別記譚 伍『古戸嶋の娘』
選─Senro─路
別記譚 『古戸嶋の娘』
☆あらすじ
女児だけに現れる不思議な遺伝子がある古戸嶋の一族。古戸嶋に生まれた女児の髪色は、人に愛でられる木と同じ色が多い。古戸嶋の娘である
今作は、古戸嶋の『娘』がまだ『姉』ではなかった頃の話である。
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わたし、
突然ですが『名は体を表す』という言葉をご存知でしょうか。この言葉の意味こそ、読んで字のごとくなのですけれども。
わたしの容姿は、
──
……お父様。
いいえ、わたしを物心のついた三つ、四つの時分にこの離れで暮らすように強く告げた男性は、わたしのことが嫌いなのだそうで。いえ、嫌いとは言葉にされていません。ですが、わたしを映す眼差しが酷く冷淡で、愛情の一欠片もないような色をしているのです。だから、
元より、わたしは望まれて生まれたわけではなかったようです。生まれたことが罪、その罪の
この事実は、わたしを
わたしは、最初こそ『ぬくもり』がほしくて息を潜めて暮らすように言いつけられた離れから出歩き、出歩いては、見つかり、叩かれ、罵られたりしたものです。ですが、祖母の言葉によって『ぬくもり』を求める事を辞めたのです。『忌々しい!!どうしても産みたいと、あの子が言わなければ、今頃あの男と同じ土の中だったはずなのに!!』耳を塞いでも、染み込んでしまった祖母──キンキンと耳障りな声をあげる女性──の言葉。
わたしを追い詰めることに余念がないのか、毎夜、夢に出てきます。誰もいない離れの寝室で、汗をぐっしょりとかいたまま、口から漏れるのは喘鳴です。喘鳴が落ち着いたあとに、ぬくもりの知らぬカラダを自身の熱で抱きしめて、謝罪を音にする。
それが、わたしの夜の日課なのです。
祖母の言う『あの子』というのは、わたしのお母様です。しかも、どういうわけか。わたしに同じ音の名をつけたのです。お母様が
わたしはこの名のせいで、どこまでも白くいなきゃいけないような気がするのです。
わたしが生活を送る離れには、お世話をしてくれる女中さんが出入りする程度です。しかも、やっと名前と顔が覚えられた頃には人が変わってしまうのです。
──口々に言うのです。
『不気味。笑いもしない。』『いくら奥様に似て顔が美しくても、容姿があれじゃあ』美しい…とはどう言うものに対して言うのでしょうか。大方、わたしに対して使うべき言葉ではない気がするのです。
もう、誰が出入りしているのかも覚えていないくらいです。
そもそも、この離れに姿見の鏡や手鏡などといった道具類はないのです。正直なところ、暮らすように言いつけられている、この離れが存在している理由も知りません。世間知らず、物知らずの笑わない幼い子ども。それが、
ですが、唯一。
わたしに、同情や
わたしは、秋夜さんが居てくれる時だけ息ができている。そんな気がしていました。他の人が呼んでくれなかったのに『深白お嬢さま、本日はどうされますか』『深白さま、寒くなってきましたよ』などと。秋夜さんが、わたしに笑いかけてくれる。髪をどのように結い上げるのか、どの着物のにするのか、はたまた好きなものは何か。秋夜さんが居てくれるだけで、この世にわたしも存在していい気がしたのです。
わたしの歳が、数えて六つになった頃です。世話役(通い女中)の秋夜さんが、わたしの部屋に何やら重そうに運び入れるものが増えたのです。『これは、なんですか?』そう聞けば『お嬢さまが今後、必要とする知識が身につく本ですよ』そう優しく教えてくれました。そして、言い足すように『旦那様が、運ぶようにと仰ったのですよ』とも教えてくれて、
そう事実を知るのは物が運び込まれてから半年たった頃です。その日も、真面目に脚の低い机の上に本を開いて、計算式と向かい合っていました。
『留守番しててくださいね。』秋夜さんが、母屋のほうに用があると言って出掛けた日のことです。秋夜さんは、朝の七時近くにこの離れにやって来て夕暮れ頃に帰って行く。それが、日課です。途中で離れから居なくなることは珍しいことなのです。留守番、そう言われたからには帰ってくるまで待っていようと思っていました。秋夜さんが、出掛けてから三時間くらいの経過した時間に、どうしても解けない問題と直面してしまったのです。この問題が解けなければ、次の問題が解けない。そんな基本的な問題。それが解けなかった。わたしは、どうするべきか考えました。
今になって思うのは、止しておけば良かった。秋夜さんが戻ってくるまで他のことをしていれば良かったのに。後悔したところで時間がもどりはしないのですけれども。
わたしは、教材の本と筆記用具だけ持って
祖母の声に、血の気がひいたわけではありません。わたしに、同じ音の名をくれた お母様の腕の中に抱かれている小さな生きもの。いえ、生きものと表すには不適切ですかね。
──赤子です。
ふにゃふにゃと柔らかそうなカラダをしているのが、遠目からでも見てとれます。わたしが寝起きしている部屋に置いてある教材の本の中に、『赤子』というのは何なのかを紹介するページがあったのを思い出したのです。
あとから、お父様──わたしに、冷淡すぎる視線を向けて会いに来てくださらない男性──がお母様から赤子を受け取って、抱き上げたのです。嬉しそうに笑うお父様。でも赤子が、ホギャホギャ…と鳴くのです。慌てた様子のお父様、泣き止ませ方を教える祖母、そんな二人に微笑むお母様。
──幸福。祝福。
そんな言葉を、文字ばかり書いてある本に出てきたのを思い出しました。そういった言葉は、この瞬間に使われるべきものなのでしょう。
風が、強く吹き抜けます。
驚いて、目を咄嗟につぶって開いたときに見えてしまったのです。わたしの胸が酷く痛みます。それは、赤子の頭の部分に
お母様と、同じ色の髪。
わたしには、ない。
わたしとは、違う。
わたしは、この人たちの中で存在していない。
わたしは、手に持っていた教材の本と筆記用具を庭の地面へ取り落としました。ガチャンッ…と箱型の筆記用具入れが大きな音を立てて、庭の岩へ当たって落ちました。その音に、祖母が
「あんた!何を見てるの!!」
言葉が槍のように、投げつけられます。これ以上の、追撃がないうちに走り出します。『なんて子だい!まだ生きてたなんて!!』『待て!この
たぶん、お父様が止めたのでしょう。なので、追っ手が来ることはありませんでした。
息を切らし、立て付けの悪い木製の戸を横に押し開け、足が
──泣くなんて、情けない。
この離れで暮らしている時点で、分かっていたはず。なのに、泣かずにはいられませんでした。喉がひきつり、声が思うように上げられない。止まらない涙で、自分自身が情けなかった。
この日、お留守番を言いつけた
やはり、生きている間は朝日を見ることが出来るのか。わたしは、胸の内で安堵のような、諦めのような感情が芽生えたのです。さて、身支度をします。秋夜さんが、帰ってきたら驚かれちゃいます。でも、何も言わずに『ご飯にしましょうか』と声をかけてくれるはずなのです。
──わたしは期待なんてしちゃいけないのでしょう。秋夜さんが、二日経てど、三日経てど、この離れにやって来る気配がないのです。この離れに、食料や日用品──だと、秋夜さんが教えてくれたもの──にも数に限りがあります。
どうすれば、いいのか。
わかりません。
秋夜さんに比べたら小さすぎるわたしには、この離れが大きすぎるのです。
わたしは、独りになりました。
あのような(わたし、という存在が消された家族の明るい表情)事実を目にしてから、この離れた場所から出歩くことをやめました。幸い、ここは裏手に森があります。食用として口にできる草、花、キノコ類が生えています。それを口にすることで時間を過ごそうと決めました。生きている間は朝日を見ることが出来るのですから。
──秋夜さんが、離れに来なくなってから六日目の朝です。
とても、肌寒く。小さくクシャミをしました。眠っている間に(昨晩、あの手この手でつけた)暖房器具の電源が落ちていたようです。カラダを起こして、シン…と静けさだけが支配する室内を見回します。
とりあえず、寝ぼけた顔や頭では森へ山菜採りに行けません。顔を洗いに井戸へ向かおうと、立て付けの悪い木製の戸をガタッ、ガタッと開けます。ふぅ、とひと息ついて視線を前に向けます。
わたしは、驚きました。あ、と声を口に出して、目を瞬きます。
視線をやった先には、これでもかと食べ物があり、ましてや日用品だと教えてもらったものの他にも、(本や写真で見た事はあれど)触れることが初めてな道具類がダンボール箱に入れられ、わたしの胸の辺りまで積み上げられているではないですか。『いったい誰が?』そんな、疑問が浮かびましたが。
わたしは、秋夜さんからの言いつけを今だけ破りました。台所のシンクで季節柄、冷たくなった水でバシャッバシャッ…と寝ぼけた顔を流す。顔や手を台所のシンクで洗ってはいけない決まりだったのです。『
ですが、戸の外にあそこまで荷物を山積みにされては井戸へ行けません。少しくらい見逃してほしい。そう、思ってしまったのが事実です。
──さて、始めます。
二段構えの上がり
この建物には、玄関先からまっすぐ続く廊下を挟むように二部屋あり(右がお台所とご飯を食べる部屋、左がテレビや本が置いてある部屋)、右の曲がり角を曲がるとお手洗い、お風呂、洗濯機の置いてある場所、勝手口(カギは秋夜さんが持っている)。まっすぐな廊下に戻って、左の曲がり角を曲がると女中の(秋夜さんが)寝泊まりする部屋、大きな物置部屋、わたしの寝室といった部屋数です。
つまり、わたし一人には広すぎるくらいの建物なのです。
──荷運びを終えられたのは、それから二時間近く経った時刻でした。
開けっ放しの玄関から見える太陽の光がとても強く射しています。
ご飯を食べる部屋が、ダンボール箱に占領されてしまって狭まります。広く感じていたのに、なんだか物に囲まれているせいか落ち着いてしまうのです。ご飯を食べる部屋には、真ん中に脚の低い大きなテーブルが置かれています。そんなテーブルの上に、暖房器具のリモコンが置いてあるのです。疲れていたので、暖房器具をつけるのは諦めました。かじかんだ指先に息を吹きかけ、さすります。その時、ズキン…痛むのです。胸の辺りが、ああ、そう言えばカラダをぶつけたな。と他人事に思ってしまいました。でも、深く考えるのも。ダンボール箱を開けるのも面倒で、部屋の床に寝転がります。わたしは、掃除の仕方も知らない。秋夜さんが、身の回りのお世話をしてくれていたせいです。暖かい敷物がされているので、冷たくはない。ちょっと、ホコリのにおいがします。そんな床に寝転がって、カラダを縮こませる。今日こそ、秋夜さんは帰ってきてくださるかな…。
そう、願って二度寝をしました。
次に目を覚ましたら、太陽が少し傾いむくような時間でした。空腹感が、あるようでない。そもそも、わたしは料理ができないのです。『火は、とても危ないのでお台所には来てはダメですよ』『深白さまは、少しでも学をつけたほうが有意義ですからね』秋夜さんの言葉が鮮明に、思い出せます。わたしという存在は、言いつけを守ってばかりで碌に生きる術を知らない世間知らずともいえます。秋夜さんが離れに来なくなってから、食事をまともに
──その結果、寒さに身震いし、やたら重いカラダに不思議に思うも、頭がガンガンと痛いことに気が付きます。ああ、もしかしなくても体調を崩したのか…と自覚しました。ですが、この荷物に囲まれた部屋から出る気力が起きなかったのです。
むしろ、このまま起きれずに眠り続けたら良いかもしれない。そう、思ってしまいました。何せ、頭に思い浮かぶ笑い合う祖母、お母様、お父様、そして抱かれた小さい子…。そんな
人を呼びたくとも、知っている名前なんて アキヨ という音くらい。その音が届く距離に人なんていない。
ただ、頭が痛くて、ただ苦しくて。
──わたし、ひとりなんだ。
そう、追い詰められるような気分になり、震えるカラダで無意識にすがる様な声が漏れていました。
「…あきよ、さん…。……かあさま…とうさま…おばあさま…。」
手の甲を濡らす雫だけが、やたら熱いくらいに感じる。
「ごめんなさい、うまれてきて…。とうさま、わたしのめをみて、いっかいでいいからなでてほしかった…。かあさま、もっとぎゅっ、としてほしかった…はなさないでほしかった…。おばあさま、わらったかおで、わたしを、みててほしかった…。」
「あかげの、こ…。かあさまににてて、きれいなあかげのこ…。わたしの、いもうと…なのですか…。だったら、もう…だいじょうぶ、ですね…。」
弱々しくて、なんだか死んでしまう人みたいな言葉ばっかりで。
それが、悲しくて苦しくて。やりきれない気分になったのです。
どうして、産んだの。
どうして、同じ音の名前をつけたの。
どうして、こんな離れに閉じ込めるの。
どうして、みんなの腕に抱かれているのがわたしじゃないの。
どうして、どうして、どうして。
『
わたしの、この気持ちに合う言葉があるなら教えてほしい。
敷物を、涙が濡らすのです。
「ごめんなさい…、でもね…、みんなのこと、だいじだったよ…。」
敷物の上に、尽きるように伏せました。ゆっくり、ゆっくりと意識が遠のいていくのです。これで、離れにわざわざ寝泊まりする人なんていなくなる。これで、母屋の人から怒鳴られずに済む。これで、秋夜さんが他の女中さんから変な目で見られずに済む。
なんだ、良いことづくめじゃない。
わたしが、いないほうが コトシマ はうまく回る。
だから、おやすみなさい。
これで、大丈夫。
カラダがふわふわとして、目がゆっくりと閉じていき、真っ暗闇がわたしを包んだのです。
──冬の始まり、芽を出したものの。
開花することなく理不尽な環境下で小さな蕾は地に伏せた。
別記譚 『古戸嶋の娘』
〜おしまい〜
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