第7話 草を食べる
リルンは俺に引っ張られている間、ずっと騒いでいた。口汚く俺を罵り、訳のわからないことを喚いて、とにかくやかましかった。
宛てもなく森の中を彷徨い、太陽が完全に昇りきった頃、俺はとんでもない空腹感に襲われた。
「は、腹減った……」
リルンを引っ張るのも、体力の限界だ。この辺は村からだいぶ離れているし、もう離しても大丈夫だろう。
そういえば俺は、昨日から何も食べていなかったのだ。昨日はそれどころじゃなかったから、空腹も忘れていたけど、いざ色々一段落すると急に襲ってくるもんだな。
そういや、リルンも昨日から何も口にしていなかったはずだ。あんなに騒いで体力は平気だろうか?
「おい! トウマ! よくもこんなとこまであたしを引きずりやがったな!?」
「元気だな……はは、今はお前と口喧嘩する気も起きねえや……」
「あたしをどうするつもりなんだ! まさか、ジェイドたちみたいに売り飛ばすつもりじゃ……!」
「んなことしねえって……あ~~勢いで連れて来たけどこれからどうすれば……」
よくよく考えてみれば、俺はこの世界で一人ぼっちなのだ。知り合いもいない、頼れる人もいない、そして金も無い。
ぐううううう。
「……その前にまず、腹ごしらえだな」
「う……あたしも腹減った……」
「一時休戦だ。まず食べ物を確保しねえと」
俺は辺りを見渡した。食べられそうな木の実はあるだろうか? しかしそんなものは無さそうだ。
そうだ、リルンなら何か知ってるかもしれない。
「なあリルン。この辺に食べられそうな物ってあるか?」
「知らねえよそんなの……知ってたら食い物に困ってねえ」
「はは……まあそうだよなあ……」
当てが外れてしまった。そんなに期待してなかったけども。
俺はこの世界を全く知らない。この世界にはどんな食べ物があるのか、全く知らないのだ。もしかしたら俺の知らない食文化が進んでいるのかもしれないし、元の世界と全く同じ食文化があるのかもしれない。
その辺に関しちゃ、見当もつかないのだ。この状態は危ういな。
不用意に森の中にある食べられそうな物を探すのも、案外危険なのかもしれない。知らずに毒物を口にしてしまったら、大惨事だ。
だから一先ず森を出て、何処か街にでも出た方がいいのだろうけど……
「あ~~~~駄目だ。考えれば考えるほど空腹が襲ってくる~~~~よく考えなきゃいけないことなのに!」
「トウマ、結局飯はどうすんだよ?」
「ちったあお前も考えろや……まあいい。こうなったら超緊急手段だ」
「はあ?」
貧乏人の知恵。生かす時が来たようだ。
「草を食べる」
……決して頭がおかしくなったわけではない。俺は大真面目である。真剣にこれを提案している。
しかしリルンは顔を青ざめて、信じられないものを見るような目を俺に向けた。
「は!? は!? は!? 草ぁ!? 何考えてんだよ! とうとう頭がやられちまったか!?」
「頭は正常だ……これ以上無いくらいにな!」
「嘘だ! まともな奴は草を食うとか言わねえよ!」
「いや、俺はまともだ。本気で草を食おうとしてる」
「どうしちまったんだよ! 草を食おうとか正気の沙汰じゃねえよ! 草なんか食えるか!」
「あっまああああい!」
俺はびしっとリルンに指を差す。
リルン、その考えは甘すぎるぜ。
「いざとなれば草も食うんだよ! 草は食えるんだ! 皆知らないだけで草は食えるんだよおお! 例えば野菜とか、もろ草じゃねえか! 皆は野菜野菜って言ってるけど、あれ結局ほとんどは草だからな!?」
「はあ!? や、野菜!?」
「そう! や、さ、い! 野外の菜! 名前がもう草じゃねえか! あれを皆は毎日毎日食ってるんだぞ!」
「けど! 野菜だって草じゃないものはたくさん……」
「他にも! なんか女子が好きっていうハーブ! あれも草だ! つまりあの女子たちは『草大好き♪』って言ってるようなもんだからな!?」
「何さっきからわけのわかんねえ話してんだよ!」
草の魅力はこれだけじゃないぞ。
まだまだたくさんあるんだ。
「家に米が無い時! いつも我が家を救ってくれたのは草だった! 草はそこら中に生えている! 食べ物に困った時、真っ先に頼りになるのが草だ! 草はタダだし、量に困ることもない! つまり! 草は無敵なんだ!」
「一回頭を冷やせ! お前ずっとおかしいよ!」
最早、自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。空腹はそれほどまでに、思考力を奪うってことか。恐るべし。
本来、こういう時はもっと慎重になるべきなのだが、今の俺にはそれが出来なかった。理性は崩壊し、徐にその辺に生えていた草を手に取る。
「トウマ! やめろ! そんなことしたら、マジでお前人間として終わるぞ!」
「生きるためだ……仕方ないんだよリルン」
「トウマ! 戻ってこい!」
「毒だったら洒落になんねえな……まあいいさ。どうせ俺は一回終わったようなものだし……恐れることは何もない……」
「トウマー!」
「こんなん、昨日に比べれば全然怖くねえよ……」
俺は覚悟を決めて、その草を口に入れる。
「いただきます!」
一応味はする。草の味だ。無農薬で天然の、純粋な草だ。
少し噛み切るのに苦労はするが、食べられないわけじゃない。毒は無さそうだ。
「食える……食える! 大丈夫だ、毒は無い。さあ、リルンも……」
「嫌だ! あたしはまだ人間やめたくない!」
「そう言わずに……お前も腹が減ってるんだろ?」
「うう……」
「躊躇うことは無い。これは生きるために必要なんだ……さあ、食え!」
差し出された草を、嫌そうに受け取るリルン。
この世の終わりみたいな表情を浮かべ、固まってしまった。
「これを……食えと?」
「歯応えは悪いが、味は悪くない」
「でも……」
「食うんだ。生きたいならな」
「くっ……」
リルンはぎゅっと目を瞑り、何かに耐えながら手を小刻みに震わせていた。
しかし意を決したのか、ゆっくりとその草を口へ持っていく。
そして。
「………………美味い」
泣きながらそう雫した。
「うん……いけるよ……草も……うん……」
「だろ!? こっちの草もいけるぜ! ほら!」
「うん……そうだな……うん……」
リルンは急に大人しくなってしまった。しおらしくしてるなんて、珍しいな。
「そうかそうか! 泣くほど美味いか! 草も案外美味いだろ? はは!」
「あたし……あたし、人間やめちゃ……」
「さあじゃんじゃん食え! この辺の草は毒も無いみたいだし、安心だな!」
「ああ……ああ」
その後、調子に乗った俺たちは揃って腹を壊してしまった。やはり異世界の物を、軽々しく食すもんじゃないな。
腹痛も治まり、夕方になろうとした頃。俺たちはようやく街に辿り着いた。もうあと少ししたら、街である。
「ま、街だ! 街が見えてきた! よかった……これでもう野宿しなくて済むな!」
「トウマ、宿代持ってんの?」
「あ……そ、それは……」
「それに、その格好で大丈夫かよ? 黒髪。多分ドストー村と同じことになるぞ?」
しまった。失念していた。俺は一文無しの上、周囲から疎まれる姿をしていたんだった。
金が無いのは仕方ないとして……この見た目が疎まれるのはどうしても納得がいかない。差別だ差別。黒髪に対する。言っとくけど、俺が住んでいた所では黒髪が普通なんだからな?
けどこんな恨み言を考えていたって、どうしようもない。これがこの世界の常みたいなものらしいし……
郷に入っては郷に従え。状況に順応するためには、まずこの世界のルールに合わせねえと。腑に落ちないところはあるにせよ、だ。
「じゃあ俺は……この黒髪をなんとかしない限り、あの街には入れないってことか」
「まあ、そういうことだな」
「髪の毛を隠せそうなもの……はないか。じゃあ髪を染めるもの! 泥水でもいい! 黒髪じゃなきゃいいんだ。色……色……染められるものは……」
無い。これは完全に詰んだ。
途方に暮れる俺を見て、リルンはにっこり笑った。
「……なら、あたしが先に街行って、その髪どうにかしてくるもん探してくるよ」
「え!? ほんとか!?」
「ああ。金ならある……あの村で盗った物がちょっとあるから、心配すんな」
「は!? お前、窃盗もしてたのか!?」
「当たり前だろ。ジェイド団はそういうとこなんだよ」
「ふざけんな! そんな金使えねえよ! てかそれは村の人に返さねえと!」
「他に方法あんのか? ねえだろ。綺麗事ばっかじゃ、この世の中渡ってけねえって」
確かに、リルンの言う通りだ。綺麗事だけじゃ生きていけないって、俺が一番よくわかってるじゃないか。
でも、どんなに貧乏でも犯罪に手を染めるようなことはしたくなかった。そこまで落ちぶれたくはない。どんなに貧乏でも、心まで貧乏になってしまったらおしまいだ。それは俺のプライドが許せなかった。
しかし……今はそれに縋るしかない。
考えた末、俺は了承した。
「わかったよ……」
「じゃ、決まりだな。そんな顔すんなって!」
「けど……」
「気にすることじゃねえよ! これからこういうことは、たくさんあるんだから。いちいち気にしてるようじゃ、生き残れないぜ?」
生き残る、か……その通り、なのかもしれない。
自分が生きるためには、他人を顧みないという考えは好きじゃないけども。ここはそうするしかない、のか……
「そんじゃーちょっくら行ってくるわ」
リルンはそのまま行ってしまう。どんどんその姿は小さくなっていき、俺は伸ばしかけた手を引っ込めた。
あ。待てよ? これ、俺置いていかれてない?
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