第3話 急展開すぎない?

 俺とリルンは、村から出て森の中を走っていた。宛てもなく、ただひたすら追っ手から逃げている。


「リルン! 俺たちは何処へ逃げるんだよ?」

「知らない!」

「は、はあ!? じゃあ、この辺に何処か隠れるとことかないのか!?」

「無い!」

「ねえのかよ! あっ、そうだここ森じゃねえか! 木の裏に隠れて、ひとまずやり過ごそうぜ!?」

「ジェイドにそんなの通用しない! ジェイドだけじゃなくて、あいつらは生き物の気配に敏感なんだ! 隠れてもすぐ見つかる!」

「じゃあどうするんだよ!」

「あいつらが追って来れないとこまで、走り続ける!」


 走り続ける? いつまで? もしかしてずっと? あいつら馬とか持ってなかった? え? 無理じゃん? 普通に終わってね?


「馬鹿!」


 気付けば考えるより先に、その言葉が出ていた。リルンは目を丸くしている。


「追って来れないとこまで走り続ける? 馬鹿じゃねえの!? この、馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! あいつら馬持ってたよな!? 絶対いつか追い付かれるだろ! だからこの辺で何か対策打っとかないと、俺たち詰むんだよ!」


「は……!?」


 一度言ってしまったが最後。もう止まらない。


「ああああほんっっとマジでどうすんだよこれ! 止まっても死ぬ、走っても死ぬ、死ぬ未来しか見えねえよ! ……ゲッホ! てか、走りながら喋らすんじゃ、ね! え! やべ、息……」


 俺の足は止まってしまった。息も絶え絶え、髪はボサボサ、恐らく俺の容姿は酷いことになっているだろう。


「止まってるんじゃねえよ! 走れ! 走るんだよ!」

「む、無理、は、は、げ、げんか……い……」

「弱っちいなー! ほら! 早く!」


 急かすリルン。どうしてそんなに元気なんだ。息も全く乱れてない。疲れ知らずかこいつ。いやもうここまでくると、ゾンビの域じゃねえのか?


「ちった、あ、休ませ……ろ」

「休んでる暇なんてねえんだって! 早くしないとジェイドたちが」

「俺がなんだって?」


 え?

 振り向くと、そこには大男……もとい、ジェイドとその仲間たち。

 嘘だろ? どうやって追い付いたんだ?


「随分と勝手なことしてくれたなあ、リルン。こいつを連れて、どうするつもりだったんだ?」

「か……関係ねえだろ、もう!」

「そうはいかねえ。こちとら商売だからなあ。勝手に『商品』持ってかれると困るんだよ」


 そう言いながら、ジェイドは不敵な笑みを浮かべた。

 全身が叫んでいる。こいつはやばいと。早く逃げろと。でも足がすくんで動けない。何故だ? 男が殺された時も、村人に囲まれた時も、足は動いたのに。


 目の前に立つこの男は、俺が動くことを許してはくれなかった。

 雰囲気で圧倒し、俺を恐怖の底から動けなくした。何もせず、ただ佇んでいるだけで。


(今度こそ……終わりだ)


 そう確信した。


 しかし、俺と違ってリルンは怯むことなくジェイドを睨み付ける。


「商品……ってのは、あたしもか?」

「ああ」

「こいつと一緒に、あたしも『奴隷』として売るつもりだったのか?」

「ああ」

「最初から……ずっとそうだったのか?」


 俯いたリルンの問いにジェイドは、


「はははは! 当たりめえだろ。今までそのつもりで育ててきたんだ。頃合いを見て、売る予定だったんだよ! おめえがヘマしなくても、遅かれ早かれこうなってたろうよ。ったくよお……『商品』が手間かけさせやがって……」


 歯を見せて笑ってみせた。


「ジェイドにとってあたしは、その程度にしか思われてなかったのかよ!」


 涙が、落ちた。

 決して涙を落とそうとしなかった赤い瞳から、涙が落ちた。頬を伝い、服に、地面に、滴り落ちる。

 小さい身体からは、悲しみ、怒り、憎しみが溢れ出ていた。何処にそんなパワーがあるんだろう。お前、多分俺より年下だよな? それなのに、それなのに。


「皆と……皆と過ごした時間は、なんだったんだよ!」


 どうしてそんな顔、出来るんだよ。

 少なくとも、お前がしていい顔じゃねえよ。


 激しい感情で歪んだ顔は、少女の顔をしていなかった。

 リルンは二本の短剣を手に取って構える。


「家族じゃ、なかったのかよ……! なあ! ジェイド!」


 そのまま、ジェイドに向かって斬りかかっていく。俺はその姿を見ていることしか出来なかった。

 ジェイドはそれを嘲笑うかのように、リルンの腹を蹴り上げる。勢いよく吹っ飛んだリルンは、そのまま地面に倒れた。持っていた短剣の一つは、俺の足元に転がる。


「威勢はその程度か? 口ほどにもねえ。おい、こいつらを縛って連れてけ」


 ジェイドは仲間にそう指示する。ジェイドの後ろから、男たちがリルンの元へ駆け寄ろうとする。


 いや……目の前で起こってることが衝撃的すぎて、正直今も状況を把握するのに必死だけどさ……


「そりゃあねえよ……」


 俺の呟きが聞こえたのか、男たちは動きを止める。


 だって、いきなり知らない所に来て? 奴隷として売り飛ばされそうになったり? そんでいきなり、そっから逃げようって話になって? で、今度は裏切りが発覚というかそんな感じで……


 ほんとわけわかんねえ。でもこれだけは言える。


「お前ら……最低だな」


 恐怖はもちろんあった。でもそれよりも今は、身を焦がす怒りが身体を突き動かす。


「仲間に向かってそれはねえだろ……商品とか、ましてや蹴るなんて……お前ら本当に人間か? 人間の心はあるのか? 俺はこんな外道初めて見たぞ……」


 足元に転がっている、リルンの短剣を徐に持つ。


「俺は! お前らの事情なんか知らねえよ! でもな! 人間を商品呼ばわりしたり、暴力を振るうなんてこと、どんなことがあっても絶対しちゃいけねえだろ!」


 どうしてこんな大口を叩けたのか、自分でもわからない。

 けど、リルンの涙。あの涙は流させるべきじゃなかった。リルンの叫びは見てるこっちが心苦しくなるもので、俺の胸を打った。


 なんで同情なんてしたかなあ、一度は俺を売り飛ばそうとした奴だぜ?


 もしかしたら仲間に裏切られたと嘆くリルンに、自分を重ねたのかもしれないな。

 貧乏人は、常に人から舐められ、蔑まれ、疎まれる。俺も幾度となく人に騙され、裏切られてきた。だからリルンの悔しい気持ち、悲しい気持ちは痛いほどよくわかる。


「おいおい、先に手を出そうとしたのはそっちだ。俺はそれに対抗したまでだぜ?」


 ジェイドは俺の話なんか、これっぽっちも相手にする気はないようだ。俺は右手に持った短剣を、強く握りしめる。


「……謝罪する様子はないみたいだな」

「よく喋るねえ。関心関心。こりゃあ高値で売れそうだ」

「ふざけんじゃねえええ!」


 ここに来てからの理不尽な仕打ち――その募り積もった怒りが、爆発した。俺は疲れていたことも忘れ、ジェイドに向かって走り出す。


 ジェイドを斬ろうとしたのだろうか。でも、一発殴ってやりたい気持ちはあった。さっき「暴力は駄目だ」って言ったくせに、早くも行動が矛盾している。


 俺の剣は、ジェイドに届いた。けど、俺が思っていたのとは全く違った。


 ジェイドは、俺の剣を素手で受け止めていた。


「つまんない攻撃するねえ」


 完全に遊ばれてる。全然歯が立たない。剣に力を込めているのに、微動だにしない。


「でけえ口叩いた割りに、大したことねえじゃねえか」


 でもおかしい。血が出ないのは、あまりにもおかしい。この短剣は、切れ味が相当悪いのか? それとも……


「お前……人間じゃないのか?」

「あ?」

「血が一滴も出ないなんて、おかしいじゃねえか……」

「ああ、これは俺の『特性』だ」

「と……特性?」


 特性とは? ええっと、特性ってのは特別な性質っていう意味だよな?


「俺の特性はこの肉体だ。そんじょそこらの武器じゃ、俺の身体に傷一つつけることさえ出来ねえよ」

「くっ……つまり、その鍛え上げられた肉体はどんな武器も無効だと? はっ……はは……」


 無理じゃんそれ。人間、本当に追い詰められると笑ってしまうってのは本当らしい。


「ははは……は、はは、いやそんなん勝てるわけないじゃん……なんで俺、考え無しに突っ込んじゃったんだろ……」

「お? 今更後悔しても遅えよ」

「じゃあもう、俺死ぬしかないってことじゃん……はははは」

「とうとう頭がイカれちまったか? はは。笑うなよ、つられて笑っちまうじゃねえか」

「ははははは」

「ははははは」

「はははは、は、は、は!」


 その瞬間、俺の中で何かが吹っ切れた。


 全身の血の巡りが良くなった気がする。全身から力がみなぎってくる。この、力が溢れてくる感じ。なんだか不思議な感覚だ。


「おい? どうした?」


 ジェイドが俺に声をかける。けどその声は、俺の中に入ってこない。

 あとから聞いた話、この時俺は目から黒い光を放っていたらしい。全体的に黒いオーラに包まれていて、『怖い』感じがした、と目撃者は語る。


「あああああああ!」


 力が入る。右手が熱い。

 気付けば俺は、ジェイドの手を……切っていた。


「ぐぅぅ!?」


 ジェイドの手から血が出る。周囲の仲間は皆驚き、ジェイドの近くに集まってきた。


「ジェイドがやられた?」

「嘘だろ?」

「あいつ何者だ?」


 口々に動揺を露にし、顔を見合わせる。

 いや、一番びっくりしてるのは俺なんだけど。てか俺、切っちゃった? マジで? 傷害罪じゃん。喧嘩すら一度もしたことないのに。


(傷害って、罰金っていくらぐらいになるっけ? こんな奴に払いたくねえな……情状酌量の余地あるかな)


 こんなこと考えてしまうなんて、俺も人間として終わってんのかな。


「おまっ……特性、持ってたのかよ……?」

「リルン!」


 吹っ飛んでいたリルンが立ち上がる。傷が痛むのか、苦しそうだ。


「特性持ってんなら……あいつら、とっととやっちまえ!」


 苦しそうなのに、言ってることえげつねえな。ほんとタフすぎない?

 てか、俺にそんなこと頼むなや!

 そう思うのに、身体が動いているのはなんでだろうな。


「…………お前ら、俺は今非常に怒っている。何故だかわかるか? 胸糞悪いからだ。お前らのしてること、全部が、気に食わねえ」


 俺は、一番近くにあった大きな木を斬った。


「……殺されたくねえなら、俺たちから手を引け」


 木は、俺とジェイドの前に倒れる。これでもう、ジェイドたちは俺たちの元へ近寄ることは出来ない。

 そのあとに聞こえたのは、ジェイドの怒鳴り声と遠くなっていく人の足音。俺とリルンを残して、ジェイドたちは行ってしまった。


 俺たちは、助かったのだ。

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