この人が雪の公園にいたというだけで『雪の人』であるという確証はどこにもないはずだ。

 嫌な沈黙が流れる。相手は混乱し、俺は完全に謝るタイミングを見失った。

 「ハハハハハ!数年ぶりだが君は相変わらずひどく間抜けな面をしているな!」

 混乱していると思っていた相手が唐突に吹き出す。その声は記憶の奥底で聞き覚えのあるものだった。

 「やっぱりあなたは!」

 「そうだよ。随分と久しぶりだね。元気にしていたかな?」

 やっぱり『雪の人』だった。安心感と騙された怒りが同時に来る。

 「さて、早速だが熱い飲み物を買ってきてくれないか?この寒さはなかなか堪えるからね」

 そういえばそんな定番のやり取りもあったな、と思いながら俺は近くのコンビニに走る。買い食いをするのでいくらか金の持ち合わせがあった。

 早速ペットボトルの緑茶と自分用の缶コーヒーを買って公園に戻る。『雪の人』は律儀にベンチに座ったまま待っていた。

 「買ってきました」

 そう言いつつ緑茶を手渡す。『雪の人』は少しペットボトルを見た後に蓋を開けて飲み始めた。

 「茶、かな?それにしては随分と飲みやすい」

 一言感想を言うとそのまま脇に置いてしまった。どうやらそこまで好みではなかったらしい。

 「……それで、どうして今回は変な頭じゃなくて人の顔なんですか?」

 俺はこう尋ねた。正直面白くないので少しがっかりしていた。

 「なんだい、この顔に見覚えが無いのかい?」

 『雪の人』は驚いたように言った。

 そこまで言われたら記憶を辿るしかない。必死に思い出そうとするが特に思い出されるものはない。

 「いやぁ、分かんないです」

 「なんだい、せっかくあんなに熱心に祈ってくれたのは嘘だったのかい?」

 祈る?全く身に覚えがない。しばらく考えた結果、

 「あ!」

 急に降りてきた。最近祈った人の中でこんな感じの顔をしていそうな人が!

 「菅原道真……?」

 「正解だ、随分時間がかかったな」

 菅原道真は日本中で祀られている学問の神様である。

 かく言う俺も修学旅行で京都に行ったときにお参りに行った覚えがある。

 「それにしても、なんで今回はその顔に……?」

 俺は不思議になって尋ねてみた。

 「いつものことさ。君が望むものの姿になった。それだけだよ」

 「毎回言われるけどそれが良く分かんないんだよなぁ」

 俺は言った。記憶を辿るに『雪の人』に会うたびに毎回言われている気がするが結局今まで一回も意味が理解できたことは無い。

 「ハハハ!そうかそうか!」

 『雪の人』は大笑いした。

 「君も大概馬鹿だなぁ。そんなんじゃ日本語の成績は間に合っていないんじゃないか?」

 図星を突かれて思わず黙ってしまう。確かに現代文の成績は良くないが、笑われた挙句の馬鹿呼ばわりは相当腹が立った。

 分かりやすく不機嫌になっていたのか『雪の人』が少し真剣になると俺の方に向き直る。

 「君にははっきり言って勉学の才能はない。それは君が一番自覚しているとは思うが君はその才能の空白を努力で補おうとしている……」

 「つまり?」

 言いよどんだところで聞き返した。

 「君は今のまま進めば良いってことだ。悩むことも多かろう。だが今の君は間違ってない。私が保証する」

 「……なんだそれ」

 やっぱり何を言ってるか分からない。いまいち要領は得ないし無駄に真剣な顔で言ってくるし……

 「良く分かんないけど、とりあえず了解。それじゃあ」

 いまいち釈然としないまま公園から出る。雪が降っている中お構いなしに話していたのですっかり髪は濡れている。

 その日はそのまま家に帰りいつも通りの勉強をして寝た。特に心理的な変化があったわけでは無い、とは思っていたがどうやらそんなことは無かったらしい。その日の寝つきの良さははっきり言って異常だった。


 そこからは時の流れが圧縮されたような感覚だった。あっという間に受験は終わり、いつの間にか第一志望の校章が彫られたボタンを学ランに付けていた。高校という新生活、期待に比べたら不安の方が多い。この感覚は慣れないが心は軽やかだった。

 

 

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雪の人 遠家兼 @Tonkatsufarm

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