第2話 ー小学五年生ー

 関東地方は日本の中でも雪が少ない場所だとテレビのアナウンサーが言っていた。特に最近は温暖化もあって雪の回数はどんどん減っているらしい。

 だから「関東地方 3年ぶりの大雪」という予報に僕は心が躍った。それと同時に三年前のあの日に体験した変な出来事を思い出していた。


 雪の降った日の朝に公園に現れたサーベルタイガー頭の男の人。僕にしか見えなくて僕の話を親身に聞いてくれた不思議な人だった。

 あの人に相談してから僕はいじめられない位に強くなろうと思った。母さんに相談して空手を始めた。元々何も習い事をしたこともなかったので最初は不安だったが僕に合ってたのかどんどん上達して一緒に運動神経もどんどん上がっていった。いつからかそれが噂になってあいつがいじめてくることもなくなった。


 「なんでそんなにそわそわしてるの?」

 夕食の席で母さんに聞かれた。今日は父さんの帰りが遅い。母さんと向かい合って僕はシチューを啜っていた。

 「ん?明日雪だから」

 僕は口の中のシチューを飲み込んでから答えた。

 「それだけじゃなさそうな感じがするけどなー?」

 母さんは少し楽しそうな表情で言った。

 

 これだから女子は苦手だ、と僕は少しだけ思った。

 いつもなんでもお見通し。しかもそれを楽しそうに聞いてくるから少し腹が立つ。

 僕は雪の人のことをまだ誰にも話していない。誰にも信じてもらえない自信があるからだ。でも今回に限っては本当のことを話さなきゃいけない雰囲気になってしまった。

 

 「この前雪が降った日にさ……」

 僕は正直に全て話すことにした。


 「あんた……」

 反応は予想通りだった。母さんは僕の話を冗談として受け取ったらしい。

 「ほんとだよ!どうして信じてくれないの!」

 僕も最初は信じてもらおうとは思ってなかった。でも話しているうちに全く信じてくれない母さんに対して腹が立ってきた。何とか信じてもらおうと話をするが母さんは信じない。それどころか僕が必死に話していく度に母さんはどんどん顔をこわばらせていった。

 「ユキ、冗談じゃないの?本気で言ってるの?」

 「何回も言わせないでよ!ほんとに見たって言ってるでしょ!」

 すると怒ったみたいに引きつっていた母さんの顔が急に青ざめていった。


 母さんの悪い癖をすっかり忘れていた。母さんは凄く心配性だ。

 四年生の時に僕が友達と帰っていた時、友達と公園で遊んでいて帰るのが一時間くらい遅くなったことがある。帰ると母さんは僕が帰ったことにも気づかない位におどおどしていた。電話を握っていたからもし少し遅かったら警察に連絡してたかもしれなかった。

 

 青ざめた母さんは急にがたがた震えだした。やばい、僕がそう気づいたときには遅かった。

 「ユキ……」

 そう言う母さんの声にはいつもの元気さがなかった。そして電話に手が伸びる。


 

 気づいたら僕は外にいた。自分が逃げたことに気が付いた。日が傾き始めているのか少しの間にどんどん空が暗くなっていく。僕はどうしていいのか分からなくなった。


 歩いた。歩いてないと座り込んでしまいそうだったから。上を向いた。下を向いたら泣いてしまいそうだったから。

 上を向いていたから灰色の雲から降ってくる『それ』にすぐに気が付けた。

 「雪だ……」

 その言葉が口から出た途端、あても無く歩いていた僕の行き先が確定した。

 

 息を切らしながら向かった先はあの時の公園。今年も居るかなんてわからない。でも僕の心の中には今年も『あの人』がいるという確信があった。


 「え?」

 三年前と同じベンチ、同じ天気。記憶と同じくらい大きな人影。僕を混乱させたのはその顔だった。


 狐だ。


 自分の記憶を必死に辿る。鮮明に覚えている。あの日の記憶。思い浮かぶのは雪景色と、サーベルタイガー頭。

 でも今僕の見ている先にいる横顔は狐のそれだった。

 恐る恐る近づく。足音を立てないように。

 「そんなに恐れることもないだろう、少年」


 テレパシーで聞こえてきたのは、あの時と何も変わらない、優しい声だった。 


 「……なんでサーベルタイガーじゃないの?」

 挨拶も抜きに僕は尋ねる。失礼なことを気にしている余裕はなかった。

 「何でって、君がそれを望んでいるのではないのか?」

 「どういうこと?」

 「僕は君の鏡だよ。この雪の日という魔法が君の溢れんばかりの激情を触媒に僕を召還したんじゃないのかい?」

 前もこういうことがあった、と僕は何となく思い出していた。雪の人はたまに分からないことを言う。


 「座りなよ」

 雪の人は座っているベンチの片側を指さす。僕は既に薄く積もっていた雪を手で払って座る。

 雪の人がこっちを見る。狐の顔って正面から見ると笑ってるみたいだな、とか呑気に考えていた。


 前回もそうだったように最初は互いに黙った状態が続いた。僕はこの時間も何となく好きだったけど雪の人は好きじゃなかったみたいだ。その証拠に先に話しかけてきたのは雪の人の方だった。

 「冷えるね。これで何か暖かい飲み物を買ってきてくれないか?」

 そう言って雪の人は僕に500円玉を渡してきた。これも前回と同じだ。僕は近くの自販機まで走る。


 雪は気づかない間にかなり強くなっていた。道路の端の方が白くなっている。顔にかかる雪が体温で溶けて顔が濡れる。

 一分くらい走って自販機の前に着く。何を買おうか。雪の人は缶とか飲んでこぼさないのかな?いろいろ考えたが分からなかったので缶コーヒーと僕の分のホットココアを買おうとポケットに入れた500円玉に手を伸ばす。


 「あれ?」

 違和感がある。手を引き上げると僕が持ってたのは、一枚の葉っぱだった。

 「えぇ……」

 僕は軽くショックを受けた。そしてなるほど、狐だからか。とすぐに気が付いた。つまり僕は狐に化かされたことになる。


 僕はそのまま何も買わずに公園に戻った。雪の人は相変わらずベンチに座っていた。僕の気配に気が付いたのか向き直ると

 「お?少年。飲み物はどうしたんだい?」

 テレパシーを送ってくるその声は笑っていた。相変わらず正面の顔は笑っているようにも見える。

 「僕のことだましといてよく言うよ!」

 僕は反論した。ついでに葉っぱになってしまった500円玉を見せつけた。それを見ると雪の人は

 「あっはははは!!」

と笑ってきた。声は相変わらずテレパシーだが動きもお腹を抱えて本当に面白そうに笑っていた。

 「何で笑うの!」

 僕は少し怒ったように言った。騙してきたことにはそこまで怒ってなかったがその後の態度には少し、いやかなり怒っていた。

 「いや、君は嘘が苦手なんだな、と思ってさ」

 雪の人は笑い声を止めると真面目なトーンでそう言った。あまりの変わりように少しびっくりした。

 「嘘?」

 「嘘というから聞こえが悪い。君が少しでも楽に生きるための……処世術、と言ったら分かるかな?」

 「うん……」

 「君がこれから生きていく以上、この手の話は一生付いてくる。なら覚えて早すぎるということは無い。だからこその僕の存在なんだよ」

 理解できる。よく嘘をつく人はバレるまでは先生の評判も良いのは学校で何度も見てきた。でも僕はあまり嘘はつけなかった。それは悪いことだという考えがあるからだ。 

 だから雪の人の言う「嘘をつけ」はわかるけど自分にはできるとは思わなかった。

 「勿論難しいというのは分かる。嘘とは弱い人間にとってはとても苦しいことだからね。ただ君は既に強さを得ているんだ。何を怖がる」

 「……」

 雪の人の言葉は短いけれどどれもすごく強い言葉に感じた。


 僕は結構考えた。そして

 「うん。ちょっと嘘頑張ってみるよ」

 「そうか。だがそんなに気を張ることは無い。嘘がばれてしまうぞ」

 次の瞬間、雪の人は文字通り、消えた。その時僕は雪の人を見ていなかったが何となく居なくなったと言うことだけは分かった。



 「ただいまー」

 僕は音をたてないようにそっと家に入る。まだそんなに遅い時間ではなかったが電気は消えていた。僕は上着にくっついた雪を払ってリビングに入る。

 「ユキ!どこ行ってたの!?」

 途端に電気が点いて母さんが僕に抱き着く。苦しい。

 「全くあんたは!急に変なこと言い始めたと思ったら急に居なくなって!」

 「ごめん母さん……」

 ここで僕は一旦話すのを止めた。次に言うことは考えている。でもそれは嘘だ。母さんに嘘をついていいのか悩む。

 

 「何を怖がっているんだい?このままじゃあ君はジリ貧だぞ。」

 声が聞こえた。気がした。僕は勇気を込めて言った。

 「前に友達の傘を間違えて持って帰ってきてたから返しに行ってたんだよ」


 「そう……」

 母さんはそう言って僕を解放した。表情はいつもと変わらない。バレなかったか?

 「お風呂入ってきなさい。外は雪でしょう?風邪ひくよ」


 バレてない。僕はガッツポーズしたくなる気持ちを抑えてお風呂に向かった。



 「まさかあの子が私に嘘もつくなんてねぇ」

 私はそう言って首を傾げた。正直で実直な子になるように育ててきたつもりだ。特に嘘に関しては厳しく躾けてきた。

 「まあ、小学校に通ってテレビも自由に見せてたらそうなっちゃうのかしらね」

 そう自己完結して取り敢えずユキが脱ぎ捨てた上着を手に取る。

 何かがポケットに入ってる。私は違和感を覚えそれを引っ張り出す。葉っぱだ。この時期には珍しい、青々とした桜の若葉。

 「クリーニングにも出したのに……」

 そう言いながら私はその葉っぱをごみ箱に捨てた。シャワーの音が小さくリビングに聞こえてくる。

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