混沌ラスト

第29話 再スタート

 俺は何事も無かったかのように、そこに居た。

 目が覚めた時に居たのは、見慣れたシシ堂の一室。店が終わって俺たちが談笑していた場所。朝になっていたらしく、窓からは日の光が差し込んでいる。


「はっ! そ、そうだ! 昨日! あっ! リ、リルンは!?」


 居るのは俺とサジェス、そしてネトムのみ。サジェスとネトムはまだ眠っているのか、机に突っ伏したままだ。リルンとヒールさんの姿は見えない。

 リルンはかなりのダメージを負っていたはずだ。放っておいたら死んでしまうじゃないかってくらい……早く手当てしなきゃとか言ってたくせに、俺は一体今まで何をやっていたんだ。


 しかし当のリルンが見当たらない。


「リルン……!」


 俺は勢いよくドアを開けた。見えるのはいつもと変わらない厨房、カウンター、テーブル席……あれは。

 一番端にあるテーブル席に、リルンとヒールさんの姿。リルンは机に突っ伏しており、ヒールさんはその横に立っている。

 俺は居ても立ってもいられなくなって、二人に駆け寄った。


「ヒ、ヒールさん! リルンは……!」

「大丈夫ですよ。私の特性で、今は傷も治っています。まあ服は……直せませんでしたけど」


 リルンの服は一部引き裂かれ、血まみれで酷いことになっていたが、当の本人は安らかな寝息を立てている。よかった、無事だったんだ。俺は胸を撫で下ろす。


「トウマさんの傷も治しておきましたが……身体は大丈夫ですか?」

「え? あ、ああそういえば……大丈夫です。治してくれて、ありがとうございました」


 そうだ。俺も結構な重症を負ったんだった。すっかり忘れていた。しかし服の腹の部分は、傷の痕跡を表すかのようにざっくり切れている。血もついたままだった。

 そう……あまりの展開に着いていけず、俺は目の前のことにばかり気をとられ、失念していたのだ。俺の姿を見て、ヒールさんは素朴な疑問を投げかけた。


「トウマさん、貴方、その髪の色はなんですか?」


 一瞬息が止まる。

 俺の頭を纏う布はない。リルンの止血に使ってしまったからだ。つまり俺は「黒髪」を晒しているのだ。ヒールさんに、誰よりも「悪魔」を憎むヒールさんに。


 ヒールさんは冷たい目を俺に向ける。

「説明を、していただけますか? トウマさんは、私を騙していたということでしょうか」

「ち、違……! 違います! これはその、悪魔とは全然関係ないんです!」

「では、一体どういうことでしょうか」


 一歩一歩近付くヒールさんが怖い。


「……トウマさん、昨日のあれは……一体なんだったのでしょうか」

「……それはっ……俺にも、よくわからないです」

「ようやく、ようやく決着をつけられると思ったのに、また奴らを取り逃がしてしまいました……私、今まで何をしていたのでしょう」

「俺はその場に居なかったから、こんなことを言うのもあれですけど……ヒールさんはよくやったと思います。悪魔相手に、きっと勇敢に戦ったんだと思います。じゃなきゃ……こんな、無事に帰れませんよ」

「私をおちょくっているんですか!?」


 ヒールさんは涙を滲ませながら、俺に杖を向ける。その姿は、俺の心を揺さぶるには十分すぎるほど。俺は何も言えなくなってしまった。


「私、あの世界に行った時のこと、よく覚えてないんです。サジェス君が子供の悪魔に連れ去られて、その後大人の……私の弟を殺した悪魔を見たところまでは覚えているんですけど、それからどうなったのかは……サジェス君が無事な様子を見て、少し安心しましたが……やはり、自分の無力さを嘆かずにはいられないのです」


 ヒールさんは知らない。自分の中に眠る、もう一つの人格の存在を。恐らく、「もう一人の」ヒールさんが悪魔を撃退したんだろうけど、それをどう説明すべきか。

 「貴女の中にはもう一人の自分がいます!」なんて話、易々と信じてもらえるのだろうか。俺だったら信じない……けど、ついさっき未来の自分と会ったばかりだからなあ。


「でも、こんな私にも……復讐の、仇を討つ機会を得ることが出来たんです。トウマさん、貴方ですよ。『悪魔』である貴方は、私の仇なんです」

「待ってください……! 俺は悪魔じゃありません!」

「黙って殺されてください。死んでください。この機会、逃すわけにはいかないんです。無力な私は、この機会を生かさないと……生かさないと……」


 ヒールさんは身体を震わせ、俯く。涙が床に落ちていくが、こういった時なんて言えばいいのかわからない。下手したら俺は殺される。

 けど……ヒールさんが俺を殺すとか、そんなこと全然想像出来なかった。


「……ヒールさんは、無力なんかじゃないですよ」

「何を……!」

「ヒールさんは、リルンを助けてくれたじゃないですか」


 だから、今の俺から言えるのはこれだけだ。


「俺じゃ絶対リルンを助けられなかったです。でも、ヒールさんはリルンの手当てをしてくれた。それに俺の手当ても……俺は悪魔を倒すことよりも、目の前の命を救うことの方が大事だと思います」


 ヒールさんは俺の訴えを黙って聞いていた。

 俺は、正しい選択をしたのだろうか。それはわからない。でも、ヒールさんが杖を下ろしたのを見ると、俺の選択は決して間違っていなかったはずだ。


「目の前の命……ですか。確かにトウマさんの言う通り、大切な人を守ることは、大事ですよね」

「ひ、ヒールさん? 何処へ行くんですか?」


 ヒールさんは店のドアに向かって歩いていく。


「突然で申し訳ありませんが……私、ここを出て行くことにします」

「ど、どうしてそんないきなり……」

「悪魔とこんなにまで接近したことを、報告に行かねばなりません。私の他にも調査に乗り出している人がいますし、情報を共有したいと思うのです。シシグマさんやリルンさんに何も言わずに出ていくのは失礼ですが、時間が惜しいので」

「ま、待ってください。俺を……殺さないんですか……? ていうかそもそも、なんで俺の傷の手当てなんて……」


 ヒールさんは去り際、こんなことを言い残して出ていった。


「さあ、なんででしょうね」


 ヒールさんの目から、涙が消えることはついになかった。



 王食祭まで、あと三日だ。

 昨日起きたことが未だに信じられないし、消化しきれてないところがあるけど……あれ、全部一日で起きたことなんだよな。

 まず何が起きた? 新メニュー思い付いて、そしたらヒールさんとサジェスがピンチになってて、帰ったらリルンはメイド服着てるわ、不審者登場するわ、それで別世界に飛ばされて……?


「あ~~~~~~! ややこしいなあもう!」

「トウマ! うるさい!」

「でっ!?」


 考え込みながら料理を運んでいると、リルンにどつかれてしまった。お前、なんかめちゃくちゃ元気だな。ヒールさんの回復のおかげか?

 リルンの服はボロボロになってしまったため、今はシシグマさんのおさがりを着ている。しかし結構ぶかぶかなので、服に着られてる感じがすごい。大丈夫か……これ? 袖とかめちゃくちゃ余ってるじゃん。下はなんとかベルトで固定されてるけど……なんか今にも脱げそうだな?

 俺はというと、腰にエプロンをつけて血痕をごまかし、頭には薄汚れた布を巻き付けている。厨房にあったので、それをちょっと拝借した。シシグマさんには、布を頭に巻き付けてから事後報告をした。シシグマさんいわく、俺が頭に巻き付けた布は雑巾のようなものらしい。

 ……どうりで薄汚れているわけだ。


 今店はとても混雑しており、俺もリルンもネトムも、忙しなく料理を運んでいた。こんな時に考え事とか、仕事を舐めてるのも同然かもしれない。


「なあリルン、お前昨日のことなんとも思わねえのか?」

「はあ? 今はそんなこと考えてる場合じゃねーだろ!」

「仕事してる時も、ちょっと頭によぎったりとか……」

「あたしは、一度に二つのことを考えるのが苦手なんだよ!」


 なんか逆に羨ましいな、その性格。

 リルンは両手に料理を持って行ってしまった。それにしても、こんなに繁盛するなんて思ってもいなかった。新メニューのおかげか? にしても、人が多すぎる気がする。まあ、繁盛することが悪いことじゃないけどさ。


 窓の外を見ると、外には人だかりが出来ていた。嘘だろ? この人数、全員うちの客か? いや……なんか隣の店にも行ってるな……それにしても異様だ。この状況、なんかおかしくないか? 今日この辺でイベントとかあったっけ?

 そんな風に疑問に思っていると、ネトムが近付いてきた。


「うひゃー、全く人手が足りないよ。ヒールさんもサジェスもいないし、なんでこんなに客が来るのかねえ……ってか、あの二人は何処へ?」

「ヒールさんは悪魔の調査報告で出て行った。サジェスも家に戻った」

「えー? 何も言わずに? ちょっとそれはカッコよくない?」

「ヒールさんはともかく、サジェスはちゃんと挨拶してたよ! お前、そん時寝てただろ!」

「仕方ないじゃん、あんなことがあったんだしさあ。皆切り替え早すぎなんだよ」


 俺とネトムはすっかり軽口を叩ける仲になっていた。

 昨日の今日を考えると、ものすごい関係の発展だが……昨日の敵は今日の友、とか言うだろ? まあ色々あったから多少後ろめたいところもあるけど、なんとかやっていけそうでよかった。

 ……今度、またちゃんと謝らないとな。


「お客さん、多いよねえ。ほんと、なんでこんなに繁盛したんだか」

「店にとってはいいことだろ?」

「にしても、だよ。ちょっと手に負えないな。嬉しい誤算ってのはこのことを言うのかもね」

「まあ……確かに数が多すぎて、ちょっと変だなとは思うけど」

「限度があるでしょ。このペースじゃあ、食材が尽きそうだよ」


 あー、忙しい忙しい。

 そんなことをぼやきながら、ネトムは厨房へ入っていった。シシグマさんは休むことなく料理に没頭してるし、あのリルンも真面目に働いている。

 ……俺も、ちゃんと店に貢献しないと。

 客への疑問を振り払い、俺は仕事に戻った。



 俺とリルンは机を拭いたり、食器の後片付けをするため、店内をうろうろしていた。目の前には大量の皿。うわあ……これ全部洗うの大変そうだな。

 店は夜になる前に閉まってしまった。食材が底を尽きたのだ。シシグマさんもこれは想定外だったらしく、明日の店をどうしようか、王食祭はどうしようか、ずっと厨房で唸っている。

 ネトムは唸るシシグマさんを、下から覗き込む。


「親方、やっぱり一人じゃ無理だと思うんすよ。だから俺も厨房、入らせてもらえないっすかね?」

「駄目だ。料理は全て俺が担当する」

「でもこんなにお客さん入っちゃあ、親方だって大変でしょ」

「なんとかなる」

「なんとかなってないっすよ! 現に! 今日だって! こういう時は俺を頼ってください! 俺、教えてもらえば出来るっすよ!」

「……料理の質を落とすわけにはいかない」

「でも!」

「お前に出来るのか? お前は、料理の経験があるわけでもない。食材を切ったり、香辛料の調合は出来るかもしれないが、実際に火を扱ったことはないだろう」


 横から聞いていただけだが、シシグマさんの言うことは尤もだ。客が増えたからといって、料理の質を落としていいことにはならない。シシグマさんがこだわるのもわかるけど……

 でも今は、こんなことを言ってる場合じゃない気がする。現に、厨房の人手は全然足りてない。食材も足りないし、俺に何か出来ることは……


「……そうだ!」

「なんだよ急に大声出して!」


 閃いた俺に、怪訝な顔をするリルン。あるじゃないか、俺に出来ること!


「シシグマさん! ちょっと俺、モンスター狩ってきます!」

「こ、こんな時間にか?」

「食材が足りてないんですよね? だったら、俺が調達してきます!」


 今まで何度もやってきたことだ。今やらなくてどうする。今こそやるべきだろう。せっかく特性があるんだ、しっかり生かさないと。


「むしろ、俺を使ってくださいよ! 食材調達して来いって言われたら、俺すぐにでも行きますし! 食材不足なんてなくなるほど、ばんばんモンスター狩って来ますよ!」

「それは……いや、いくら店のためとはいえ、それはトウマの負担が大きすぎる」

「遠慮なんていいんですよ! これも店のため、王食祭のためです!」

「あたしも行くぜ! モンスターの十匹や百匹なんて、あたしの敵じゃねえからな!」

「リルンまで……」

「……どうしたんですか、シシグマさん。なんか、ちょっと今日変ですよ?」


 どうもさっきからシシグマさんの様子がおかしい。遠慮して一歩引いてる感じがする。

 そういえば今日、誰もシシグマさんに怒られてないし……行動が遅い! とか怒られても不思議じゃなかったのにな。

 シシグマさんは、ばつが悪そうに切り出した。


「……すまない。俺は、お前たちを騙していた」

「え……? だ、騙していた?」

「王食祭のことなんだがな、あれは一番にならないと賞金はもらえないんだ。だが……一番になるのは至難の技だ。なんせ、この街全体の飲食店が競うんだからな」

「えっと……? つまり?」

「……この店が一番になる可能性は極めて低い。少し前に開店したばかりで、知名度も低いからな。だから……賞金をお前たちにやることが出来ないかもしれない」


 俺はてっきり、そこそこ上位だったら賞金がもらえるものだと思っていた。しかし賞金がもらえるのは一番だけ……この街の規模を考えると、一番になるのは一体どのくらいの確率なんだろう。

 一番を狙うことは、無謀なのか? けど、やる前から諦めてどうする。結果がどうなるかなんて、わからないじゃないか。


「……でも、もしかしたら狙えるかもしれない……でしょう? 可能性がないわけじゃない」

「だがしかし……」

「だったら、一番になるために頑張るだけです。やる前から諦める必要は、ないと思いますよ。大変なことかもしれませんけど、俺は……出来るって信じてます」


 この時の俺は、笑顔だったと思う。

 きっとシシグマさんは自信をなくしているんだ。今日はたくさん人が来たから、気が滅入ったのかもしれない。

 でも、俺はシシグマさんの料理を信じてる。シシグマさんの作る料理は、本当に美味しいんだ。一番がなんだ、シシグマさんなら絶対取れる。


「あっ、でも……料理を作るのは俺たちじゃなくて、シシグマさんですよね。すみません、出過ぎたことを言いました……」

「いや、別に気にしてないが……いいのか? お前やリルンは、賞金を目当てに店の手伝いをしている。その賞金がもらえないとなると……」

「なーに言ってんだよ! あたしは、元より賞金がもらえないなんて考えてないぜ?」


 リルンは俺とシシグマさんの間に入ってきた。

 そうか、こいつもシシグマさんを信じているんだ。シシグマさんの味を。


「あたしは賞金がもらえるって言うんで協力してんだ、賞金の話は無しなんて納得しねーぜ? だからやるっきゃねーだろ、賞金取りに」


 リルンは拳と手のひらを突き合わせる。頼もしい笑顔だ。

 シシグマさんは俺とリルンの言葉を聞いて、目を丸くしていた。


「そう……言ってくれるとはな。ありがとう」

「だから、俺たちは賞金取るためになんでもやりますから! 安心してこき使ってください!」


 それに金の話を聞いて、黙ってはいられない。貧乏人は貪欲なんだ。金のためならなんだってする。


「俺、食材調達に行ってきます! まずは明日の店のことを考えないと……! 行くぞ、リルン!」

「待てよトウマ! あたしを置いてくな!」


 俺とリルンは店を飛び出した。外はすっかり暗くなっていたが、俺たちはそんなこと気にしなかった。


「……まさか、励まされるなんてな」

「……いいんすか、親方。あの二人、行っちゃったっすけど」

「二人が協力してくれるのは、願ってもない話だからな。俺はとにかく、明日の店に備えるだけだ」

「大丈夫っすかねえあの二人……昨日、あんなことがあったばっかなのに……」

「昨日、何かあったのか?」

「……いや、なんでもないっす」


 そんなシシグマさんとネトムのやり取りは、俺とリルンに全く届かなかった。

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