別記譚 陸『とある新兵の話。』
別記譚 陸『とある新兵の話。』
あらすじ
軍という一般人の踏み込むことの出来ない隔離された集団生活。そんな生活の中で、夜には「指導」と題した暗い行為が行われていた…。
──────────
「そこ、何をしている。」
そのたった一言で、救われた。
建物の陰で、行われていた"指導"を制止する声。声の主に、拳を振り上げていた古参兵の動きが止まって目に見えて慌てた。
殴られていたせいで、腫れてしまった目元。狭まった視野で、見る。
そこに立っていたのは、それこそ閉鎖的な弧島の軍属としては異例な存在──『 』だった。
──────
どこの配属であろうと新兵が、古参兵から"指導"と題した鉄拳を喰らうのはままある事だ。ましてや、少し実績があると尚更。目立ってしまう。何せ、この孤島は逃げ場がない。だから、目立たないように過ごそうとしても些細な理由をつけて、(一部の立場が
「おい、オマエ。着いてこい。」
ああ、今日もか。
自分は、この繰り返される古参兵からの指導に半ば諦めていた。
男の場合は、分かりやすい。ただ黙って耐えていれば、相手の気が済むのを待つだけ。むしろ、陰湿で話題にするのも遠慮するのは女性軍人たちでの"指導"だろう。
何となく見かけたことがあるが、あれは、
まだ、肉体への傷なら治るのを我慢すれば良い。だが、中には耐えきれなくて配属先の変更や軍を辞めていく奴もいる。でも、そんなの古参兵の思うつぼだ。
古参兵は、下卑た笑みを浮かべる。
やめたらしいぜ。
なんだよ、指導の甲斐なしってか?
本当に、根性がない。
消灯間近の食堂の真ん中で、ゲラゲラと配給品である酒を片手に笑うのだ。舌打ちをするしかない。
こんな古参兵を干せる立場になり上がらなければ。
そう、決意しつつも指導が始まれば抵抗はしない。守りに徹して、終わるのを待つ。
──でも、今夜の指導はさすがにヤバい。頭を蹴ってきた奴、その蹴りの当たりどころが悪かったのかコメカミからの出血が止まらない。視界もグラグラとしている。こんな、場所で指導の最中で終わるのか?
悔しさはある。あるけれど、指先が冷えてきたし。呼吸をするのも辛い。ああ、嫌だなぁ。
──どうせなら、国の犠牲になりたかった。
自分に、守りたいような相手はいない。自然災害の爪痕が深く残ったせいで復興してきれなかった街の出身だからだ。
身内らしい身内は、過去の自然災害やらテロ事件に巻き込まれて逝ってしまった。
でも、一発だけ。いや、一発でいいから殴り返したい。
「何だ、その目はよォ」
「貴様、何のために指導してやってると思ってんだ。」
ふらつく足、ボタボタと溢れる赤黒い液体、狭まった視界を鋭くして。
予備動作なしに、前へと突き出した
コイツの頬骨を折る。
そう、
何だか、胸の中が晴れた気がした。どよめく奴もいれば、掴みかかってくる奴もいる。胸ぐらを掴まれて、地面から足先がういた。大柄な古参兵による圧倒的な力で首を絞められ、そのまま右、左と殴られる。
もう、いいかな。
殴り返せたし、殴った相手は固まってみてるだけだし。なんか、ざまぁないなって思える。
無駄な抵抗は、やめよう。このまま、自分から意識を手放して──
「そこ、何をしている。」
チカッ…、白っぽい明るい光が指導場を照らした。その一言で、一様に動きが止まり。むしろ、焦っているのかザワついた。
「もう一度、問おう。
もう、断定している。有無を言わせぬ威圧感。
制止の──、鶴の一声をかけたのは、姿を見かけることはあっても関わりを持つこともなかった相手。
この孤島の中でも異例な存在(二十代半ばだと言うのに)総司令長の補佐に選ばれた若き軍人『冷突の補佐官』こと
大柄な古参兵の手から落とされた。自分は、
「貴官らの話はよくわかった。」
補佐官サマが、手招きで後ろに合図をした。ヌッ…、暗がりから姿を見せたのは、所属の部隊こそ違えど何度か合同修練会で指導員として見かけたことのある曹長殿だった。軍帽の隙間から見える曹長殿の眼差しが、とても冷ややかで。この場にいる古参兵の誰もが息を飲んだ。
「貴官らは、身をもって知るべきだろう。」
パチンッ…
指を鳴らす音が闇夜に響く。
デカいはカラダだけなのか(肝の据わりようは半人前な)大柄な古参兵から逃げ出そうと、仕置場から走り出す。だが、悲鳴も束の間。闇夜にひとつ、又ひとつと崩れていく存在たち。逃げて行く古参兵に踏まれて、追い打ちをかけられた気分だ。
けれども、もう意識を手放してもイイよな。どうして実績もない一介の新兵をわざわざ助けてくれたのかは、分からない。気まぐれ…だったのだろうか。だとしても、人を従える者の存在感は凄いものだ…
「まったく、余計なことをしてくれた。……貴官、大丈夫か。ん?おい、貴官っ!しっかりしろ、おいっ」
──────────
見慣れない白い天井…、不気味なくらいに静かな室内…。
どこだっけ、ここ。
未覚醒な意識のなかで利き手をグーパーするのを繰り返し、上半身を起こそうと試みる。
ビキッ、ズキッッッ…
「う゛っっ……」
思いきって上半身を起こすものの、言葉にならない節々の
自分は、生きている。痛みやら何やらが、一気に押し寄せてきて全身が総毛立つのが何よりもの証拠。深呼吸する。あばら骨が痛む。かなりの重症。視野の範囲でも包帯、包帯、もしくはガーゼといった明らかに"怪我人"といったナリだ。
「……やっぱ、怪我が治ったら辞めなきゃかな。あんなことされたけど古参兵、殴っちゃったし…。」
急に、喉に異物が詰まったような感じ。これから無職か、本土に戻っても過ごす場所が…と自身の今後を想像しただけで気が重くなった。
「それは、困る。」
「え、誰です…!?」
てっきりボッチだと思っていた。なのに、人が居たようだ。自分の漏れてしまった呟きに答えた存在、どこかで見た覚えがある。軍帽から見える視線は、困っているのが明らかで。相手の肩章を見て、記憶のネジが
「あ、いや、失礼しました!そ、曹長殿っ!!あの説は、お助け下さり誠にありがとうございま…グぁッ…」
お辞儀をしようと上半身を倒す。
ズッッッキン…
あばら骨に痛みが走って、すぐに元の位置に戻った─というよりベッドに背中を戻した。この器に、とんでもない痛みを与えてしまった。扉の前にいた曹長殿が、驚いたような表情で寝台に寄ってくる。
「無理するな、こんな場だ。礼節を重んじなくてもイイ。」
「ッ…ですが…」
「わたしは、
言伝ってなんだろう。
やっぱり、クビかな。でも、曹長殿とは配属違うし、ましてや部隊も違う。なんで、曹長殿なんだろう。いろいろ疑問しかないけど…、さっき困るって言ってなかったか?
自分が、呼吸をするのも辛い。それくらいに重症だと理解した曹長殿がポケットから紙切れを取り出し、話し出す。
「えっと、あった。読むよ。『…初年兵、貴官は怪我が完治したのちに配属を護衛部隊へと転属となる。この転属に異論は受け付けない。』」
「転属…?あの、自分はクビではないのでありますか!」
「クビ?それは、困ると言った。」
「よっ、よかったぁ…。」
とんでもない大恩だ。
古参兵の"指導"から助けてくださっただけでも心が救われるってのに。ましてや、軍属で居続けられるとは。
「それと、仕置場はなくなったから。安心して過ごして。……あんなクズな行為が見過ごされてたなんて島の恥だよ。」
冷たい視線。息を飲んだ。こんな視線を古参兵たちが受けたのか。嫌でも逃げたくなる。しかも、今の言葉で
あの古参兵たちは、島には居ない。
安堵で、涙がこぼれそうだ。
でも、何か引っかかる。曹長殿が読み上げた言伝を思い返す。
「あの曹長殿、自分は、これからは護衛部隊ということですが…?」
「ああ、そうだよ。今後、貴官はわたしの部下ってことになるし。大隊長殿は小埜路補佐官。」
特務師団 妖島歩兵大隊。
通称『護衛部隊』。
またの名を秘書課と呼ばれている特務師団の師団長・
心臓が強く脈打つ。痛みとかじゃない。これは、歓喜による興奮だ。
「よ…、よろしくお願い致しますっ!」
「ああ、よろしく。」
「あの…!自分はご挨拶に向かいたいのですが!」
「そんなの後だ。とりあえず、ひと月は安静だから。安静って言葉わかる?」
「あっ、はい。」
気圧される感覚とともに布団の中へ押し戻された。
一般入軍の新兵、仕置場から這い出て新たな職場!頑張ります!
───────────
~余談~
「まさか、貴方様があの新兵を拾うとは思っておりませんでした。」
「そんなに意外か。」
「ええ。日頃から流れてくる暗い話には興味なさげでしたので。」
「確かに、こんな隔離された島の中だ。少しくらいの暗い話があっても仕方が無いと思っていた。だがな。」
青年軍人は、目を通していた書類から視線をあげて、曹長の事務机のほうを見やる。
「あの新兵には、燃え尽きさせては面白くないと思ったのだ。」
「……そうですか。なかなかに気まぐれな行動ですね。それと、
「それも、予想のうちだ。ただ私は、総司令長サマに仇となる存在を許さんだけだ。」
青年軍人の言葉には、冷ややかなのに熱い意思が宿っていた。
曹長は、小さく笑う。年下なのに、出来すぎた上官様だと。
別記譚 陸『とある新兵の話。』
〜おしまい〜
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