雪の人
遠家兼
第1話 ー小学二年生ー
「続いて関東地方。明日は広い範囲で未明から雪になるでしょう。今季一番の冷え込みになりますので防寒対策を……」
「見て、明日は雪ですって!何年ぶりかしら…」
夕ごはんを囲む食卓、母さんはそう言いながらテレビに流れる天気予報を箸で指す。その画面の方を見るとちょうど関東地方の天気を放送していた。確かに画面でいくつもの雪だるまのマークが首を振っている。
そのマークを見て僕は嬉しくなった。僕の住んでいる辺りはあまり雪が降らない。だから雪とは空から降ってくるアトラクションみたいに感じた。足跡を残したり、投げたり、小さな雪だるまを作ったりと今から想像が膨らむ。
「ほらユキ!手止まってるよ。早く食べちゃいなさい」
母さんのこの言葉で我に返る。慌てて目の前の茶碗のご飯をかき込む。全部食べ終る頃、僕は気持ちが少し沈んでいるのを感じた。
僕は名前をユキという。もちろん男だがこの名前でよく女の子と勘違いされる。でも保育園にいるときはそれも嫌ではなかった。みんな「かわいい名前だね」と言って優しくしてくれたからだ。でも小学校に入って大きく変わった。
入学してすぐ、クラスで一番背もデカくて足も速いあいつが僕の名前をからかうようになってきた。
最初は「女みたい」「キモイ」みたいな言葉のいじめだけだったのにいつの間にか僕は持ち物を捨てられたり昼休みのサッカーで強くボールを当てられるようになっていた。しかもデカいあいつだけじゃなくて他の男子も僕をいじめるようになっていた。
一回だけ先生に相談したことがある。その時のことはもうあんまり覚えてない。確か
「勘違いじゃない?あの子もユキくんと仲良くしたいだけだと思うな」
とか言っていた気がする。
「次に先生に言ったらぶっ殺すからな」
その次の日にそいつにぶたれた後に言われた言葉がこれだった。
だからこれ以上先生に言うこともできなくて、休んだら休んだで何されるか分からないし母さんに迷惑かけたくないからちゃんと毎日学校には行っている。でも毎日ほんとに嫌だった。
雪が降ると思うと少しうれしい気持ちが出てきたがそれが僕の名前と同じと気が付いてすぐに消えた。
この名前じゃなきゃ、とは何回も考えたけどお母さんから
「みんなですごい悩んで決めた名前なのよ」
と言われたことがあるから言い出せなかった。
お風呂に入って、明日の時間割をそろえて、母さんにおやすみと声をかけて布団に入った。
布団に入る前は悲しい気持ちが大きくて眠れるか分からなかったけど布団に入ったらすぐに眠くなってきた。
次の日の朝、母さんの声で僕は目が覚めた。母さんの声がいつもより少しだけ元気に聞こえたから僕はわくわくしてベランダから外を見た。
目の前の道路や向かいの家の屋根が真っ白になっていた。僕は雪で遊びたくてすぐに朝の支度をした。朝ご飯を急いで食べているとき家の電話が鳴った。母さんが出て誰かと話していた。テレビではアナウンサーが「10年に一度の大雪です」と言っていた。
「今日は9時までに登校すればいいって。どうせなら少し遊んでから行ったら?」
電話を終えた母さんが僕にそう言った。僕は茶碗に残ったご飯を一気にかきこんでからランドセルを背負って走り出す。
「時間はちゃんと見るんだよー!」
母さんが走る僕の背中に向かって叫んでいた。
覚えている限り初めての雪はテレビで見ていた通りだった。真っ白で、朝日が反射してキラキラ光っている。足で踏むたびにザクザク言って固まっていき、手ですくうと手袋越しでも冷たいのがじんわりと伝わってくるのが分かった。
鼻歌交じりに歩いていると公園の近くの交差点に来た。そのあたりになると急に雪が少なくなった気がしたが浮かれていたからあまり気にならなかった。
この角を曲がると公園だ。きっと雪が一杯積もっているに違いない。もしかしたら先客もいるかも知れない。そしたら黙って学校に行こう。そう考えながら交差点を曲がり、先の公園を見る。
人はいない。雪にも踏まれた跡はない。一番乗りだ!
と、思ったらベンチに人影を見つけた。二番乗りじゃん、と言って僕は引き返そうとする。
次の瞬間、僕はその人を思わず二度見した。
あの人、何かがおかしい。
まずデカい。すごいデカい。クラスのあいつなんて比べ物にならないくらい。
しかも顔が変。顔じゅう茶色い毛に覆われている。あと遠くからでも分かるくらい大きなキバが生えている。まるでこの前テレビで見たサーベルタイガーみたいだ。
僕はおそるおそる近づいた。誰かいたら学校に行こうと思っていたことも、雪のことももう忘れていた。
ベンチから少し離れたところで立ち止まってもう一度その人の顔を覗き込んだ。眠っているのか、毛で隠れているだけなのか分からないけど目は見えない。
「やあ少年、僕が見えるのかい?」
急に毛むくじゃらから声が聞こえた。
「わっ!」
僕はびっくりして思わずしりもちをついてしまった。お尻に雪が染みて冷たくなった。
「その反応は、どうやら見えているということのようだ」
もう一度、びくびくしながらその人の顔を見る。声は聞こえるのに口は動いていない。テレパシーみたいだ。
「そろそろ君の話が聞きたいんだが……」
ひっくり返ったまま立ち上がることも忘れていた僕にその人は首を少しも動かさずに話しかけていた。
「生きてるよな、少年?」
ぼーっとしたままの僕に対してその人は少し心配そうに聞いた。
首も口も動かしてない、テレパシーで。
「僕と話したいの?」
少し経った後に僕は立ち上がってその人に聞いた。
「そうだよ少年。僕は君に強い興味がある。僕が見える人間なんて初めてだ」
「あなたは他の人には見えないの?」
「そうだよ、と言っても信じられないだろうね。証拠を見せよう」
そう言うとその人は立ち上がった。座っていた時よりもっと大きく見える。僕の視線が大体その人のベルトの辺りだ。
立ち上がったその人は公園の入り口に向かって歩きはじめた。その先の歩道には一人のサラリーマンが歩いている。その人は入り口の前で立ち止まり、サラリーマンが前を通る瞬間に
「ゥガーーォォォォォ!!!!」
大きな声で吠えた。後ろ姿でも分かるくらい大きな口を開けて。心なしか身体も大きくなったように感じた。僕は何となくその人が何をするのか気が付いていたけどあまりの声の大きさに少し驚いてしまった。
でもサラリーマンは反応していない。何も無いように雪をよけながら歩いている。
その人はこっちを向くと
「ほらね?」とまたテレパシーで話しかけてきた。
僕は言葉が出なかった。この後何を話したらいいか分からない。するとその人はこっちに歩いてきて僕の前でしゃがんだ。目の高さが揃って毛むくじゃらとかキバとかが目の前に来ている。
「さて、少年。君のことを聞かせてくれないか…と言いたいところだけど、時間だね」
そう言いながらその人は公園にある時計を見る。時刻は8時45分。もう遅刻ギリギリの時間になっていた。
「やばい!学校行かなきゃ!さようなら、おじさん」
そう言うと僕は走って学校に向かった。
「またな、少年」
あの人がそうテレパシーで伝えてきたのが聞こえた。
その日の学校はみんな少しうわついていた。そして何故かとても平和だった。いつも僕をいじめてくるあいつらが何故か僕を避けているように感じた。
しかも給食の牛乳がコーヒー牛乳だった。僕はお替りのじゃんけんに参加しようと思ったけどあいつらが参加していたからやめた。
その日の放課後、帰り道で朝通った公園をまた通った。雪はまだたくさん残っている。先生が
「帰ったらおうちの雪かきの手伝いをしましょう」
と言っていたのを思い出した。今から楽しみだ。
「やぁ、また会ったね、少年」
朝にも聞いた声が聞こえる。見るとベンチの方にまたサーベルタイガー頭の男の人が座っていた。僕は公園に入ってその人のもとに駆け寄る。
「そういえばずっと気になってたんだけどさ……」
僕はその人に一日中気になっていた質問をしようとしたその時、
「すまないがこれでコーヒー牛乳を買ってきてくれないか?」
そう言うとその人は右手に握っていた500円玉を僕に渡してきた。手は普通なんだな……と僕は思った。
僕は近くのコンビニで紙パックのコーヒー牛乳を買って戻った。
その人は軽くお礼を言うとくっついてるストローを抜いてそのコーヒー牛乳を飲み始めた。サーベルタイガー頭にコーヒー牛乳の組み合わせはかなりおかしいと思った。
「……さて、と」
その人はコーヒー牛乳を飲み切るとそれをベンチに丁寧に置いてずっと向かいに立っていた僕の方を向いた。
「座りなよ」
少し笑いながらそう言われたので素直にその人の隣に座った。
笑った顔は少しだけ怖かった。
「君はさっき僕に何か質問をしたい風にしていたね。今なら答えられる範囲で答えよう」
その人は前を見たまま話していた。僕はその人の毛むくじゃらの横顔ばっかり見ていた。
「名前はありますか?」
僕は尋ねる。その人は少し首を傾げると
「特には無いかな。好きに呼んでくれていいよ」
「ふーん、じゃあ雪の日に出てきたから『雪の人』で」
僕は結構考えてから答えた。ぶっちゃけ特に何も思いつかなかったから適当だったのだが、
「お、なかなかセンスいいね」
その人には案外好評だった。
「え、雪の人でいいの?」
「うん、僕は好きだよ」
「ふーん……」
会話が止まる。僕はずっと雪の人の顔を見ていた。
相変わらずのサーベルタイガー頭だ。更によく見れば見るほど怖い。
鋭い牙に毛むくじゃらの奥の黒い目。手や足は人間と同じだから余計気持ち悪く感じる。
「時に少年。聞きたいことは全てかな?」
暫く二人で黙った後、急に雪の人が僕に尋ねてきた。
「うん、特には……」
そういうと雪の人は
「隠すことは無いさ。僕は君の見方だよ」
その言葉に少し勇気づけられて……
「実はね……」
僕はいじめの話を雪の人にした。話しているだけで胸の奥が熱くなるような気持ち悪い感じがした。
「……そうか、そんなことが」
雪の人は最後まで話を真面目に聞いてくれた。
「君はどうしたい?」
「どうしたいって?」
雪の人の思いもしない言葉に僕は思わず聞き返してしまう。
「その君に危害を加えてくる輩に君は何を望むんだい?制裁か、更生か、それともそれ以外か?」
言ってる意味が分からなかった。難しい言葉を並べてくる雪の人の声の真剣さが僕には少しだけ怖かった。
「どういうこと?セイサイとかコウセイとか。難しい言葉はわからないよ」
僕は正直に意味が分からないと伝えた。この時から雪の人の顔が急に恐ろしくなってきたように感じた。
「つまり、君が感じてきたのと同じくらいの苦痛を彼らに与えるか、彼らをもう君をいじめられないように反省させるか、ってことだよ」
言っていることの意味が分からない。いや、分かるけど混乱してしまった。
「それはつまり、雪の人ならあいつらを懲らしめられるってこと?」
「賢いね。その通りさ。」
雪の人は言った。その顔は笑顔だったのにやっぱりすごく怖かった。
「懲らしめるって、どうするの?」
僕はびくびくしながら聞いてみた。
「本当に聞くのかい?」
僕は次の言葉が出なかった。やっぱり怖い。怒った時の母さんとも違う背筋が凍るような怖さだった。
「……いや、いい」
「やっぱり君は賢い。そういうところが君の良いところだよ」
「じゃあ君に一つアドバイスだ」
雪の人が怖い顔を僕に向ける。その顔は今までに見たことないくらい優しそうだった。
「君はもう少し自分の内面に気をかけた方がいい。力に気をかけても良いし、自分の負の面を分析するのも良い。そうやって自分をよく知るんだ。それが後々君を守ることにもつながるよ」
そう言うと雪の人は立ち上がってどこかに行ってしまった。その間僕は声を出すことができなかった。
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