別記譚 肆『上官と部下の追想。』


#三津学の裏話

#本編には登場しない小話

#別記譚の転載禁止


選─Senro─路

別記譚 肆『上官と部下の追想。』


☆あらすじ

離島に配属された軍医は、部下のお願いをのらりくらりと拒否し続けた。

だが、ついに堪忍袋の緒が切れた部下に『本土出張』として荷物を持たされて、ほっぽり出された。今作は、やる気のない軍医が出張に出た話。


────────────


『軍』という自衛隊とは違う防衛組織がニホン国を支える職として国民から認知されて、約三十年余り。


『軍人』を育成する目的で、離れ孤島である妖島ようじまに創られた学園・三津ヶ谷みつがや

そんな学園へ軍医として着任してから勤務が五年目を迎えた赤軍あかぐんの常駐軍医の揚羽乃あげはの都築つづき

仕事も私用もきっちりこなしたいタイプの部下である都築と、基本的にダラダラと過ごしつつもやる時はやるタイプの上官である揚羽乃。

正反対なタイプだが、そのアンバランスさでお互いを理解し合い、協力し合うことで生き残った凄い──苛烈な前線から帰還者した──軍医だという前置きをしておこう。


さて、現在は二〇八〇年六月中頃。

何だかんだと仲が良いが、さすがに堪忍袋の緒が切れた都築により本土出張の任務へほっぽり出された揚羽乃。

今は、トウキョウ湾に含まれるヨコスカの港へ停泊した船から降りて、息抜きの一服をしているところだった。


都築つづきのヤツめ…、この機とばかりに。俺が苦手意識もってる上官との会合日程もくみやがったな…。》


リストバンド型の電子機器から本土出張の日程を確認しつつ、紙タバコの煙を漂わせる揚羽乃。このご時世、路上で喫煙するものにはだいぶ肩身が狭くなったものの。彼の服装──自衛陸軍から派生した境界防衛軍の指定 軍服──がこの場では異質であり、いずれはこの国のどこかで散り行く存在だと一般の人々に知らしめている為か、いぶかしんだ視線が送れるものの、声を荒らげるものはいない。

むしろ、通り過ぎていく人の中で低い位置から投げかけられる幼い視線には『純粋な憧れ』も含まれている。


揚羽乃は、紙タバコをギリギリまで吸いきって、軍服の内ポケットにしまっている携帯灰皿へ火を揉み消した吸い殻を入れた。


妖島ようじまから船に乗り込む前に、部下の都築から手荷物として渡された(そこそこ大きめの)キャリーバッグから消臭スプレーを取り出して、軍服の上着と軍帽に吹きかける。そして、首筋と手首にミントハーブの香水を軽く吹きかけた。

少しでもタバコの臭いを消そうとする努力をするものの、嗅覚が過敏な人──浅緋あさひ頼威らいを含む三津学の学徒──にはいい顔をされないのが常である。


「まあ、こんなもんだろ。……さて、そろそろ迎えの車が来てる時間だが…どの車だ?」


軽く伸びをした後に、周囲を見渡す。

視界には、似通った色の車体が並んでいて送迎の車がどれなのか見抜けない。


本土に来島してから一番に訪問すべき場所が、揚羽乃にはあった。地方に散った軍医たちの籍を管理する場所。それが[軍医 総合管理 委員会]の在る第一師団・帝都トウキョウの軍舎──時代の流れによって広大な敷地と中層階建てのビル郡で形成されている──へ向かうことなっている。


《まだ、送迎は来てないな。》


手持ち無沙汰になり、もう一服しようと軍服の胸ポケットに手を突っ込んだ時だ。

白塗りのワゴン車が揚羽乃の視界に入る。その瞬間に《ああ、これが迎えの車か…》と一目で見抜いて、キャリーバッグを転がして停まったワゴン車へ近寄った。


車内からドアーが開けられる仕組みになっているようで、ピピンッピピンッ…と電子音を鳴らしてドアーがスライドした。

キャリーバッグを先に車内へ押し込んで、運転席側を含む三列ある中で三列目の後部座席に座り、軍帽を脱いで名乗る揚羽乃。


「送迎してくださり、感謝します。三津ヶ谷学園 所属の揚羽乃です。」


敢えて階級を名乗らない。

それは、揚羽乃が妖島へ移住することになった日から決めた事だからだ。さすがに、これから向かうとなっている第一師団の軍舎に着いたら、揚羽乃の決めた事なんぞ無駄になる訳だが…。今だけである。

車がゆっくりと走り出す。揚羽乃が名乗れば、次が相手の番だ。だが、言葉より先にニュッ…と後部座席へ、助手席側に座っていた軍人が顔を見せた。

揚羽乃は、その軍人に見覚えがあるのか。驚きで声を張り上げそうになるのを抑えて笑みで、口角を上げた。


「よっ、揚羽乃。かなり久しぶりだったが、元気そうだな。」


「おう、お陰様でな。あんたも、元気だったか?端元はしもとさん。」


「おうよ、オレは元気よー。オレも、ついに第一師団の配属でな。今や、部下の優秀さに胡座あぐらをかく日々だ。そうそう、運転してんのはオレの部下の栄藤えとう中尉なー。」


揚羽乃が端元と呼んだ軍人は、自分の部下も次いでに紹介した。栄藤中尉が、バックミラー越しに会釈する。

彼らは、第一師団 奥多摩砲兵一八連隊の所属である。端元はしもと大尉たいいで、栄藤えとう中尉ちゅうい。階級からすれば、少佐しょうさの揚羽乃より下である。

端元がここまで砕けた態度なのは、礼節を重んじる場ではないのと、揚羽乃とは前線で助け助けられの関係であったし、年齢だけなら端元のほうが年上で、何より揚羽乃が妖島に移住する前の階級が 大尉 と同階級だったことが理由としてあげられる。


「意外だろー?オレの部下にしちゃあ、口数が少なくってなー。けど、腕は確かだからいろいろ任せられるんだわ。」


「ははっ、その部下に仕事ぶん投げ主義は変わらずだな?」


「そういうオマエさんも、都築少尉を困らせてんだろー。」


「ところがどっこい。アイツ、島に渡ってから容赦なくてよ。本土にいた頃は黙殺してたのが、態度に示すようになって、今や、キレたら追いかけ回れんだわ。」


「何だそりゃ!面白いことしてんじゃねーか!なあ、栄藤中尉。おめぇも、オレと追いかけっこするか?」


栄藤中尉は、驚いた顔をする。だが、すぐに首を横に振って否定した。

端元は、ダハハッ…と笑って揚羽乃もつられて笑った。目的地に着くまでの道のり二時間弱をお互いの近況や思い出に花を咲かせた。栄藤中尉も、頷くばかりで声を発さない。本当に口数が少ないようだ。


しばらくして、窓から見える景色が一変する。先程まで高速道路や民家の並ぶ通りを走っていたはずだが、森林をワゴン車の大きい車体が突き進む。この先に目的地があるのを揚羽乃も知っているので驚くことはない。むしろ、懐かしさを感じているくらいだ。


──車体が静かに停車する。

栄藤中尉は、運転が上手なのようだ。

窓から見えるのは、大きな洋風の門構え。明らかに、ここが軍の本部であると物語った構えをしている。門構えに不釣り合いな木製の看板で[第一師団 軍舎]と書いてあるので、目的地だ。ちなみに、このような森林に囲まれた造りになっているのは一般人の目につかないようにする為ということになっている。

実際、森林の中を気持ち程度に舗装された道が続く為、辿ってしまえば一般人の足でも辿り着ける(時間はかかるが)。


停車後、まばゆい光線が瞬時にワゴン車を通過する。その数秒後に、西洋風の門が内側に開けていく。所謂いわゆる、今の光線が認証システムだ。物体を通過する光線体が、車内の人間の温度などをデータとして守衛部隊へ転送し、開門に至る。わざわざ、車外に出なくても済むのは楽ではあるものの。車内に密偵がいた場合はどうなるのか。


揚羽乃はそんな場面に直面した経験が今のところない。


ワゴン車は、いくらか軍舎内を走った後に第一駐車場で動きを止めた。(栄藤中尉が、駐車場の守衛担当に身分証を提示したりして時間を要した。)揚羽乃から車を降りる。二時間弱の車内への缶詰。カラダの至るところが軋んだ。伸びをしつつ、首関節をほぐす。


助手席側から端元はしもとが またな と手を挙げて、揚羽乃が応えるように手を挙げる。ワゴン車は走り出して、奥へと進んで行き、揚羽乃の視野から消える。


揚羽乃は、前髪を後ろに撫でつけて軍帽を被り直す。軍服の襟のホックも留めて、一呼吸ついた時だ。


「失礼します。揚羽乃少佐でありますか。」


「ん?ああ、きみは?」


「自分は総務部 所属の二井見にいみ少尉しょういであります。お迎えにあがりました。」


「二井見……、ああ!」


ピシッ…と綺麗な姿勢で、敬礼をする堅物そうな軍人が 二井見 と名乗った。

揚羽乃は、何かを思い出したように手をポンッと合わせた。二井見が、不思議そうな顔をする。


「二井見少尉。きみの、叔父上は二井見にいみ 眞二郎しんじろう少佐ではないか?」


「えっ……叔父さんを知って……あ、いえ。失礼しました。二井見少佐をご存知でありますか。」


「ああ、知っているさ。あの人は、軍医学校で上級生としてお世話になったんだ。」


「なるほど、そうでありましたか。」


驚きで、素の表情がでかけたが即座に礼節を重んじる態度に戻った。総務部をまとめている上官の軍人は、第一師団の中でも厳格で有名な人物だ。そんな部署に所属しているならば、二井見少尉の態度が堅物そうなのも頷ける話である。


「ああ、そうなんだ。それで?二井見少佐はご健勝かな。」


「……どうでありましょう。自分は、ここ数年は連絡を取りあっていませんので。」


「そうか…、また会えるならば話でもしたかったのだが。」


揚羽乃が当たり障りのない態度で、話を続けようとするが二井見少尉の端末が盛大に鳴り響いて、会話を遮った。


「失礼。……時間ですね。揚羽乃少佐。そろそろ目的地に向かっても宜しいでしょうか?」


「ああ、そうだな。よろしく頼む。」


二井見少尉の先導されて、駐車場から一番近い場所にあるレンガ造りの建物へ入っていく。どこか、ヨコマハの街並みを連想させられる造りだ。


《今日から六日間は、この軍舎で寝泊まりか…。本部の宿泊室は好きじゃないんだよなぁ…》


直属の部下である都築つづきが渡してくれたキャリーバッグが大きいのは、揚羽乃が『枕違うと眠れないから無理だ〜』という抵抗をした為、倉庫から荷物を引っ張って来て『枕は、愛用されてるものを詰めましたので行ってくださいますね?』と有無を言わせぬ圧で説得(脅し)されたからには受け取るし、出張に出向くという選択肢しか残されていなかったからだ。


《都築のやつ。学園に戻ったら、覚えとけよなぁ。》


(出掛ける直前まで、つべこべと小言を吐いていた)部下の言葉を思い出したら、煙草が吸いたくなった揚羽乃。だが『宿舎内 禁煙』という墨汁で書かれた達筆な貼り紙のされた壁が視界に入った。煙草の入れている胸ポケットに手を入れていたが、下ろして建物の中を二井見少尉のあとをついて歩いたのだった。──初日こそ、各部の将校らに挨拶周りに足蹴あしげなく向かい。妖島に転属してから部下である都築に本土出張を押し付けていた借りが回ってきたようで、『あれほど、招待しましたのにー』だの『やっと、来ましたなぁ?』だの。必ず話題にされ、徐々に愛想笑いを浮かべるのも飽きた揚羽乃。

初日の夜は、崩れるように眠りについたものの(眠り慣れない場所のせいもあり)、夢見の悪さで夜更けに目が覚めたりして散々だった。



──二日目は、朝から夕刻まで本部でしかお目にかかれない書類や資料へと睨めっこをした。

《なんだ、この書類。とんでもないくらい、デタラメじゃねーか。始まりと終わりがあってれば、ハンコだけ押すと思ってんなぁ…?》


《おいおい、なんで離島への予算案が削られてんだー?直談判するっきゃねーか。……この手の話、都築じゃ相手にもされねぇわな。》

イライラ、ムカムカと。

二日目にして、我慢が爆発しそうな揚羽乃。仮にも補佐役(監視員)として、宛てがわれた下士官は(都築より)若すぎて話にならない。やはり、意見の交換といった行為は慣れた相手じゃないと成り立たないのだと理解した。ガタン!と立ち上がって、執務室から出て行こうとした揚羽乃。


「あの、どちらに…?」


「ちょっと、外の空気を吸ってくる。」


「ハッ、い、行ってらっしゃいませっ!!」


本当は、茂みに隠れて一服しなきゃ耐えられないからだ。補佐役の下士官に、少し冷たい態度をとっただけで相手がオドオドとし出す。

実は、揚羽乃が自覚してないだけで、我慢できずに漏れているオーラが人を二、三人くらいほふってそうな禍々しいものだった。無自覚の威嚇である。


《やっぱ、都築じゃねーとダメだ。》


確信するように、行く人行く人に敬礼される廊下をズカズカと歩いた。

書類仕事は、課業の時間内に終えた。やれば、できるのが(やらなきゃ、師団内の連中に馬鹿にされるのが癪な)揚羽乃である。

夜には、苦手意識もっている上官やあまり交流のない連隊のおさが集まる宴席に出席。愛想を浮かべたり、感情をいつわるのは得意だが。やはり疲れる。

この日の夜更けは、酔いの助けもあって崩れるように眠った。



──三日目は、朝から書類仕事。

昼飯をとった午後から、師団の敷地内にある(仮装の)街並みを再現したフィールドでのペイント武器を使用しての模擬戦。今年の四月に、入軍した一般兵が先輩兵、古参兵にしごかれる時間である。

揚羽乃は、救護の担当として呼ばれて日除けのテントの中に居た。だが、歩兵連隊のどっかの大隊長にダル絡みされる。


「おや〜?貴官が、揚羽乃少佐ですかぁ?」


「ああ、どうも。」


揚羽乃は、ニタニタと下卑げひた笑みで値踏みしてくる相手にニコッ…と作り笑みを返した。心の中で、《誰だ、コイツ…》と思っているが荒波を立てず対応する。この場に、直属の部下である都築がいたら感嘆かんたんの声を上げるだろう。


「貴官は、参加されないのですなぁ?うちの連中は、頑張ってくれてますよぉ」


確実に、煽ってきている。

何が言いたいんだよ、このタヌキ…!と声を荒らげたいが我慢した。

この大隊長は、妖島ようじまに移住されて鈍ったのでは?(つまりの左遷族だろ?)と言った文句で揚羽乃を侮辱してきているのが見え見えだ。


「揚羽乃少佐も、カラダを動かれては如何いかがだねぇ?」


どうせ、動けないだろ。

そんな煽りが、見え透いている。

揚羽乃は、作り笑みを浮かべつつもプッツーンと来ている。ので、肩に手を置いてきた大隊長の手を叩き落とすように払い除けた。


「本当は、負傷者の手当てを任されたので待機しておりましたが。大隊長殿がおっしゃる通り、見ているのも飽きましたからな。…少しだけ。」


大隊長の煽りに、静かァに啖呵たんかを切った揚羽乃。だが、揚羽乃だって前線から生き残った軍人だ。

階級が低かった頃は、弾が飛び交う戦場を身をていして駆けて、時には敵兵を蹴ったり殴りつけたり、負傷者を担いで息を潜めて戦場の地を踏みしめたくらいだ。今の階級に登りつめただけの意地が存在する。──つまり、煽ってきた大隊長が二度とめた言動が取れないくらいの、動きを見せつけてやることにした。


結果。無敗とは行かないが、彼の本業が『医療』であることを加味したら、拍手ものだ。模擬戦 終了後に、煽ってきた大隊長へ『ご満足頂けましたか?』と笑いかけると、かの大隊長は、短く返事しただけで脱兎の如く逃げ出した。


《ざまぁ、ねぇな。》


ケッ…と笑って、煙草を吸う。

揚羽乃の装備に付着しているペイント弾のインクは、全て急所を外れている。(彼の防御力が高かったのか、それとも狙ってきた相手の攻撃が下手くそだったのか。)上げた腕やら、腰やらがビキッ…と痛む。確実に、運動不足である。ため息をつき、火をつけた煙草をくわえつつ、日除けのテントに戻る。用意されていた椅子に見慣れた軍人が座っていた。揚羽乃を見るやいなや、その軍人が拍手してきた。


「揚羽乃ー、なかなかだったぞー?」


「おう、端元はしもとさん。」


「オマエさんの動きは容赦がないのが見所だな。確実に、急所を狙う。頭がキレる狂戦士なんての恐ろしいからな。……なんで、医者なのか不思議なくらいだ。」


「ハハッ…、冗談を。オレは、根っからの医療人だよ。」


端元は、仕事の合間をぬって、見物に来ていたのだろう。いや、もしかしたら揚羽乃のが模擬戦に参戦すると聞きつけて、部下の栄藤えとう中尉ちゅういに仕事を丸投げして来たのかもしれない。揚羽乃の言葉に、端元が目を瞬く。だが──


「……ダハハハッ!そうだな!つーか、オマエさん!自分が、客人なの忘れて動いてたろ!」


「ん?ああ。なんか、島のやつを馬鹿にされたように感じてなァ。ムカついたってのある。」


「そーか、そーか。よし、今夜は俺が奢ろう!退勤になったら、オマエさんの執務室に迎えに行くからな!」


「ああ、待ってる。」


こうして、上機嫌で立ち去る端元を見送れば椅子に座る揚羽乃。その後に、恐る恐るといった雰囲気で、模擬戦での動きを見ていたものが、声をかけてきた。声に揚羽乃が応じると興奮気味に名も知らぬ士官が熱をもって語り出した。相手の態度に、ドン引きしつつも負傷者の治療を言い訳に逃げたのは別の話である。

──この日の夜は、積もる話も多くあり、酒を美味けりゃ端元に散々と飲まされ、へべれけで宿舎に戻って崩れるように眠ったのだった。



──朝が来る。本土出張 四日目。

揚羽乃は、眠り慣れない寝床では(久方の激しい運動のせいで)疲れがとりきれず、聞き慣れていたはずの起床ラッパに飛び起き、頭の回らない眠たい朝を過ごしていた。


「あー…、朝日がしみる…」


シパシパ…と目を瞬かせて、部下の都築つづきが用意してくれていたドリップコーヒーのセットで、ゆるりとカフェインを体内に染み込ませる。朝の修練へ駆けている勇ましい声をあげる一般兵たちの姿を宿泊室の窓から見ていた。


すると、部屋の扉がノックされる。


ここは、軍の本部である。

さすがに命を狙うやからがいないとは思うが(揚羽乃が離島の人間である事実は周知であるし、離島に属するということは、学園の総統する者が三之院さんのいん家(軍内部の勢力図的から奪還戦反対派)と繋がっていると理解されてもおかしくない。揚羽乃自身は、その時世の戦況によって加担する派閥を変える流れ者である。)それでも警戒し、扉の蝶番ちょうつがい側にカラダを寄せ、右手で小銃を握り、空いている左手でドアノブを内側へ開けた。外へ銃口を向けて来訪者を確認すれば──


「あらヤダ、随分と物騒ですね?」


揚羽乃の警戒とは、裏腹な。物腰やわらかな声色の女性軍人が両腕をあげて立っていた。


「……失礼しました。」


「いえいえ、いいのですよ。さすがは、前線帰還者ですね。すばらしい判断です。」


「何をおっしゃいますか。こんなの、基礎中の基礎ですよ。」


「ふふふ、それもそうですね。……あら、イイ香りがしますね?」


普段よりうやうやしく敬語で対応し、銃口を下ろした揚羽乃の横から室内を覗くようにカラダを傾けた女性軍人。


「朝のコーヒーを飲んでいたのです。……飲んでいかれますか?」


「貴方が、いいと言うのでしたら。是非。」


「ええ、わたしは構いません。」


「では、お言葉に甘えて。おじゃましますね。」


女性軍人を部屋に招き入れ、他に人が居ないか廊下を確認してから扉を閉めた。


「では、お湯を沸かしますので。お待ちください。」


「ええ、いくらでも待ちます。」


揚羽乃の普段の粗野な態度がまるっきり隠された対応からして、この女性軍人が只者ではないのが、ご理解頂けるだろう。

この女性軍人は、第一師団 衛生部所属 軍医 八舞やまい夕香子ゆかこ中将 である。


つまり、衛生部の中で一番偉い人だ。


「お待たせしました。どうぞ、八舞閣下。閣下お好みのミルク入りです。」


「ふふふ、ありがとうございます。……それと随分と仰々しい態度ですね。本土にいた頃は、もっと親しく呼んでくださったのに。」


「お言葉ですが、八舞閣下。さすがに、わたしも少佐の位に進級してから五年です。しかも、この土地には単なる客人として来ております。……どこで誰が聞き耳を立てて聞いているかも知れませんので。」


恐縮したように困った顔をしてみせる揚羽乃。八舞も、はたと驚いた顔をするものの。 そうね、と細く笑みんで見せた。

室内に、漂う芳ばしい香りは二人の言い出せぬ気持ちを包んでしまう。

鳥のさえずり、屋外での訓練している兵士たちの雄々しい声。そんな音に紛れるようにポツリ、八舞が呟いた。


「……あの豪雨の日。泥だらけだった貴方に、手を差し伸べて良かったのでしょうか。わたしは、今でも考えてしまうのです。」


「それは、後悔されていると?」


「いいえ、悔いはありません。でも、結果的に離れることになってしまいました。わたしは、貴方に傍で過ごしてほしかった…。」


「…八舞閣下。」


「ふふ、すいませんね。この歳になると昔を思い出しすぎてしまう。」


「なにをおっしゃいますか。閣下は、今でもお若く美しいですよ。」


「貴方も、言うようになりましたね。……揚羽乃少佐、妖島ようじまでの生活に不便はありませんか?」


「慣れてしまえば、何とも思わなくなるものであります。」


「それは、つまり……」


「あの島は、ほぼ海域のギリギリに位置しております。流通の船が予定より遅れることもありますし、そのせいで一部の学徒が騒動を起こすなんてのも侭あることですから。」


八舞は、悲しげな表情をして『そうですか』と短く言葉にした。また、静寂が室内を支配する。お互いに、言葉を選ぶような会話が終わってしまえば、本当に静かな朝だ。しばらく静かにしていると、八舞が思い出したように、マグカップを傾ける。なみなみと注がれていたミルク入りのコーヒーを一気飲みして、立ち上がった。


「揚羽乃少佐。あなたが、あの島の軍医として立派に過ごされているようで安心しました。……ですが、報告書ばかりでは寂しいですからね。」


揚羽乃は、八舞の一気飲みに驚きもした。だが、優しく美しい笑みを向けてきた上官に目を惹かれた。《相変わらず、女神みたいな人だ。》と動悸が速まった。

彼女の言葉と表情により、直属の部下である都築つづきが嫌がっていた揚羽乃を(強制的に)本土出張させた理由を理解してしまった。もちろん、日々の憂さ晴らしもあるのだろうが。何より、本土暮らしの頃にお世話になった人が『会いたがっている』と知れば、送り出すのが(あのて、このてで遂行する)直属の部下だ。


「ははっ、随分と熱烈ですな。」


「これくらい熱くなければ、また忘れられてしまうでしょう?」


「忘れませんよ。……八舞閣下、本日はお会いできて光栄でした。」


「ええ、揚羽乃少佐。わたしも、会えて良かったわ。」


揚羽乃の飲みかけのコーヒーから、ゆるく湯気がたちのぼる。消えていく湯気たちこそ、この二人の言葉にならない関係を表しているようだ。

八舞は、部屋から出て行こうとドアノブに手をかけた。そして、思い出したかのように振り向く。


「あなたが、滞在している間に。また飲みに来てもいいかしら?」


「今度は、護衛をつけて居らしてください。」


わざとらしく肩を竦めて、告げる揚羽乃。

八舞は、声をあげて上品に笑い。軽く会釈して部屋から出て行った。

扉が閉まり、室内には揚羽乃だけ。

揚羽乃は、マグカップを手に取って窓越しに朝の訓練をこなしている兵士たちを見やる。


「……たくよぉ…。今度からの出張、断るに断れねーじゃんよ。」


困ったような言葉を吐くくせに、嬉しそうな表情を浮かべる。彼自身、チグハグな内心なのだろう。


こうして、揚羽乃の本土出張の日程が徐々に消費されていき。

残りの三日間を、とある学徒の伯父であり元 指揮官の家へ滞在したりする話は……


またいずれ、お話しましょう。




─────────



◆後日談


──赤軍 特殊治療室 四階 宿直室。


「おお!これ、かなり値の張るお菓子じゃないですかー!」


「うーん、いや。帰りの停留所でたまたま見つけてよ。」


「へー、たまたまですかー。まっ、私は美味しいお菓子が口にできるので良いですけど。」


「ああ?なんか、癪だな。没収すんぞ。」


「あ!嫌ですよ!私のお土産でしょ!くれたんですよね?!」


箱を抱えるように、首をブンブンと振る部下。その姿に、呆れたような表情を浮かべる揚羽乃。


「……やっぱ、買って来なきゃ良かったか?」


「う〜ん、美味い!少佐、ありがとうございます〜!」


「食い気のあるときだけは、素直だよなぁ」


旧知の相手に再会できたこと。そんな機会を与えてくれた部下に、わざわざ感謝を言葉にして伝えるのは、揚羽乃の性格では癪なのだろう。

部下が本土暮らしの頃に気に入っていた洋菓子を買い与えて、感謝の気持ちとしたのだった。






別記譚 肆『上官と部下の追想。』

〜おしまい〜


投稿日 2020/10/26(月)

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